7 催事 肌感で楽しむ

きらびやかな虚構空間  「アートと炎上」考…『大吉原展』

遊郭文化の洗練を展示 宣伝に批判

 (東京芸術大学美術館、3月26日~5月19日)

 東京・上野の東京芸大美術館で『大吉原展』を観てきた。幕府公認の遊郭だった吉原は3万坪の超人工的な街区で、数千人の遊女と客と歌舞音曲が昼夜うごめく流行の最先端であり、浮世絵師が絵筆を競ったきらびやかな虚構空間だった、とあらためて知った。ただ現実の遊女は借金返済のため売春せざるをえなかった負の側面に言及はあっても具体展示はない。開幕前の宣伝がエンタメを前面に出したことに批判が出てネットで炎上していたことを、名古屋に戻ってから知った。

洗練の極致 非日常の虚構

歌麿『吉原の花』…圧巻の肉筆大作

 会場には絵画や錦絵、工芸品など230点が展示され、中心は浮世絵だった。なかでもぼくがもっとも熱心に見入ったのは、喜多川歌麿の『吉原の花』だった。歌麿の肉筆画では最大級とされ、吉原を描いた3部作「雪 月 花」のひとつとして有名だ。展覧会のポスターやチラシ、屋外看板にも使われている。


 咲き乱れる桜のもとで、女性や子どもら50人ほどの群像が大画面に描かれている。女性は派手な着物をまとい、踊ったり、もてなしたてり、話し込んだり…。目を近づけ細部をなめるように見ても、どんな細かな線にも、ゆるみも淀みもない。その筆致の完璧さにうなってしまう。洗練が極致に達している。

 3部作のひとつ『品川の雪』は、2019年6月に訪れた箱根の岡田美術館で観たことがあった。縦が2m、横が3mほどの大作に圧倒された。今回の『花』もほぼ同じ大きさがあり、やはり、その構成はゆるぎがなく、隙がない。

■「超」人工街区…20数回の焼失そして再建

 もうひとつ、ぼくが関心を持ったのは、吉原という街の都市的な構成や建築だった。広さはおよそ3万坪、約10万平方メートル。ざっと310m 四方だ。中央の目抜き通り「仲の町」を軸にして、大小の路地が碁盤の目のように配されていた。

 当時の街並みを再現したCG画像は、遊客の目線で街をめぐっていく。余分なものを配したリズムと整った軒線、スマートで近代的な街並み…。パネル説明には、吉原は20数回も全焼し、そのたびに建て直されたとあった。管理・経営する男たちは再建のたびに余分な要素をはぎとっていったのだろう。


 スマートで近代的という印象は、遊郭建築を模型再現したコーナーでもっと強まった。辻村寿三郎が制作した精緻な人形も配してある。庇や窓や縦格子のどれも完成度が高い。階段から廊下、廊下から部屋への連なりも滑らかで、どの空間も密度に濃淡がない。

■小説では馴染みの世界

 この吉原、ぼくの好きな時代小説でも何度も出てきた。このサイトに印象記を公開している以下の3作でも、大切な場所としてひんぱんに出てくる。

 佐伯泰英『居眠り磐音 江戸草紙』 主人公の故郷にいた許嫁、奈緒とは不幸な出来事で離れ離れになるが、奈緒は吉原の太夫にのぼりつめ江戸で再会する
 高田郁『みをつくし料理帖』 主人公は浪花育ち、幼友達も江戸にきて大夫になる
 隆慶一郎『吉原御免状』 題名通り舞台がずばり吉原だ

 ただ「吉原」そのものの成り立ちや背景、運営主体までは書いてない。遊女が送り込まれてくる仕組みや売春を通じた女性搾取についても、なんとなく頭ではわかったつもりではいたけれど、真正面から取り上げた本を読んだことはなかった。

■あいさつ文に「吉原美化の意図なし」

 今回の大吉原展、当初めざした展覧会の行列に嫌気がさしたこともあり、予備知識なしに会場に入ったのだが、チラシや入り口の主催者あいさつの文章を読んだ時、ちょっと違和感があった。こんな文章(ゴチック部)があったからだ。

 江戸の吉原は、約250年続いた獏公認の遊郭でした。遊郭は、前借金の返済にしばられ自由意思でやめることのできない遊女たちの犠牲の上に成り立っていた。現在では許されない、二度とこの世に出現してはならない制度です。一方で、江戸時代における吉原は、文芸やファッションなど流行発信の最先端でもありました。
 (中略)
 本展に、吉原の制度を容認・美化する意図はありません。国内外から吉原に関する美術作品を集め、その一つひとつを丁寧に検証しつつ、江戸時代の吉原の文化を再考する機会として開催します。

(チラシの説明文から)
<▲チラシの裏面>

 美術展にしては、妙に堅苦しい文章だなあ。テレビがひと昔前のドラマや映画を放映するとき、テロップで流すお断り「今日では差別的とみなされる表現が一部にありますが、原作の意図を伝えるためそのまま放映します」みたいだ―。なぜ、あえて?

