自分もプレーしてるみたい さすがプロの筆
(日経ビジネス文庫、初刊は1998年5月)
へえぇー、この人もゴルフが大好きなんだ、と急に親しみをおぼえる著名人が何人も出てきた。東宮大使の古川清、騎手の武豊、指揮者の小林研一郎、日本相撲協会元理事長の境川尚、日本画家の加山又造、西本願寺前門主の大谷光照、画家の村上豊、歌舞伎役者の尾上菊五郎…。
筆者は名うてのゴルフエッセイストだ。各界のゴルフ好きとラウンドし、その人のプレーぶりと話を、それまでの人生にぶらせながら描いていく。
筆者が相手する人物について、ぼくがその名前や話しぶり、本職のことを少しでも知っていると、文章はさらに楽しくなる。武さん、小林さん、加山さん、村上さん、尾上さんの章では、一緒にラウンドしているように思えた。フォームや球筋、マナーや話しぶりが想像できるからだ。
プレーをしながら、フェアウェイを歩きながらの様子については、おそらく夏坂さんは取材メモはしていないだろう。それなのに、よくここまで覚えていられるなあ、と感心するディテールに満ちている。さすが、健さんだ。
もっとも、こうしたエッセイや記事を書くためにプレーするとなると、そのゴルフは仕事そのものになってしまうので、ちょっとつまらないかもしれない。ぼくにはそんな機会はないから余計な心配だろうけど。
筆者はまた文中で、スコアばかりに頭をとられたゴルファーが昨今は多すぎると嘆いてもいる。その精神はとてもよくわかるのだが、いまのぼくは、やはり「スコアにも」徹底的にこだわらないとゴルフは面白くない、と考える。中部銀次郎もそう言っていると別の本で読んだ。スコアへのこだわり方、目標のたて方のスタイルこそが大事なのではないか。
(2020/05 追記)
スコアについての考え方は、16年たっても変わっていない。スコアなんか二の次のゆるゆるゴルフでは、ゴルフの楽しみの多くを失い、マナーにも緊張を欠き、パートナーへも失礼な気がするのだ。
もちろんすべてが程度とバランスの問題でもある。スコアだけに過度にこだわり、失敗すると自分を自分で罵倒する癖があるゴルファーの挙動を観ると悲しくなり、ああならないように気をつけろよと自分を戒めることがあるのもまた事実だから。