仕事 ゴルフ 神髄はそのショット
(講談社、1993年5月)
この題名を見てすぐに中身まで読みたくなるひとは、ゴルフの魔力にも取りつかれてしまっている本好きだろう。30数年前のバブル景気の膨張と崩壊、それとは無縁な青年の挑戦魂をからませながら、最後の最後で、人生と仕事とゴルフの核心にある「第2打」と向きあう。これも「読むゴルフ」の醍醐味だった。
■バブル「膨張と崩壊」が縦軸
奥付によると、初出は『CADET』という雑誌で、1990年10月号から1993年1月号に掲載された。バブル真っ盛りに構想して書き始め、連載中に崩壊の兆候が表れ、終わるころには日本経済のあちこちに無残な爪痕があらわになりつつ時期にあたる。
主人公の「オレ」は「インディペンダントのイベントプロデューサーで今年の終わりに40になる」。スポーツイベントを誘致したり契約の手助けをするのが仕事だ。筆者はぼくと同じ1952年の生まれだから、彼の年齢と人生観を投影しているとみていいだろう。
主人公はゴルフ好きで、仕事で海外へ出かけても時間があると近くのコースでラウンドするのが楽しみだ。日本のバブル紳士たちが女連れで訪れたときにどんなだったか、超豪華リゾートコースの様子も前半にいろいろと出てくる。ためいきが出るような情景を村上龍は見事に切り取っている。
■失われた「挑戦魂」を横軸に
もうひとりの主役は「ケンタロウ」という青年だ。20年ほど前、学生だった「オレ」と府中市でサッカーに興じた体験を大事にしている。バルセロナから突然、主人公に手紙を寄こし、あのあとプロになろうと日本を飛び出し今はスペイン3部リーグにいると書いていた。
ケンタロウはその後も手紙を寄こし、2通目はブラジル・サンパウロの2部リーグにいると伝えてきた。3通目ではサッカーはあきらめ、なんとプロゴルファーを目指して米カリフォルニアにいると書いてきた。
主人公のオレは「当時8歳のガキ」がいつも何か遠くを見つめているような目をしていたとことを思い出す。どこを見つめているんだ? その問いに少年は「ここはつまんないんだ」と答えた。ケンタロウの「ここ」は府中だと思っていたが、いつからか「日本」に変わったらしい。
主人公は悩みにぶつかるとケンタロウの手紙を読み直すようになる。ひとりで飛び込んでいく気構え、裸の挑戦心…。バブル時の日本や主人公が忘れてしまった昂ぶりを象徴させている、とぼくは読んだ。しかしまだ「第2打」が何かは出てこない。
■核心は「第2打」 まだやり直せる
主人公は小説の最後で20年ぶりにケンタロウと再会できる機会を得る。米フロリダにいるとき、近くのブリヴェンチュラというリンクスコースで開かれているPGAメジャーツアーにケンタロウが参戦していることを仕事相手から教えてもらうのだ。リスクが大きい仕事に挑戦し、厳しい状態に追い込まれながたもののなんとか見通しをつけた大仕事の後だった。
主人公が観戦にでかけた予選2日目のバックナイン、16番が「368Y Par4」だった。ケンタロウは予選通過できるかできないかカットライン上にいる。なのにティーショットをミスし、球は木に当たって大きく戻り、70-80ヤードしか飛ばなかった。
そしてやっと「第2打」の出番となる。グリーンまで300ヤードはある。林が突き出ていて高い球でないと超えない。サンパウロで磨いた2番アイアンを手に、ケンタロウは風向きを読む—。ここからケンタロウが第2打を打つまで、それを見つめる主人公「オレ」の独白がこの小説の白眉だろう。
第2打を、フェアウェイどまん中から打つ人もいれば、林の中から打つ人もいる。バンカーから打つものも、チョロって20ヤード先から打つ人も、空振りでティーグランドから打つ人もいる。だが、大切なことは、まだやり直しがきくのだ。挽回することができるのである。
オレは学生時代からいろんなイベントを手がけてきたが、第2打を打つ段階が一番ワクワクした。アイデアを現実化していく時、第一歩を踏み出すと、目の前にはトラブルしかない。頭の中で考えていたことと目の前の状況のあまりの落差に啞然として腰を抜かしそうになる。当然ギブ・アップも考える。そして起死回生の第2打の打ち方を何とかイメージするのだ。
ここまできてやっと、小説のタイトルが腹に落ちてくる。バブル崩壊やイベントプロデューサーとしての仕事の浮き沈み、ケンタロウの人生がここで融合する。
■プロ作家の技量 うなるしかない
この小説を知ったのはことし6月、『痛快ゴルフ学』(集英社、2002年)のゴルフ本リストをながめていた時だった。それまでに読んでいた伊集院静や佐野洋、高橋三千綱、海老沢泰久といった「ゴルフ大好き作家」のほかに、山際淳司と村上龍も見つけた。先に山際淳司の3冊を読んだ。
同年齢の村上龍が描く世界には、ぼくがまだ学生だった20代なかばの衝撃的デビューからずっと圧倒されてきた。現代社会への鋭い批判的視線、体制側には属さないぞという反骨精神、アンモラルな世界への好奇心、国際的な目線に満ちている。中でも『半島を出よ』の力技には驚愕した。
この作家がインタビューかエッセイで「壁打ちテニスがぼくのストレス解消」と語るか書いているのを読んだ記憶があり、テニス愛好家と思い込んでいた。ゴルフ好きで小説まで書いていたのは意外だった。「第2打」に込めた仕事観と小説構成のうまさ…。ショットの腕前は知るよしもないけれど、作家としてのプロの技量にはやはりうなるしかない。