連載から20年 「命のビザ」さらに詳しく
(チェリン・グラック監督、2015年12月)
ぼくが中日新聞社社会部デスクだった1995年に『自由への逃走』という新年連載があった。先輩のKさんがキャップで、現地に記者を派遣するほどの力作だった。ぼくは何の手伝いもできなかった。恥ずかしながら、杉原という名も岐阜県出身で瑞陵高出身あることも、この連載で初めて知った。
あれからさらに20年がたち、今度は終戦70年の年にこの映画が作られた。新聞連載やその後の報道を通じて、杉原が発行したビザによって救われた人々の物語についてはかなり詳しくはなった。
それでも、杉原の外交官人生とか当時の戦況、ユダヤ人の扱い、日本外交におけるリトアニア領事館の立ち位置など全容はよくわかっていなかった。だからこの映画は、そうした空白を埋めてくれると期待して観た。
そうした疑問や空白のかなりはこの映画で解消された。ただ、ユダヤの人たちが当時、日本の通過ビザがリトアニアでどうしても必要だという切実さが、ぼくにはいまひとつ理解できなかった。
また杉原がリトアニアなどで交わす言葉はみな英語になっている。実際は何語だったのだろう。杉原はハルピンでロシア語も学んだからロシア語も得意だったはず。それとも第二次大戦中も外交官の共通語は英語だったのかな。
ハリウッド映画では、フランス語やイタリア語の場面でも平気で英語で通していることも多いから、映画界では問題にならないのかもしれない。
もうひとつ、杉原の妻役の小雪に不満が残る。会話が多いわりに、夫を信頼し、寄り添っている感じが演技に弱い気がぼくはした。