北京五輪の象徴 スイス人建築家の挑戦
(スイス・フランス合作、日本公開2008年)
『鳥の巣』はこの8月に行われた北京五輪のメーンスタジアムの愛称であり、五輪のシンボルとなった。この映画は建物の設計から建設までを記録したドキュメント。五輪から帰国後に名古屋で観た。
■外観を覆う曲線アーチのかご
北京五輪が開かれた8月、ぼくは中日グループの取材団長として1か月北京に滞在し、この鳥の巣のすぐわきのプレスセンターへ毎日通った。期間中には何度も「鳥の巣」の周囲を徘徊した。そのたびに”竹ひごアーチ”を見上げ、その入り組んだ構成に「よく作れたなあ」とため息をついた。
スタジアムの中にも何度か入ることができた。陸上男子200mではウサイン・ボルトの世界新記録の瞬間を目の前で見た。男子サッカー決勝もスタンド最上段から観ることができた。
この建築そのものが放つ強烈なオーラはすべて外観にある。スタンドの外周を、曲線アーチが竹ひごのように覆っているのだ。
それぞれのアーチは自然なカーブを描いていて、ひとつひとつが違う。人工的でも機械的でもなく、あたかも動物が作り上げたようにみえる。それゆえに「鳥の巣」の名がついた。
ぼくは五輪開幕直前に取材団長として新聞の一面に書いた論評で、このスタジアムについては、こう触れただけだった。
「(北京はいま)開催国が大会にかける『威信』が充満し、『鳥の巣』で主役になるはずの選手たちは汚れた大気にはばまれるようにかすんでしまっている」
建築学科出身の新聞記者としては、ひとつの建築としての魅力にも触れてみたかったが、言及をやめた。北京五輪については、非民主的大国、国威発揚の手段としての五輪、象徴的スタジアムの必要性といった外的要素があまりにも強すぎたからだ。
■北京でしかできないプロジェクト
このドキュメンタリーは、鳥の巣の設計を依頼されたスイスの著名建築家、ジャック・ヘルツォークとピエール・ド・ムーロンのふたりが検討を重ね、形を決め、建設されていく過程を記録している。
映画の中でムーロン氏は「国家的なモニュメントにしたくない」と言い切っていた。さらには、スイスのような「民主主義の国」ではできないプロジェクトが北京では成立する、とも。ぼくには、後者への期待感が、非民主国での国家的事業を引き受けることへの警戒感を上回ったように思える。
建築映画というジャンルがあるとすれば、昨年7月に観た米映画『Sketches of Frank Gehry』も代表作のひとつだろう。この2本から、現代を代表する世界的な建築家たちを評価する「ことば」を見つけることができるだろうか。いまのぼくには出てこない。
映画は今池の名古屋シネマテークで妻と観た。観客は15人か16人。平均年齢はぼくらと同じ50代の半ばだった。