流れつかめず 終盤OBで自壊 実力たりず69位
(岐阜・谷汲カントリークラブ、2022年9月9日)
70歳以上のアマゴルファーが競う中部グランドシニアゴルフ選手権の決勝が9月9日、岐阜県の三甲ゴルフ俱楽部谷汲コース(6126ヤード、パー72)で開かれた。予選突破の102人が出場し、ことし70歳になったぼくも「新人」として挑んだが、スコア86で69位に終わり「全国大会出場」はまたも遠かった。3回のバーディーチャンスを逃して流れを手放したあげく、終盤にはOBを連発して自壊した。でも上位選手はみんなぼくより年上だ。この”洗礼”を教訓に来年も挑戦しよう。
■出だし最悪 直後のチャンスも逃す
スタートのINの1番は第1打を左バンカーに入れてボギー。2番も15yアプローチがトップしてグリーンをオーバーして情けないダボ。最悪の出だしになった。
流れを戻せる好機は3番の329ヤードPAR4できた。左ラフから第2打を8番アイフンで放つと、ピンの斜め左上に止まった。1.5mのスライスラインが残った。
―ここでバーディーをとれば、まだまだやれる。
この日のグリーンスピードは10.0ftで、前日より速くなっていた。20cm オーバーのタッチならカップひとつ半は曲がるとみたが、ボール1個ほどしか曲がらず左を抜けていった。
それでも前半はあとの6ホールを2ボギーにとどめ5オーバー、41で折り返した。後半を1オーバーとし「78」にできれば、上位14位まで与えられる「全国大会出場権」の可能性はあるとみていた。
■後半も3番で好機がきたのに…
後半のOUTの1番と2番をパーで通過し、迎えた3番の382ヤードPar4に、2度目の神様がいた。
ドライバーをまた左に曲げ、球は大木の裏のラフにあったのに、ピンを狙えて草に浮いていた。残り175yを7番ウッドで打つとピン手前4mについた。ほかの選手がぼくより遠くにオンさせたのでラインも見せてくれることになった。
―神様はまだいる。これを沈めれば…。
その思いを乗せて打ったボールはしかし、カップのわずか右を抜け、2mもオーバーした。返しは弱すぎてカップをかすりもしなかった。バーディーチャンスが3パットボギーになった。
それでも神様はなお見捨てていなかった。次の4番、池越えの短い126ヤードPar3。9番アイアンの球はまた4mについた。さらに後の選手のボールがぼくの球と同じラインで15cmほど遠く、先に打ってラインもタッチも見せてくれた。
それでもぼくは決められなかった。5cmショートしパーで終わった。神様がくれたチャンスを3度も手放した。この時点で6オーバー、全国へのカットラインとみたオーバー数と並んだ。あと6ホール、ミスは許されなくなった。
気負いと焦り 制御できず
しかし次の5番はもう気が抜けてしまい、3パットのダボにした。さらに6番と8番のPar4ではドライバーを左に大きく曲げて惨めなOBを打った。気負いと落胆を制御できない。まさに自壊だった。追い込まれても、もういちどチャンスを作り直すか、せめてノーミスで通すだけの底力がぼくにはなかった。
■練習ラウンドからDRが左へ
この大会では前々日と前日の2回も練習ラウンドをこなしていた。どちらも本番と同じINスタートで、こんなスコアだった(BD=バーディー)。
IN OUT
7日 39(BD×1) 47(OB×2) = 86
8日 45(OB×1) 37(BD×2) = 82
練習ラウンドのOB3発もみな左へひっかけた結果だった。朝と夕の練習場で修正できたつもりだったけれど、9日本番の朝いちホールでいきなり「再発」して、自信が揺らいでしまった。
頼りは、練習でも3回あったバーディーだった。ドライバーを自信もって振るためにも、早めのバーディーが不可欠だった。しかし本番ではラインを深読みしすぎたり、タッチが弱すぎたり強すぎたりした。考えすぎだった。
理屈でわかっていても、そのときの頭と体は理屈通りに動かない。考えをめぐらせるほど読みは外れ、体は止まる。これまで数えきれないほど味わってきた「性悪な輪廻」なのに止まらない。それがゴルフの奥深さ、怖さなのだが…。
■上位6人はみな先輩 ! 来年も挑戦しよう
主催する中部ゴルフ連盟のホームページによれば、上位6選手のスコアは、トップが1オーバー73で、4位タイの3人が4オーバー76だった。
紹介されている談話によれば、6人ともバーディ―を1~3個とっている。逆にOBは4位タイのひとりが1回打っただけだった。納得である。
驚いたのは上位6人の年齢だった。75歳から71歳だったのだ。70歳のぼくよりみな年上、センパイじゃないか! しかも75歳選手は2位に入りスコア74はエージシュートだ。71歳はひとりだけ。さらに2人は「全国大会は今回が初めて」という。
14位までが全国大会に出られて、カットラインは予想通り「78」だった。ただ同スコアが7人もいてINスコアが決め手になった。14位の選手のINは36。結果論に過ぎないけれど、ぼくは前半INが41だったから、後半OUTはパープレーの「77」でないと14位までには入れなかったことになる。
ことし70歳のぼくは「ルーキー(新人)」だった。しかしセンパイ方から「お前はまだまだ若い、未熟だ」という洗礼を受けた気がする。とてもすがすがしい。先輩に見習い、「全国」への夢を抱えたまま、来年また挑戦してみよう。
■(付録) 谷汲は16年ぶり 帰路に華厳寺へ
このゴルフ場で初めてプレーしたのは2006年4月だった。翌月に予定されていた第74回日本プロゴルフ選手権の「視察会」に、地元新聞社の運動部長として主催者から招待された。
コースごとの景色は記憶がない。しかしレイアウトは覚えていた。谷をはさんだ両サイドの丘陵部にアウトとインの9ホールずつが向かい合う形でV字型に配されている。
16年ぶりに訪れると、奥のクラブハウスから見える光景は比類ない美しさだった。手前に9・18番共有グリーン。向こう側に池と谷間が切れ込み、両側の丘陵に9ホールずつが折り返している。この晴朗明快な峡谷美を3日間続けて堪能した。
この丘陵の反対側には谷汲山華厳寺がある。「西国三十三番満願霊場」として「たにぐみさん」の愛称で親しまれてきた。試合本番の前夜は、参道に面した古い旅館に宿泊し名物の鮎料理を味わった。
試合が終わった後に華厳寺まで戻り、長い参道を歩いて本堂(改修中)にお参りした。ふがいない成績で負った傷心を癒やし、会場は違うかもしれないけどこの大会には来年も挑戦します、と誓って帰路についた。