1 ゴルフ 白球と戯れる

不正 災い 至福  フェアウエーさまよう心模様…江上剛『小説 ゴルフ人間図鑑』

えぐりだされる本性 想わぬ結末の8話


 この球戯は、怖い。耳元で邪悪な誘惑をささやきかけると思えば、信じられないミスを連発する悪病がとりつくこともあり、ひとの本性をえぐりだしてしまう。この小説には、ゴルフにまつわる摩訶不思議なこころ模様が8つの物語に散りばめられ、「ああ、これはあの時の…」と既視感をおぼえながら読んでいくと、どの話にも思わぬ結末が待っていた。この球戯は、奥も深い。
 (日刊現代、2023年12月発行、発売:講談社)

■「卵」…悪魔のささやき

 ゴルフは「あるがままに打つ」と「自己申告」が前提だ。しかし自分のボールが林の中やがけ下など、同伴者から見えない場所にあることは珍しくないから「この球を動かせたら」という邪悪な誘惑を感じたことは、ぼくも何度もある。

 その際の最悪の不正は「卵を産む」だろう。自分の球がOBとわかったとき、ポケットにある予備球をOBライン内側に落として「ありました」と宣言しプレーを続けることだ。

 この小説には、その悪魔のささやきから逃れられない、テレビ局の実力会長が出てくる。ある脅迫事件をきっかけに「卵」行為をしたことがトラウマになっている。部下たちはその不正を見てしまっても咎める勇気はなく、後継者を選べないでいる—。

 「卵」で恐ろしいのは、自分は見ている、ということだ。ゴルフを続けていく限り、自責の念に苛まれるだろう。ぼくは「卵」誘惑にかられるとその地獄を想像する。この小説もそんな教訓話で終わるかと先読みしていたら、予想もしない着地をした。見事な”ショット”だった。

 ■「シャンク」…急襲の災い

<▲カバーにはあの人が>

 ボールは直径が43mmしかない。ドライバーではその小さな球を、秒速40m前後の高速ヘッドが一瞬ではじく。だから、どんなに練習を積んできても、ちょっとしたズレによって意図とはまったく異なる方向へ球が飛んでしまう恐れは、常にある。ゴルフのスイングは、そんな恐怖の連続でもある。

 この小説では、その代表として「シャンク」が出てくる。ボールがクラブヘッドのシャフト付近に当たってしまい、弾が想定よりうんと右側へ飛び出してしまう。ぼくはこのミスが出るとき、事前に兆候がない。しかも繰り返してしまうことがままある。

 小説ではあろうことか、主人公はこのシャンクを別の目的に使おうとする。そのあたりの心理と展開は、普通のゴルフ好きの予想を裏切る形で進んでいく。予定調和にならない筋立ては「人間図鑑」と題する所以でもあろう。

■「エース」…一転 災いに

<▲写真①ぼくのゴルフ本>

 この球戯にはプレーヤーに「思わぬ至福」をもたらす神様がいる。その代表は「ホールインワン」。パー3のショートホールで、第1打をそのままカップインさせてしまうことだ。「エース」ともいう。確率はどれくらいだろうか。

 ぼくは年に50ラウンドする生活を38年も続けてきて、ホールインワンは2回、経験した。ラウンドの累計は50×38=1900回になり、ショートホールはコースに4つずつあるから、1900×4=7600回、PAR3の第1打を打ったことになる。つまり確率は2/7600。これが高いのか低いのか、想像がつかないが、めったに出ないことは確かだ。

 しかしこのホールインワン、「めったにない祝い事」だけに、思わぬ災いをプレーヤーにもたらすこともある。ぼくがゴルフを始めたころから、達成者は自腹で、その時の同伴者やコンペ参加者に記念品を贈ったり、記念植樹をする習慣があった。その費用を賄うためホールインワン保険に入る人はいまも多い。

 この習慣は今も続いているようだけど、お祝いの仕方はかつてより地味になり、保険金額も少なくなってきているようでもある。

 この小説の中でも、この災いをテーマにした物語があり、後半の展開に驚き、作家の創作力に舌を巻いた。いやあ、面白い。これだからゴルフも、そして小説もやめられない。

■2歳下でほぼ同郷 ”弾道”は想定外

<▲カバーの筆者略歴>

 筆者は元銀行マンで、企業小説をたくさん書いてきた。1954年1月、兵庫県中部の山南町(現丹波市)の生まれ。ぼくは学年がひとつ上の1952年6月生まれで、北東へ70kmほどの京都府舞鶴市出身だから、ほぼ同世代で同郷と感じてきた。

 ただぼくが読んだのは『腐敗連鎖』だけだった。主人公たちは、筆者と同郷同世代に設定されていた。しかも筆者は銀行時代に1980年代のバブル経済と崩壊を経験しており、この小説では、バブルとは何だったのかに迫っていたのが、読んだ理由だった。

 このゴルフ小説は行きつけの書店の新刊コーナーでたまたま見つけた。ええっ、この作家、ゴルフ小説も書くのかと驚き、すぐに思った。ぼくら世代で大学を出て銀行に勤務したら、ゴルフをしてないわけがない―。企業とサラリーマン文化に詳しい作家が古稀になり、どんなゴルフ小説を書くのか—。

 その好奇心は裏切られなかった。文章によるショットは、ストーリー構成力という弾道において、ぼくの読みを見事に裏切り、頭上のうんと上を通って、はるか向こうに着弾していったのである。

■ゴルフ小説8冊目 読み直す愉しさ

 ゴルフは活字と相性がいい。たくさんの本があり、もっとも多いのは技術書だろう。名コース体験記とかエッセイ、評論も楽しい。ぼくの本棚にも80冊ほど並んでいる(写真①)。

 いちばん好きなのは小説だ。これまでに読んだ8冊は印象記をこのサイトに収録している。発行年の順に並べると—

山際淳司『ゴルファーは眠れない』(1992年)
村上龍『368Y Par4 第2打』 (1993年)
佐野洋『4000文字ゴルフクラブ』(1998年)
S・プレスフィールド『バガー・ヴァンスの伝説』(2001年)
中原まこと『いつかゴルフ日和に』(2007年)
P.Gウッドハウス『笑うゴルファー』(2009年)
T・ボウデン『最高の人生の見つけ方』(2012年)
伊集院静『あなたに似たゴルファーたち』(2012年)
江上剛『小説 ゴルフ人間図鑑』(2023年)



 ベスト3を選ぼうと何冊かの短編を拾い読みしたら、ついひき込まれてそのまま3本、最後まで読んでしまった。筋は知っているのに、細部に新しい面白さがある。フェアウエーとグリーンで悔恨と歓喜を重ねたことで、魔力と奥深さへの感度が増している。読み直しの愉しさ、これもゴルフ小説ならではと知った。

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