弟への思いと本音 疑念は観客にも?
(西川美和監督、公開2006年7月)
香川照之の演技が渋い。弟への思いと揺れる本音とが交錯しながら変化していく感じを、物語の進行ごとに見事に演じ分けている。オダギリジョーが演じた弟の役より、はるかに難しかっただろう。
ただぼくがこの映画の核心部を理解できたかというと、あやしい。
あの吊り橋の上で実際にあったこと(事実)について監督は、観客が容易に推測できる形で提示したかったのだろうか。それとも、あいまいにしておいて観客にも「ゆれる思い」を抱かせたかったのだろうか。ぼくにはつかみ取れなかった。観る力が乏しいのかもしれない。
この映画を観ながらぼくは、大岡昇平原作の『事件』を思い浮かべた。新聞記者になって富山支局で警察担当になったころに映画が大ヒットし、刑事訴訟法の勉強も兼ねて富山で観た記憶がある。
公判での新証言によって事件の本当の構図が起訴内容とはまったく違うものであることが少しずつわかってくる、という内容だった。西川監督は意識していただろうか。