 でも実際の展示を観ていくと、美術品や工芸品のそれぞれの魅力に引き込まれ、初めに感じた違和感は忘れていった。「遊女たちの犠牲の上に成り立っていた」という視点の具体的展示はなかったけれど、気にはならなかった。ぼくが男だからだろうか。

 美術品や工芸・文芸品を通じ「文芸やファッションなど流行発信の最先端」を感じることができた。「江戸時代の吉原の文化を再考する機会」にもなった。ぼくは「中尊寺にしなくて大正解だった」と思いながら、会場を後にしたのだった。

名古屋に戻り知った「炎上」

■エンタメ前面のコピー文に批判

 この展覧会が開幕前の2月からSNSで”炎上”したと知ったのは、名古屋の自宅に戻ってからだった。この印象記を書くためにも、狙いや背景をもっと知りたくて「大吉原展」をグーグル検索したら、公式HP案内のほかに、「炎上」とついた記事がいくつも並んでいた。なに、これ? 

 そのひとつ、弁護士ドットコムニュース編集部が2月8日夜に配信した記事によると、開幕前の「大吉原展」公式サイトはピンクを基調とし、こんなキャッチコピーが並んでいた、という。「エンタメ大好き」「イケてる人は吉原にいた」「美術館が吉原になる」「お江戸吉原はイベント三昧」「ファッションの最先端 吉原は江戸カルチャーの発信地」…

 コピーや展示内容が明らかになってくると、SNSでは批判の声が上がりはじめた。
 その多くは「女性の人身売買や性暴力がおこなわれていた歴史に触れていない」「エンタメや遊園地のように扱って吉原を美化している」という。

(弁護士ドットコムニュース編集部)


 主催団体の筆頭に東京芸大の名があり、会場もこの大学の美術館だったことも影響したようだ。民営の美術館ならまだしも、美術教育の頂点に立つ国立大学が行う展示にふさわしいかという視線だ。芸能界の著名人による性加害事件が相次いで問題になっていたことも背景にあっただろう。1月26日に始まっていたTVドラマ『不適切にもほどがある!』の余波もあったかもしれない。

■「広報の在り方」見直す

 公式ウェブサイトをみると、批判を受けて主催者は2月8日に「ご説明」を掲載していた。その中に次のような文章があった。

 この空間はそもそも芸能の空間でしたが、売買春が行われていたことは事実です。
 前借金の返済にしばられ、自由意思でやめることができない遊女たちが支えたものであり、これは人権侵害・女性虐待にほかならず、許せない制度です。
 本展では、決して繰り返してはならない女性差別の負の歴史を踏まえて展示してまいります。

(公式WEBサイトから)

 こうした姿勢が、サイトの冒頭に掲げてある「広報の在り方の見直し」と、チラシの説明や会場入り口のあいさつ文に反映されているのだろう。展示品の選択や説明にも修正があったかもしれない。

 名古屋の自宅でチラシをあらためてながめていると、目を引くうたい文句が見出しにないことにも気づいた。「YOSHIWARA 歌麿 広重 北斎」。固有名詞が並んでいるだけだ。これも批判を受けての対応だったかもしれない。

「YOSHIHARA」は古くて、新しい

 主催3団体の2番目が東京新聞であることも、名古屋に戻ってから知って、すこし驚いた。ぼくが4年前まで勤めていた中日新聞社の東京本社だ。かつての同僚が企画や運営に携わっていた可能性は高い。性加害や人権にはとりわけ敏感であるべき新聞社として、今回の批判や炎上はつらいものだっただろう。

 昨年読んだ橘玲『世界はなぜ地獄になるのか』の内容を反芻している。社会のリベラル化がもたらす影と毒を直視し、現代人に生きにくさを感じさせていると書いている。事例に挙げられている「キャンセルカルチャー」の延長上に今回の”炎上”はあるだろうか。

 残念ながらこれ以上の論評を書く知識も能力もぼくにはない。吉原の起源は1617年にさかのぼり、良くも悪くも、江戸文化の象徴のひとつだった。400年後のいま、ぼくの頭の中を二項対立がぐるぐるとまわっている。「YOSHIWARA」は古くて、新しい。

「江戸文化洗練の到達点」 vs 「吉原における女性搾取」
「魅力を強調したい広報 」vs 「ポリティカル・コレクトネス」

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