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元首相銃撃には黒幕 第2狙撃者が致命弾…フィクション小説『暗殺』

「単独犯」否定 動機も大胆見立て

 安倍元首相が銃撃された2022年7月8日から2年になる梅雨の初め、小説『暗殺』を読んだ。元統一教会に恨みをもつ宗教二世の単独犯行ではなく、黒幕たちが周到に準備し、致命傷の銃弾は”第二の狙撃者”が撃ったという筋書き。「フィクション小説」とはいえ、動機と黒幕の顔ぶれは予想外だった。昨年1月の映画『REVOLUTION+1』では83歳監督の胆力にうなり、今回は、政治の裏の淀みや軋轢を重ねあわせる大胆な見立てに驚いた。

 (幻冬舎、柴田哲孝著、2024年6月20日発行)

■「銃撃」ではなく「暗殺」

 あの事件をめぐっては、昨年半ばから「疑惑の奈良県警」「単独犯説への不信感」などの見出しを「月刊hanada」の新聞広告で何度も目にした。「元首相支援の雑誌だし、我らの大政治家が教団憎しの銃弾で命を落とすなんて、という無念が強いのだろう」と思い、記事を読んだことはなかった。

 そしてことし6月22日朝、朝日新聞朝刊を開いてびっくりした。2面下4段の書籍広告に『暗殺』の白抜き文字が浮かび上がり、横に「本当に”彼”が元総理を撃ったのか?」とある。

<▲6月22日の朝日新聞朝刊に載った書籍広告>

 題名の「暗殺」は「政治上、思想上の対立を動機にして無防備の要人を殺すこと」(新明解国語辞典)だ。単なる「銃撃」より重くてドロドロしたものが底にある。過去に暗殺された要人は枚挙にいとまがない。日本なら 犬養毅首相(五・一五事件)、高橋是清蔵相(二・二六事件)、浅沼稲次郎社会党委員長、米国ならケネディ大統領、キング牧師と続いてきた。

 この小説のもうひとつの惹句には「35年前に起きたある未解決事件との繋がりが見えた時、全ての陰謀は白日の下に晒される―」とある。2022年の35年前は1987年、ぼくが名古屋経済部にいたころだ。「まさか、朝日の神戸支局員が撃たれた事件?」「あの赤報隊と関係?」…

 著者の柴田哲孝氏は『下山事件 最後の証言』の作家だという。読んだことがない作家だけど、出版は話題大作を連発してきた幻冬舎である。これは読まなきゃ…。

■冒頭に「フィクションである」

<▲冒頭のページに1行…>

 本を開くと、目次の次のページにこう出てきた。「この物語はフィクションである」。ど真ん中にたった1行だけ―。フィクション(小説、作り話、虚構)という形式を借りて大胆な見立てを示します、という筆者の意志表明にみえる。

 もしかして、と最終頁まで飛んだら、やはりだめ押しもあった。「本作には実在の人物・団体・文章等が一部登場しますが、あくまで創作の材とするものであり、実際の事件・社会問題等とは関係ありません」

 読み進めると、実際の事件や出来事がそのまま出てきたり、重要な固有名は容易に想像できるのにあえて変えてあったりした。安倍晋三→田布施博行、山上徹也→上沼卓也、世界統一教会→世界合同協会、といった具合である。

■ 5つの大きな”フィクション”

<▲本の帯には新聞広告と同じ惹句が並ぶ>

 小説はほぼ時系列に進む。登場人物が多いので、途中で何度も「あれ、この男はだれだったっけ」とつまずきながらも、3日かけ読み終えた。ひと晩明け、疑問点を確認しながら読みかえすと、強くパンチを感じた”フィクション要素”は次の5つだった。

① 原点は1987年「朝日支局銃撃事件」

 朝日支局事件はプロローグにいきなり出てくる。1987年5月3日夜、朝日新聞神戸支局を覆面男が訪れ、無言のまま散弾銃を2発発射し、記者ひとりが死亡し、ひとりは右手小指と薬指を失った。発生3日後に「赤報隊」の名で「反日分子には極刑あるのみ」という犯行声明が通信社に送られた―。

