2 小説 物語に浸る

お菓子が織り成すこころ模様…西條奈加『まるまるの毬(いが)』

行列できる裏通り 還暦職人の「朔日餅」

(講談社文庫、2014年6月初刊)

 朝から雨が降り梅雨入りした月曜日の5月29日、こちらもしっとりした物語に浸りたくなり西條奈加『まるまる毬(いが)』を読んだ。江戸の裏通りにある小さな人気店で、元武家の還暦職人が全国行脚の体験をもとに珍しい菓子をつくりだしていく様が凛々しい。まな娘や孫の看板娘、弟の住職と織りなすこころ模様も、時代小説ならではの滋味をもたらしてくれた。

■季節菓子を安価に 間口一間の繁盛店

 舞台の菓子屋は江戸・麹町の裏通りにあり、名前を「南星屋」(なんぼしや)という。「間口一間のささやかな構え」とあるから表幅は2mしかない。ぼくは名古屋・栄、丸善ビル西側の路地の立ち飲み屋を思い浮かべる。

 小説ではこの小さな菓子屋に開店前から多い時は50人もの行列ができる。江戸ではめったに食べられない菓子を毎日2-3種類ずつ、そのときの季節や気候にあわせて品書きを変えながら出している。

いまなら赤福「朔日餅」を栄の裏通りで毎朝 ?

 これもいまの名古屋で例えるなら、伊勢・赤福が毎月初めに予約制で売っている人気の「朔日餅(ついたちもち)」を、なんと毎朝2種類ずつ品を変えながら、栄の裏通りの地味な店で売っている感じだろうか。しかもあえて「先着順」で。

 しかも「南星屋」の菓子はとてつもなく美味で、価格は近くの大店よりはるかに安い。祖父・娘・孫娘の3人だけで営んでいるから数は限られ、昼すぎには売り切れる。いまのテレビ番組風に紹介するなら「売り切れ御免 毎朝50人が行列 伝説の超人気店」といったところだろう。

■絶品「菓子」の描写 手作業の様子に軸

 こうなると第一の主役は菓子になる。小説は7編の連作からなっていて、それぞれに”活躍する菓子”の名前がつけられている。カスドース、若みどり、大鶉(うずら)…。主役の菓子についての描写には細心の気配りが施されている。

 読み進めるうちにぼくは、描写の中心が、由来や作り方に注がれていることに気づいた。舌触りとか触感とか食味についての記述の比重は小さい。たとえば6章「白砂松風」だと—

 水に白砂糖を煮溶かし、麦粉を入れて、よく練って桶に寝かせておく。冬なら七日、夏なら三日で、表面にぷつぷつと泡が出くる。そこへさらに白砂糖を加えてかきまぜて、薄くのばして焼いたもので、表にはたっぷりと白胡麻をかけてある。
(中略)
 さっくりとひと口噛んだ慶栄が、お、というように目を丸くした。
 「何と香ばしい。これはうまい」
 「甘味は強いが、軽やかだ。胡麻の風味がまたたまらぬな」 

 
 主人公の治兵衛は還暦を過ぎた菓子職人だ。若いころ各地の菓子屋に住み込んで、それぞれの土地にしかない菓子のつくり方をおぼえ、几帳面に72冊ものレシピ帖を作りあげた。そんな男の生き様が物語の軸にあるから、菓子についても由来と作り方が中心になっている。

 筆者はこうも考えているのではないか。作り方なら客観的に文字で表現できる。しかし食味は、人によって感じ方は異なるし、どう感じたかの文字表現も主観的にならざるをえない―。

 菓子の魅力を職人の目線から具体的に描くことで美味を感じさせ、食味表現では曖昧さを意図的に減らしている。それがこの作品をより骨太にしている気がする。

■祖父・娘・孫娘 3代の思いやり

 治兵衛は、武家に生まれたが十歳のときに身分を捨てて菓子職人になった。地方行脚の途中で妻をめとり、その途中に病で亡くした。娘の「お栄(えい)」は出戻りで店を手伝っている。孫の「お君(きみ)」は元気で明るく、店の看板娘だ。

