優美 妖艶 静寂…悪魔のささやき
(小学館スクウェア、2003年11月)
どのページを開いてもゴルフコースでしか味わえない優美と妖艶と静寂が支配している。ゴルファーはいない、白球も映っていない。ぼくがふだんの球戯でなじんでいる場所とは異次元に見える。なのに見つめていると「はやく遊びにおいで」「ここへ打ってごらん」とささやきかけてくる。
井上誠一の名をぼくが知ったのは2002年、50歳の時だった。直前のバンコク駐在時にゴルフに魅せられていた。名古屋に帰国後、近郊の倶楽部の会員になろうと思い、会員権仲介会社の勧めで候補コースを体験ラウンドしていた。その中に南山と愛知が含まれていて、紹介文にこう書いてあった。「名匠・井上誠一の設計」
そのころのぼくには、設計者によるコースの魅力や価値の違いを判断できる余裕も眼力もなかった。最終的には別のコースを選んだ。その選択にはいまも後悔はないが、井上誠一の名はゴルフ脳の片隅でこだましていた。
この写真集を目にしたのは2004年、井上が設計したコースのひとつ、伊勢CCだった。現地記者との交流会の翌日にプレーした。プレー後に売店の前を通ったらガラスケースにこの写真集を見つけ、その場で買った。
あれから16年、南山や愛知のほかに、春日井や桑名などの井上コースでも何度かプレーする機会に恵まれた。帰宅するとこの写真集を開いて、プレー時の印象と比べてきた。
■衣紋かヒップか なまめかしくうねる曲線
撮影された時間は早朝と夕暮れが多い。朝霧がたれこめていたり雪化粧もある。空にはうろこ雲やいわし雲が広がっていたり、雲の合間から薄明光線が差していたりする。
なにより美しいのは、ピンが風になびくグリーンと周りのバンカーの曲線、きれいにそろえられた土手の芝面が織りなす複雑なうねり模様だ。仏像の衣紋のようであり、横たわる女性のヒップラインのようであり…。完全な水平や垂直の線はどこにもない。垂直なピンを除いては…。
これはと思うページに付箋を貼っていったら15枚を超えてしまった。いちばんの気に入りは、烏(からす)山城CC二の丸コースの8番ホール。かすかにうねったグリーンと垂直ピンの向こうに雲海がたちこめている。手前のバンカーの闇のなんと妖艶なことか。
■スコアと格闘 見てないコース美
いまあらためてじっくりと写真集を見ると、山田兼道氏が切り取っているコース美は、ぼくがプレーヤーとしてスコアにこだわっている時には見えていなかったと恥じ入る。山田氏はもちろんゴルファーでもあるが、カメラを構えている時はスコアへの邪心などかけらもなかっただろう。
なのにぼくときたら、井上コースにでかけても、美しいなあと見とれているのは、早朝の朝もやの1番ティーまでだった。プレーが始まりスコアと格闘し始めると、バンカー回りの優美な曲線も、後ろの山を借景とした絵画美も味わう余裕をなくしてしまってきた。コースの美しさに再び目覚めるのは、その日の結果が見えてきた16番くらいになってしまうのだ。
■まだ33コース 行かずに逝けるか
写真集によると、井上が設計したコースは日本に38ある。そのうちぼくがラウンドできたのは名古屋近くの5コースだけ。あと33ホールも残っている。北は北海道の夕張から、南は鹿児島の開聞まで広がっている。
ネット上をサーフィンしていると、全コースでプレーし経験記を公開されているゴルファーもいらっしゃる。ぼくはまず、コースを愛しみながらスコアにもこだわる「欲張りラウンドの術」を身につけよう。どのコースも逃げはしない。この写真集にある優美な曲線はいつまでも待っていてくれる。