 9月には朝日新聞の名古屋社員尞も標的になったので、ぼくは身近に感じ「何だよ、これって」と身構えた感覚を覚えている。

 このプロローグだけ、固有名も実名のまま書かれている。概要は何度も詳しく報道され、2003年3月には未解決のまま時効となっているからだろうか。

 物語はこのあと本題の安倍元首相銃撃事件に移り、”シャドウ”とよばれる第二の狙撃者が出てくる。この男が旧統一教会の武装組織と深いつながりがあることや、なんと、朝日事件の狙撃者と同一人物である可能性を浮上させていく。

② 動機は新元号「令和」への反発

 捜査当局の発表では、山上徹也容疑者の動機は、家庭をめちゃくちゃにした旧統一教会を日本に呼び込んだのは岸信介元首相で、孫の安倍元首相も関連団体大会にメッセージを送るなど親密だったから、とされている。

<▲映画館のホームページから>

 容疑者が家庭崩壊で味わった苦痛は、昨年1月に観た再現映画『REVOLUTION+1』でも描かれていて、想像を絶していた。とはいえ、元首相は教会のリーダーではない。銃撃する動機として弱い感じは、ぼくにもあった。

 小説『暗殺』では、「民族派右翼の巨魁」と呼ばれた高野晃教という男が黒幕として登場し、新元号として「令和」を選んだことに強く反発し”同志”たちと安倍元首相の暗殺を企て始める。えっ、「令和」が動機になるの ? ぼくは予想もしていなかった。

 当時の安倍首相や菅官房長官は、国書・万葉集の序文が出典であると強調した。保守派の賛同も得ようとしたとの解説もあった。ところが小説の高野は、次ように読み解く。

 日本を支配する他民族の主導者が、日本人を”掟”で縛り、”言いつけ”、  ”令旨(りょうじ)”を下すという旨意を含んでいる。(21p)

 この「他民族の主導者」は旧統一教会で、創設者は自らをメシアと名乗り「日本を韓国の”僕”と位置づけ、天皇に土下座して謝罪せよとまで言った男だ」―。安倍元首相はそんな団体と祖父から3代にわたって蜜月の関係を保ってきた—。しかも新天皇即位の5月1日は統一教会創設記念日ではないか—。

 このフィクション小説の最大の肝はここにある。うなずけるかどうかは読者次第、その人の心情や統一教会の知識しだい、だろう。

③ 反安倍派議員が関与

 暗殺を企てた黒幕・高野が協力を求めた相手に、「反安倍の衆院議員、豊田敏雄」が2度目の打ち合わせから出てくるのにも、驚いた。

 小説で豊田議員は、事件の前日、元首相の秘書の携帯にみずから電話し、翌日の遊説先が白紙になったのなら、奈良県の近鉄大和西大寺駅前で2度目の演説をやってほしい、と頼み込んでいる。しかも「北口」で、と―。南口より警備が手薄になりやすく、暗殺シナリオに組み込まれた場所だ。とても重要な役割だ。

 「反安倍」というだけでは、ここまで関与する理由が伝わってこない。後半で政界通が女性記者への解説で、自民党の政治資金パーティーの裏金をめぐって安倍派と対立があったとか、2020東京五輪の利権を安倍派が独占したことに強い不満を抱いていた、と背景を語っているだけだ。

 元首相暗殺謀議と分かっていて本人が出たり、殺害場所指定につながる大事な電話を本人がするだろうか—。いかにフィクションとはいえ、乱暴な見立てにみえる。

④ 警視庁・防衛省が「裏実務」

 暗殺計画の最初の黒幕会議から、警視庁OBと、防衛省統合幕僚監部の現役職員が加わっているのも、ぼくには「まさか、そんな…」という”フィクション”だった。

 警視庁OBの指示を受けたらしい警視庁警備部員が、なんと、元首相のSPのひとりとなっている。元首相の背後につき、シナリオ通り進むよう、銃撃前後の現場を仕切っている。

 もうひとりの防衛省職員は、宗教二世を銃撃事件に引き込む役割をになう。彼が自衛隊に3年勤めていたことから、自衛隊の闇の組織のひとりとして”飼ってきた”ことになっている。

