細菌兵器vsボンド コロナ禍と二重写し
(2021年10月公開、TOHOシネマズ赤池)
この最新作でボンドが闘う相手は恐るべき細菌兵器と、それを操って世界制覇をもくろむ謎の集団だ。しかし公開は、新型コロナ蔓延に伴い1年半も延期された。映画が描く細菌兵器の怖さと、ダニエル・クレイグが演じる最後のボンドの結末は、不気味なコロナウィルスに覆われてのたうち回る現実世界とかぶってみえた。
■これが5作目 ダニエル最後のボンド
ダニエル・クレイグは6代目のジェームズ・ボンド役で、これが5作目になる。これまでの4作もみな劇場で妻と観て、アクション場面の凄まじさや世界各地の街の様子、ちょっとした仕草の品の良さを語り合ってアフターシネマを愉しんできた。直近3作の印象記をこのサイトで公開している。主見出しはこうだ。
しかしダニエルも今回の撮影時点で50歳を越え、ボンド役はこれが最後と公開前の会見で明らかにしていた。どんな終わり方になるかも見納めの楽しみだった。
■コロナ禍で1年半延期 劇中の敵も感染症
この作品は昨年春公開の予定だった。しかし年明けから新型コロナ感染拡大で延期が続き、やっと公開されたのはワクチン接種が進んだ今年9月になった。日本では10月1日に公開され、ぼくは妻と11月8日に観た。
007新作で世界制覇をたくらむ謎の集団が武器にしようとするのが、架空の新型細菌兵器「ヘラクレス」だ。おぞましい毒性と感染力を持つ。
- 触れた相手を天然痘の症状で殺すことができる
- DNAを使って殺す相手を指定することも可能
- いちど感染すると死ぬまで除去できない
ぼくはヘラクレスの分析や感染場面が出るたびに、頭の中で現実世界のコロナウィルスと比べていた。もちろん感染力も殺傷力もコロナウィルスの方が弱い。しかし人類に与えている怖さやおぞましさは共通のものだ。
実世界のコロナをめぐっては、ウィルスやワクチンはどこかの策謀者が特定の意図をもって操っているといった類の陰謀論が噴出し、ネットで拡散している。映画のヘラクレスも科学者が作り出した細菌であることや、DNA選別能力とか除去不可特性は、コロナウィルスとワクチンをめぐる陰謀論に取り込まれてもおかしくはない。
もしかすると、映画会社が公開延期の判断を重ねたのは、新作がコロナがらみで評されたり、陰謀論を刺激するのを警戒したのも要因ではなかったろうか。深読みがすぎるだろうか。
■感染ルートに「?」
そういう目線で観ていたためか、映画の中で細菌がどうやって感染したかわかりにくいシーンがいくつかあって最後まで気になった。
そもそも007シリーズは、売りの派手なアクションシーンも現実ではありえないから面白い。とんでもなく大きな展開や思わぬ筋立ても、なんでこうなるのと突っ込み始めたらきりがないし味気ないだろう。
しかし現実世界はいまコロナ禍にあり「感染」に敏感になっている。ネタバレになるので具体的には書けないが、ヘラクレスはいつどこでどうやってこの男に感染したのか、DNA選別の結果なのか、などの疑問が頭から離れなかった。ぼくの注意力が足りなかったのかもしれない。あるいは字幕だけでは理解が無理だったのかもしれない。
■あの「フレディ」が悪役 !
007シリーズではボンドと敵対する悪役も大事だ。予備知識なしで観たから、新作の悪役サフィンがどんな男優かを知らなかった。どこかで観た顔だなあと妻と話しながら劇場を後にした。
家に帰りネットで調べて驚いた。ラミ・マレック。あの『ボヘミアン・ラプソディー』(2018年)でフレディ・マーキュリーを演じた英国の役者だった。あの役でアカデミー賞主演男優賞を受賞している。
ただ正直にいうと、最初は、ボンド役のダニエルの存在感と比べて見劣りした。超越した悪の世界観を期待していたけれど、そこまで感じなかったのだ。
それよりもラミが演じる悪役サフィンは「能面」「畳」「枯山水」などの日本色にいろどられていて、繊細さや厭世観を感じた。ボンドの恋人と娘への振る舞いもそうだ。
冷徹な悪の権化というより、親を殺された息子の哀しさや絶望感を出すことが監督の狙いだったかもしれない。それなら適役だったし、あのフレディ役と通じる気もした。
■「007は単なる数字」 新ボンドは女性?
007ファンの関心は「シリーズは今作で終わりか、次の26作目はあるか」にもあるだろう。新作があると仮定すると次の疑問が浮かぶ。
- ジェームズ・ボンドが別男優で蘇るか
- 007が別人になるなら、男性か女性か
ぼくの勝手な推測は女性007を新しい主役にすえることだ。その伏線は張ってあった。ボンド引退後の新007「ノーミ」にはジャマイカ系女優が登場した。キューバでボンドと仲間を組むCIAエージェントもセクシーな女性だった。
ダニエル最後のボンドは情緒的だった。アクション場面でのマッチョぶりは相変わらずだが、愛する女性との関係では回顧や愛惜が強く出ていた。これまでの「どんな苦難も乗り越える強い男」「相手女性もとりこにする魅力」といった側面は弱めてあった。時代に色濃い「ジェンダー」を意識したのかもしれない。
今回の作品で、旧007の「マッチョスパイ」ボンドと、新007の「女性スパイ」ノーミが劇中で互いに口にしあったフレーズが耳に残る。これも次の「007」への伏線に思えてならない。
「007は単なる数字に過ぎない」