7 催事 肌感で楽しむ

バンクシー展『天才か反逆者か』

落書か風刺か芸術か 文脈さぐる知的興奮

(旧名古屋ボストン美術館、2021/2/3~5/31)

 目よりも脳が汗だくになった。伝説の覆面アーティストはジャーナリスティックな表現も使って「このメッセージわかる?」と頭に問うてきた。答えに迷うと「you decide ! 」(自分で判断しなよ)。かねてからの疑問「これは落書きか風刺かアートか」がぐるぐると脳内をかけめぐり、知的刺激の連打にしびれまくった2時間半だった。

<▲入口の大きな看板>

 ■「覆面」の伝播力

 バンクシー(BANKSY)という名の表現者がだれかは明らかにされていない。本名や年齢や顔はもちろん、ひとりか複数かもわからない。ぼくはこの展覧会を観たあと、バンクシーは英国南西部ブリストル出身の男性で、周辺に協力者のネットワークがあると推測している。

 彼は「謎の覆面アーティスト」であり続けることが生命線であり最重要アイコンと考えているのだろう。いまのグローバルな報道やネット社会においての訴求力と伝播力は、「覆面」の方が「実名」よりも強いとみている気もする。

(▲想像上のバンクシーのアトリエ)

 どこのだれかもわからないのに、いやそれゆえだろう、会場入り口には『アーティスト・スタジオ』が特設されていた。関連写真や映像から想像して主催者が勝手にこしらえた「バンクシーのアトリエ」である。アトリエの真ん中に、黒のパーカーを頭からかぶった人物が椅子に腰かけて前かがみになり沈思している……。

 入り口の大きな看板の下側に「unauthorized exhibition ……」という説明があった。直訳すると「バンクシーの名で知られるアーティストの作品の個人コレクションを集めた非公認の展覧会」。バンクシー本人が認めている展覧会ではないということだろう。それにならってぼくもシニカルにこう思った。

 展示物がみな「本物」とは限らないぞー。

 ■軍隊と消費 批判と嫌悪

(▲『FLYING COPPER』)

 多くの作品で強く感じるのは批判の目線だ。特に「軍隊・戦争」「資本主義・大量消費」には、嫌悪感も前面に出ている。

(▲『GOLF SALE』)

 中でも『FLYING COPPER(羽根のおまわりさん)』が象徴的に見えた。背中に「天使の羽根」をつけ、笑顔だ。しかし顔のスマイルマークは目も口もいびつで、不気味な仮面のようである。手にはマシンガンを持っている。

 もうひとつは『GOLF  SALE』。中国・北京での1989年の天安門事件の際、戦車前に立ちふさがる男性をとらえた有名な報道写真がモチーフである。
 バンクシー作品では、青年が持つ看板に「ゴルフ用品 こちらで売ってます」とある。なんでこの状況で「ゴルフ」が出てくるの?  その場でバンクシーに尋ねたかった。
 ぼくは考え込んだ末に、こんな皮肉を導き出した。「同じshot(撃つ、打つ)するんだったらさあ、砲弾を撃って人殺しするなんてやめて、ゴルフの球を打って楽しく遊ぼうよ 」。しかしバンクシーは真意を将来も教えてくれまい。いつも「you decide!」なんだから。

(▲『very  little  helps』)

 大量消費への反感では、壁に描かれた『very  little  helps』が印象に残った。
 英国の大手小売りチェーンのビニール袋を少年がポールに掲げ、ほかの少年少女が忠誠ポーズで仰ぎ見ている。
 題名もその小売りチェーンの広告コピーをもじって「ほとんど何の役にも立たない」と皮肉っている。

 ■グラフティと覆面

 これらの作品の多くは、ロンドンをはじめとする現代都市の建物や地下鉄の壁などに描かれてきた。「グラフティ」と呼ばれる表現行為である。ほとんどは無許可だし時には違法である。

 単に「かっこいい覆面」というだけなら何人か思いつく。日本なら月光仮面、仮面ライダー、タイガーマスクがいた。海外なら足長おじさん、スーパーマン、スパイダーマンが浮かぶ。ただしいずれのヒーローも映画や本の世界だ。しかも超人的な肉体能力や財力を背景にしている。

 バンクシーは何といっても「実在」している。武器は知的な表現行為である。伝えたいのは戦争や既存価値への反感や嫌悪だ。世界はネットでつながってどんどん狭くなり、どの国も都市も似た悩みや疑問に満ちている。彼が映画ヒーローに似た喝采を浴びながら注目度を上げている理由はそこにあるのだろう。

 ■英国「らしさ」も随所に

(▲『BREXIT』)