 さらに防衛省職員は、第二の狙撃者を韓国から日本に呼び戻し、エアライフル銃とアマルガム弾を与えて訓練させ、現場近くのビル5階に狙撃部屋まで用意している。

 ここまでくると、なんと大胆な見立て、というしかない。もし警視庁と防衛省の職員が、これほどあからさまではなくても、少しでも暗殺に関与していることが明らかになったら、トップの首が飛ぶだけではすまないだろう。

 筆者はもちろん、そんなことわかった上だろう。これくらい大胆な筋立てににしないと、この暗殺はなしえなかったとの判断だろうか。あるいは、もっと薄い形なら関与があった可能性があり、だから捜査当局は単独犯で押し通そうとしている、とみているのかもしれない。

 いずにしても、フィクション小説でしか書けない見立てであることは確かだろう。

⑤ 体内に残らない「アマルガム弾」

 この小説でもっとも詳細な記述が多いのは、銃と弾の技術論だ。実際の銃撃の瞬間はたくさんの映像が残され、司法解剖の結果が公表され、医師も会見で説明した。小説の雑誌記者は次の2点から単独犯に疑問を抱いていく。

 <疑問1> 元首相の右頸部から心臓に届いた弾が致命傷になった。しかし山上容疑者からは撃てない弾道である。

 <疑問2> 致命傷になった銃弾は元首相の体内からも、現場からも見つからなかった。なのに現場捜索は5日後だった。

 小説では、疑問1には、”シャドウ”が向かいのビルの5階から撃ったからとしている。疑問2は、体温で溶けてしまう「アマルガム弾」を使われたからで、当局はそれを知っていたからとしている。

 宗教二世の容疑者が、自宅で銃と火薬を製造する場面はとても詳細だ。”シャドウ”が防衛省職員の援助を受け銃と弾の試験を繰り返す場面も専門的な記述に満ちている。ぼく自身は、銃と弾の詳しい記述についていくのはしんどかった。読んでもよくわからない。ガンマニアであれば、この部分、どきどきしながら読むのだろうか。

■膨大な取材とフィクション

<▲巻末の筆者紹介>

 ぼくが新聞の編集現場を去ってから12年もたっている。本を書いたこともない。だから直感でしかないのだが、筆者は途方もない量の取材を重ねたはずだ。6月22日広告の惹句「精緻で膨大な取材」は誇張ではないだろう。そのうえで、あえてフィクションの小説という形式をとり、大胆な見立てを提示している。

 元記者のぼくはノンフィクションという形式もあったのではないかと想像してしまう。取材した材料だけをもとに、核心に迫る手法だ。柳田邦男が航空事故や医療もので駆使し、沢木耕太郎が奥行きある人物像の造形に使った。もちろんこの手法では、憶測や安易な見立ては書けないので、職業倫理と抑制が求められる。

 筆者は取材のなかで「黒幕がいた暗殺」「第二の狙撃者がいた」との見立てに手ごたえを得たのだと思われる。多くの事象が複雑に絡み合っており、ノンフィクションで説得力を持たせるのには限界を感じたかもしれない。文字を使った表現者として、手ごたえをもっとも伝えやすい形式としてフィクション小説を選択したと想像する。

■あと5日で「事件から2年」 

 あと5日でことしの「7月8日」がくる。多くのメディアが「安倍元首相銃撃事件から2年」を振り返り、「単独犯に残る疑問」もどこかが伝えるだろう。山上徹也容疑者の公判はまだ始まっておらず、新たな情報は少ない。大胆な見立てに立ったこのフィクション小説は、どう位置づけられるだろうか。

 黒幕にあげられた防衛省や警視庁は一笑に付すだけだろうか。「反安倍の衆院議員」のモデルは実名が出てくるだろうか。旧統一教会はどんな反応を示すだろう。

 もしかすると、みんなが「フィクションですから」と黙殺する可能性も高い。もしそうなったらなったで、ぼくは、こんな無反応の社会もまた怖い、とがっかりする気がする。

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