忘れたくて肉体酷使 仙台育ちの芥川賞作
(新潮社、2023年1月20日発行)
この作家は仙台で生まれ育ち、29歳のときに東日本大震災に遭遇した。あの日から12年、自らと同じ40歳、武骨な植木職人を主人公とし、彼の家族や同級生たちの心中でいまもうごめき続ける痛みを懸命にすくい寄せ、物語にした。濃厚な地縁、思考停止のための肉体酷使…。ぼくには経験がない世界ばかりだが、書かずにはいられない地元作家の疼きだけでも受け止めたい、ともがきながら読了した。
■震災は「災厄」、津波を「海の膨張」
物語は一貫して、主人公の植木職人、祐治の目線で進んでいく。祐治が回想する大震災を、この作家は「災厄」(さいやく)と言い換えていく。沿岸の人と景色を根こそぎさらっていった津波もあえて「海の膨張」と表現していく。
あの時、底が抜けたように大地が上下左右に轟音を立てて動き、海が膨張して景色が一変した。
海は必ずまた膨張する。百年後か、千年後か、明日か。人の想像の及ばない、途方もない周期で海は押し寄せてくるはずだった。
「東北大震災」とか「大津波」といった、使いまわされた言葉では、あの地震が地元の人々にもたらし、遺した傷をとても伝えきれない—。現地に住み続ける作家の本能がそうさせるのだろう。
そんな作家の違和感は、震災後、沿岸に造られていった防潮堤にも注がれる。
白くすべすべした無機質な防波堤はさざ波立った人の心を様をまざまざと現す。(中略)限界まで巨大に設計された防波堤は、ついこの間経験したばかりの恐怖の具現そのものだった。海からやってくるものの強大さをいわば常時示すように防潮堤は海と陸をどこまでも断絶して走っていた。
■故郷の情景 濃厚な地縁
この小説では、高校の同級生たちとの交情も大事な要素になっている。地元の役所に勤める堅実な友もいれば、職を転々とし壊れそうな友もいる。
震災前からの地縁は、それが濃厚であればあるほど、ある時は、あの震災がもたらした災厄が毒を増してしまう。
しかも、この作家は仙台で生まれて地元の大学を卒業した。しかも地元の本屋さんに勤めている、とあるではないか。
ぼくは京都府北部の街、舞鶴で生まれ育った。同級生の何人かは卒業後、役所に勤めたり、商店を継いだりした。でもぼくは半世紀前、高校を出ると名古屋に出てきた。舞鶴にあった実家はすでに売却し、両親の墓じまいもすませている。
この小説は、地縁のうっとうしさや、濃厚なつきあいゆえの苦みもたっぷり含んでいる。それでもぼくは、もし自分がずっと舞鶴にいたかUターンしていたらと想像していた。自ら手放してしまった縁(えにし)のあれこれを…。
■肉体のきしみ
もうひとつ惹かれたのは、祐治が植木職人としてひたすら肉体を酷使しようとする場面の数々だった。物語は冒頭からこんな描写で始まる。
坂井祐治はクロマツの枝を刈っていた。肩の筋肉が熱を持って膨れ、破裂しそうだった。酷使して麻痺しかけている両腕と苅込鋏が一体となって動いた。脇を緩めすぎず、筋肉を絞るように枝を刈る。鋏が意志を持ち、ただ手を添えているだけでよかった。
祐治は震災から2年後に妻を病気で死なせてしまっていた。後妻にも去られ、小学生のひとり息子も父に背を向け始めた。申し訳なさと果てしない悔恨…。その思考回路を単純な繰り返しの力仕事で止めようとする…。
祐治のような苦しみを味わったことはない。しかもぼくの仕事の大半は事務作業で、現場で肉体を使う職人ではなかった。それでも、あの震災が遺した痛みを肉体の酷使が一時でも忘れさせてくれるという感覚はわかりたい、と思いながら読んでいった。
■大震災テーマ 文学は初めて
この小説は2022年下半期の芥川賞に選ばれ、2023年1月19日に発表された。芥川賞はもう1作あり、同時発表の直木賞も2作。しばらくしてから書店をのぞくと、4作が新刊コーナーに並んでいた。
いつものように順に手に取り、帯をながめ、冒頭をざっと読む―。それがぼくの選択法で、今回はすぐ「まず『荒地の家族』を」と買い求めた。決め手は、上述の冒頭の肉体酷使の描写だった。
もうひとつの理由は、東本大震災を主題にした文芸作はたくさんあるはずだけど、ぼくが触れたのは映像の2作しかなかったこと。2021年のNHK連続テレビ小説『おかえりモネ』と、公開中のアニメ映画『すずめの戸締り』。本格的な文学作品を読みたいと思っていた。
『すずめの戸締り』は2月6日に妻と観たばかりだった。いま開催中のベルリン国際映画祭のコンペティション部門で金熊賞を受賞する可能性があり、結果は日本時間26日朝に発表される。それまでにこの本を読み、地元の作家の肌感覚を文字で読んでおきたかった。
■芥川賞は「染みわたる、深い味わい」
芥川賞と直木賞はぼくにとっても本選びの指標になってきた。書評まで書いた作品は直木賞が9冊と多い。エンタメ要素が強いからだろう。でも純文学志向とされる芥川賞も、下記の5作品の書評をこのホーページに入れている。
これまでの読後感をひとまとめにすると、直木賞作は「面白くて、愉しい」。芥川賞作は「染みわたる、深い味わい」。
今回の芥川賞作、仙台のひとたちの心の疼きや作家の覚悟を理解できた、と言い切れるだけの自信はない。でも期待は裏切らなかった。それだけは確かだ。