7 催事 肌感で楽しむ

歴史と音楽が共鳴…映像の世紀コンサート

戦争伝える大画面 愚かさ包み込む演奏

(2022年11月13日夜、愛知県芸術劇場大ホール)

 戦争、そしてまた、戦争…。NHKで放映された歴史的映像をステージの大画面で見ながら感じたのは、戦争の実像のおぞましさと、凝りもせず繰り返してしまう性(さが)へのやりきれなさだった。しかし作曲者みずからが弾くピアノとフルオーケストラの生演奏は、次世代に向けて営みを止めない人類への慈しみに満ちていた。その余韻と残響には独特の味わいがあり、活字では得られない深みがあった。

 

 <映像の世紀コンサート> NHKスペシャル『映像の世紀』をもとにしたライブ。1995-96年の第1弾『映像の世紀』11本と、2015-16年の『新・映像の世紀』6本に使われた歴史的映像を1時間半ほどに濃縮して特別版映像を制作した。それを舞台の大スクリーンに映しながら、番組で使われている音楽を、作曲した加古隆のピアノと、地元の中部フィルハーモニー交響楽団が生演奏した。映像説明も番組のナレーター山根基世がステージで朗読した。ライブは2016年から10回開催。11回目の名古屋は当初、ことし9月19日の予定だったが、コロナ第7波の影響で11月に延期されていた。
 テレビの『映像の世紀』はその後も続いており、「プレミアム」シリーズが2016-21年に21回放映された。現在は「バタフライエフェクト」シリーズと名づけて毎週月曜夜に放映され、11月14日が25回目となる。

■20世紀の戦争を映像で俯瞰 

 画面の中の人が止まらずに動く―。そんな動画を人類が手に入れたのは1895年だったと冒頭に出てくる。フランス映画『工場の出口』。従業員が出入りする素朴な「絵」だった。

 それが各国に普及し、カメラの対象が広がるにつれて、映像は「歴史の記憶者」として、活字や写真に並ぶかそれらを上回る存在となっていく。その最大の対象が戦争。プログラムの第2部から6部のタイトルはこんな順だ。

 第1次世界大戦、ヒトラーの野望、第2次世界大戦、冷戦時代、ベトナム戦争

 ステージの奥の巨大スクリーンに、おびただしい数の戦争場面が流れていった。舞台は欧州が大半で、初めて観る映像が大半だった。思わず目を覆う残酷シーンも多い。おぞましさ、やりきれなさが折り重なっていく。

 ときおり観たことがある映像もあった。真珠湾で米国戦艦が沈んでいくところ、神風隊の出撃と突撃、原爆後に廃墟になった広島…。みな第2次大戦の日本がらみだった。

 NHKが1995年に最初の『映像の世紀』を作った時、担当者は世界各国に残された膨大な映像をあたって採用動画を絞り込んだという。映像にはスポーツや有名人、街並み、風俗などもあったろうが、最初のテーマには「戦争」を選んだ。

 その選択が太い骨になって、枝葉も育っていった。こんな硬派番組が30年近くも続き、60本を超すロングシリーズになっている理由だろう。

■「愚かだがすばらしい」 加古隆の人間観

 作曲者の加古隆を観るのも、ピアノ演奏を聴くのも初めてだった。長髪に帽子をかぶって現れたのにまず驚いた。すらりとした長身…。右手で主旋律を弾き始めなじみのメロディーが流れた時、ああこの曲だ、と誘い込まれていった。

 パンフを開いて、曲名が『パリは燃えているか』なのも初めて知った。あの有名映画と同じだ。映画では、第2次大戦末期にナチスがパリから撤退する際、ヒトラーは「パリを火の海にして撤退せよ」と命じたが、現地は従わなかった。部隊長席の受話器から「(命じた通り)パリは燃えているか?」と問いかけるヒトラーの声だけが流れる…。

 翌日(14日)、この印象記を書きながらネット検索したら、加古隆が軽井沢アトリエでピアノ演奏する動画がYouTubeにあった。演奏が終わると『パリは燃えているか』と名づけた理由をこう述べている。

 「燃えている」は戦争、破壊のイメージですね。「パリ」はぼくが若い時に何年も過ごした街で、文化とか歴史とか建築とか、すばらしい文明を生み出してきた。愚かだけど、すばらしい人間…。そんなことをこの曲を演奏するときに感じます。

(加古隆のYouTubeから)

 この曲はコンサートでは6回、バージョンを変え、時にピアノソロ、時にはフルオーケストラで演奏された。ほかにも10数曲が、スクリーンに映る映像にあわせて演奏された。

 戦争の映像から浮かぶ言葉はネガティブ漢字のオンパレード。残酷、無慈悲、地獄、阿鼻叫喚、絶望…。そのおぞましさを、やさしく豊かな音楽が包み込んでいく。人間の愚かさを鎮めるように、悲しき存在を慈しむように…。

 加古隆はほかにもたくさん映画音楽を手掛けてきたことも今回知った。ぼくが観た作品では『博士が愛した数式』『明日の記憶』『蜩ノ記』もそうだった。どの作品も、ひとの哀しみをやさしく包み込んでいた。

■ウクライナの悲劇 シリアから地続き

 コンサートの第7部は「現代の悲劇、未来への希望」。その中にあっと息をのむ映像があった。シリア内戦で破壊されたホムスの街を空撮した2015年の映像だ。

 半分ほど崩れ落ちたビル、屋根が吹き飛んだアパート、窓のガラスが割れサッシもぐにゃぐにゃになった住宅…。徹底した破壊ぶりから膿のようににじみ出る恨み…。7年後のロシア侵攻にあっているウクライナの街と同じではないか―。

 ロシアはシリア内戦に積極的に軍事加担してきたと報じられている。ウクライナ侵攻の無差別砲撃はシリアとそっくりという分析記事もあった。そうか7年も前に萌芽があったのか…。

 そういえばコンサートの前半の第3部「ヒトラーの野望」の説明で、山根基世ナレーターはこんな趣旨のことを言った。ぼくは8月に読んだ『プーチンの野望』を思い出した。

 ヒトラーはドイツ国内経済を立ち直らせる英雄として現れ、気がつくと、世界に対する悪魔になっていました。

 今回のステージ映像は2016年に特別編集され、東京や大阪などで10回流されてきた。ロシアのウクライナ侵攻(2022年2月24日)の後の開催は、6月10日の東京、6月26日の長崎に続き、11月13日の名古屋が3か所目だった。ぼくは妻と行った。観客は大半がぼくらと同じ50-70台で半分弱が女性。多くの人は同じことを感じたに違いない。

 ―いまのウクライナ情勢は第1次世界大戦からの歴史の上にある。地続きの戦争だ。人間はいまも愚かなままなのだ。

■シリーズいまも続行 活字とは違う現代史

  1995年に始まったNHKの『映像の世紀』はいまも、「バタフライエフェクト」と題したシリーズ(毎週月曜夜10時)が続いている。早寝のぼくは観てこなかったが、11月7日にはシリーズ24回目が放映されていた。文化や風俗や人物へとテーマは広がり、総作品数は62本に及んでいるらしい。

 現代史のドキュメンタリーや映画は、活字が主の新聞や本と大きな違いがある。活字は背景や論理の説明に適している。映像は可視的だから何よりもまずわかりやすく、とっつきやすい。しかも文字では伝えにくい情緒やムードを伴っている。

 このコンサートの翌日、ぼくは『映像の世紀』の最新番組を「毎週録画」に登録した。過去に放送された分も再放送やオンデマンドで観てみてみたい。老後の楽しみがまたひとつ、増えた。

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