 バンクシーは世界各地に”出没”しているが、英国出身で拠点も英国にあることに異論はないらしい。この展覧会でも作品の題材や、最初に描いたり発表した場所が英国であることが多い。

 たとえば『BREXIT(ブレグジット)』。英国ドーバーの古いビルの外壁に2017年に出現した。EU(欧州連合)からの離脱をめぐる国内論議がテーマだ。EUとの間の海峡の名がある街を舞台に選びビルの所有者とも因縁があるらしい。2年後には所有者によってビルは破壊されてしまう。

(▲『MONKEY PARLIAMENT』)

 もっと英国的な作品はMONKEYシリーズだろう。『PARLIAMENT』は歴史的建造物の英国議事堂が舞台だけれど、議員はみな猿だ。政治家への不信が高まっていた2009年に描かれたという。新聞の風刺漫画に近い。

(▲『MONKEY QUEEN』)

 『QUEEN』はもっと刺激的だ。英女王の有名な肖像画の構図が使われ背景は国旗色だから、英王室への批判か侮蔑としか見えない。軍隊や商業主義への嫌悪ならぼくもわかるが、英王室にはどんな点に不満なのかこの絵からはわからない。これも「あなた次第」なのだろう。英国民や英王室はどんな反応を示したのだろうか。

 英国という国は、本物のアーティストによる活動ならこうした批判や表現を包摂する度量を保ってきていると思う。古くはビートルズのジョン・レノンの若いころの発言、その後なら、バンド名にそのものずばりをもってきたクイーン…。この感覚は単なる英国びいきかもしれないけれどー。 

 ■ステンシルをジャーナリスティクに

 展覧会でもひとりの画家だけの美術展や「個展」ならば、通常は、その人の人生の歩みと見比べながら作品を鑑賞し余韻を味わうことができる。解釈の難しさや好き嫌いはあっても、作品がもたらす世界で完結できる気がする。

 近年に見た展覧会でいえば、片岡球子の生誕110年展なら「大胆かつ斬新」「還暦から富士に晴れ着」。ぼくの目線は作品内におさまった。横尾忠則のGENKYO展になると振れ幅はもっと大きくなり、適切な表現が見つからなかった。それでも「変幻自在 縦横無尽」「84歳でコロナも作品に」と、作品にとどまる形でぼくなりに理解できたように思った。

(▲『SALE ENDS』)

 ところがバンクシー作品の本質は作品の「向こう側」にある。その作品の内容と、描かれた場所や日時がもたらす「現代的なメッセージ」にある。いくつかの作品は極めてジャーナリスティックな性格を帯びている。それを推し量れるだけの知識が観る側にも必要だ。しかも作者は意図をみずから明確にする例は少ない。

 絵のタッチで特色があるとすればステンシルだろうか。ぼくは絵を描くのは不得手でステンシル経験もないが、絵型や文字を切り抜いた型紙にスプレーを吹き付けていく手法と説明文にあった。

 バンクシーは街なかの壁に持ち主に無断で描くことが多く、なるべく早く制作してしまいたいという事情もあったらしい。この技法はその後、彼の作品の重要な「言語」になっていく。独特の軽さとモノトーンという要素がメッセージ性を出しやすいこともあるのではないか。

 そのぶん絵そのものの完成度とか美しさにはそれほどこだわっているように見えない。だから、絵画が持つメッセージや政治性、関連する時事問題に関心がない人には面白くもなんともないだろう。

 ■全館で写真OK 拡散に意味あり?

 この展覧会ではどの作品も写真撮影がOKだった。だからこの文章にもたくさんの写真を添付できている。日本の多くの展覧会は「作品撮影お断り」だから、家で作品を思い出すには高い図録を買うしかなかった。

 写真OKの理由でまず浮かんだのは、「非公認」だから著作権保護の必要もないという推測だった。展示にはコピーや写真も多くオリジナリティという発想が薄いかもしれない。

(▲『GIRL WITH BALOON』)

 さらに作品を観ていくと、市街地での「落書き」が原点だから、バンクシーも著作権とか希少性に価値を感じていないように見える。写真や映像、それをめぐる騒動が新聞やテレビ、SNSで「拡散」されることの方により大きな意義を見出しているだろう。

 この展覧会そのものが「拡散」を前提に、商業主義的に企画されている可能性もある。その意味では、ぼくのこのブログ文章と写真はまんまと”作戦”に乗せられている、ともいえるだろう。

(▲裁断映像の一部)

 その象徴が『GIRL  WITH  BALOON』だろう。出口前に展示され、すぐ横の映像では2018年10月にロンドン・サザビーズで開かれたオークションの様子と、直後にバンクシーがネットで公開した準備風景が繰り返し流されていた。オークション会場でこの版画は壁にかけてあったのだが、落札直後に額に組み込まれていた裁断機が動き出して版画を短冊状に切り裂きながら下へ押し出していく……。