 治兵衛は自分の本当の出自について秘密を抱えている。その葛藤がこころの重荷になってきた。その一方でお栄にもお君にも”事件”が持ち上がる。そのたびに親子三代が相手の心持ちを推し量り、ともに悩み、励まし合う姿は、家族ならこうあってほしいというぼくの理想や思いを代弁してくれた。

(▲ 直木賞を受賞した『心淋し川』)

 なかでも還暦の治兵衛が腹をくくって行動に出るときの振る舞いが、背骨がしゃきっとしていて恰好いい。いま70歳のぼくにはできそうもない。孫娘のお君が感情むき出しで啖呵を切り、祖父と母の気持ちを代弁しようとする場面では、オレもこんな孫がほしい、と思ってしまった。

 このあたりの機微も見事なので、この作品は単なる菓子小説にとどまっていない。この世界観の延長に、6年後の直木賞受賞作『心(うら)淋し川』がある、とぼくは読んだ。

■武家社会の「窮屈」底流に

 もうひとつ、この小説の底流に流れているのは、武家社会の窮屈さではないだろうか。武家の二男でありながら菓子職人になった主人公は、自らの才覚と腕で繁盛店を作り上げている。弟の石海(こっかい)も大きな寺の住職として大事な役回りを演じる。ともに武家の桎梏から自ら離れた、自由な民間人だ。

 とはいいながら、ふたりとも生家とのつきあいを余儀なくされていく。さらに物語が進むにつれて、秘密にされてきた治兵衛の出自が、思わぬ騒動に発展していく。この騒動の決着に菓子がどうからんでくるのかを想像するのも、醍醐味だった。

■料理もの先駆『みおつくし』

(『みおつくし料理帖』10冊)

 この作品に浸りながら、ぼくは頭の半分で高田郁『みをつくし料理帖』と比べていた。こちらは食堂兼居酒屋を舞台に一本気な少女が奮闘するシリーズである。2005年に第1巻の面白さに驚愕し、2巻から10巻も一気に読み、こんな印象記を書いた。

みおつくし料理帖1 八朔の雪』 2015年1月
 主役は料理と一本気の少女 巻末にレシピ

みおつくし料理帖2-10』 2015年3月
 ひと月でイッキ読み 純な澪に導かれ

 『みおつくし』が完結したのは2014年だった。『まるまるの毬』はその翌年の発刊だから、筆者の西條加奈氏は先駆作品を強く意識して書いただろう。

 主人公は『みおつくし』が天賦の才に恵まれた少女澪(みお)なのに対し、『まるまるの毬』は元武家の還暦職人・治兵衛とかなり異なる。澪は定食から酒のつまみまで考え出すが、治兵衛は菓子しか作らない。盛り付けも味付けも違うけれど、読者のぼくには、どちらも、美味だった。

■映画は5作 料理ものにハズレなし

 料理ものといえば、ぼくが味わったのは映画の方が多い。このサイトに印象記をアップしたのは次の5作。観た年とぼくがつけた見出しは—

スープ オペラ』 2011年8月
 スープさえ作ればなんとかなる

大統領の料理人』 2013年9月
 こだわりと奥深さ フランスならではの世界

マダム・マロリーと魔法のスパイス』 2014年11月
 仏と印の奇跡的融合 “隠し味”にハリウッド

深夜食堂』 2016年3月
 漫画より染みたぞ 上質な舞台演劇の味

バベットの晩餐会』2016年5月
 抑制の美しさ 料理の奥深さ

 こうして並べてみるとやはり、料理を扱うなら、映像を使える映画の方が、文字だけの小説よりも、表現者は作りやすく、観客や読者はとっつきやすいかもしれない。しかし味の深さはもちろん、まったく違う次元の話だ。料理ものにハズレなし―。ぼくの『雨読』の物差しのひとつになっている。

こんな文章も書いてます