 このニュースと映像は瞬く間に世界に広まった。バンクシーが意図的に引き起こし、後で種明かしまでした「事件」は、彼の名をさらに世界に知らしめることになった。

 ぼくも「なんてカッコよくてクールなんだ」と驚いたのをよく覚えている。「自分の作品を高値落札の後に裁断して見せて、商業主義を真っ向から茶化している」と。

  ■観客が若い 7割は20代

 もうひとつ驚いたことがある。観客が若い。ぼくが訪れたのは3月22日の月曜日の午後。コロナ対策として愛知県が独自設定した厳戒警戒宣言も解除された翌日だった。マスクをした人で会場は埋まり、ぼくの目には、そのうちの7割ほどは20代に見えた。デートとおぼしき男女も多かった。

 「バンクシーは流行やトレンドに敏感な、世界中の若い世代に絶大な人気と知名度を持っている」。そんな主催者の説明文を納得して読んだ。

 ぼくのような60年代後半らしい高年者は少なかった。特に高年女性は数えるほどだった。数少ないひとりが妻だったから、暗い会場のマスク集団ではぐれても、互いを探すのに手間はかからなかった。

 ■落札額25億円 「コロナ対策に寄付」

(▲25億円落札を伝える中日夕刊)

 この文章をまとめていた最中の3月24日夕刊でまたバンクシーのニュースを読んだ。ロンドンで23日に開かれた競売で絵画『マネーチェンジャー』が約1675万ポンド(25億円)で落札された。その収益をバンクシーは新型コロナと闘う医療者を支援するため寄付するという。

 この絵は新聞の写真で見ると、いつものステンシル技法が使われている。共同通信の記事は「医療従事者を英雄として賞賛しながら『使い捨』の存在にしてはならないというメッセージを込めたとする見方など、さまざまな解釈がある」と結んでいる。解釈もいつもの「あなた次第」というわけだ。

 同じオークションでも大きく違うのは、2018年のように裁断などせず、収益をコロナ対策に寄付するとした点だ。

 ぼくにはかすかな違和感が残る。「全額寄付」は善人ぶりがすぎないか。「らしく」ないのだ。「覆面」や「匿名」の活動はこれまで戦争や大量消費、政治への批判に向けてきた。自らの作品を裁断までして「お金ベースの競争」「商業主義」を批判したではないかー。

 とはいえ英国での新型コロナの広がりと打撃は極めて深刻で、日本の比ではない。戦争や商業主義とは別次元の脅威だと考え、世界に訴えようとしているのだろうか。

 ■「ボストン美術館跡」という皮肉

 会場となった旧名古屋ボストン美術館ほど、交通の便に恵まれた美術館は全国でもそんなにはない。鉄道3本が交差する金山駅の真ん前にあり、駅ホームから雨に濡れずに行くことができる。高層ビルの駅側低層部を占め、展示室を大きく突き出した外観は見た目にも金山再開発の”顔”であった。

(▲金山南ビル。低層部の広場側に突き出た部分が旧名古屋ボストン美術館)

 しかしその顔はいま、名古屋市民にとって「苦い記憶をともなう負の遺産」になりつつある。バブル時期の財界主導の無理な誘致と契約によって、米国本館の作品しか展示できない時期が続いた。巨額の負担金を払いながら作品選択権も限られた。絶好の立地なのに資金難と観客減のダブルパンチを解消できず、20年後の2018年10月での閉館を余儀なくされた。

 名古屋市は閉館までに新たな借り手を見つける予定だった。しかし美術館の建物だから窓はない。用途変更も厳しく、手を上げる企業や美術館は出てこなかった。やむなく月単位で貸し出して”時間稼ぎ”をしている。

 こうして実現したのが今回のバンクシー展だった。バンクシー作品はボストンが誇る収蔵品とは対極の世界にある。同じ名古屋市内でも、運河沿いの古い倉庫とかビルの方がふさわしかったように思う。こんな美術館運営が英国であったならバンクシーは皮肉や嘲笑の対象にしたかもしれない。

 さらに閉館した2018年10月は、バンクシーがオークションで版画裁断事件を起こし一気に名を上げた時期でもあった。

 こんな皮肉な巡り合わせがなければ、このバンクシー展が絶好の立地で4か月ものロングラン開催をできることはなかったろう。ボストン美術館が閉館したのと同じ時期に裁断事件で著名になった作品をここで観られるというのも、金山再開発の目玉美術館が”迷走”したおかげだと思ってしまう。

 名古屋に住む美術ファンのひとりとして、やるせなく苦い思いも抱きながら会場を後にした。

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