8 街歩き 建築を味わう

モダニズムと和の四重奏 坂倉準三「カマキン」のいま…鎌倉文華館

白い箱 ピロティ 中庭 束石…普遍と日本

 親族の納骨式が鎌倉のお寺で7月16日にあり、参列後、鶴岡八幡宮の境内にある「鎌倉文華館 鶴岡ミュージアム」を初めて訪れた。もとは坂倉準三が設計した神奈川県立近代美術館(愛称カマキン)だった。2016年の閉館後、本館を八幡宮が継承・改修し2019年にオープンした。かつての「戦後近代建築の代表作」は、ていねいな修復をへて、「モダニズム」と「和」のカルテットを奏でていた。

 (2024年7月16日、鎌倉市・鶴岡八幡宮)

開館は昭和26年 初の訪問

<①パリ博日本館=「近代建築史圖集」から>

 神奈川県立近代美術館は1951(昭和26)年に開館した。ぼくが生まれる1年前である。有名になる要素はそろっていた。

・坂倉準三は巨匠ル・コルビジェの弟子で、1937年パリ博での日本館設計でグランプリを受賞していた(写真①)
・場所は鶴岡八幡宮の参道の横、平家池のほとり(写真②)
・鎌倉にある「日本初の近代美術館」だから愛称は「カマキン」、企画力も図抜けていた

<②八幡宮とカマキン=「有名建築その後①」(1980)から>

 ぼくが1971年に名古屋に来て建築学生になった時から「カマキンの白い箱とピロティ」は有名で、写真は何度も眺めてきた。しかし、この目で見たい建築としては、坂倉より後の世代になる磯崎新や原広司、安藤忠雄、伊藤豊雄らの設計作品を優先し、カマキンは見ることががないまま半世紀が過ぎてしまった。

 閉館から8年 八幡宮が名建築を継承

 『鎌倉文華館』でもらったガイドによると、神奈川県立近代美術館は神奈川県が鶴岡八幡宮の所有地を借地する形で建てた(写真②)。借地契約は2016年までで、県が建物は壊し更地にして八幡宮に戻す約束だった。しかし建築保存運動が高まり、本館だけは八幡宮が譲り受け、改修を施して2019年6月から「鎌倉文華館 鶴岡ミュージアム」と名を変えてオープンしていた。

「四重奏」…合唱フェスの”残響”から

 訪問は今回が初めてだから、もとの建物の構成や、どんな改修がなされたのか知識はなかった。本館だけ残されたこと、新館を壊した跡に新しい入り口がつくられたことも現地で知った。

<③合唱フェスのパンフ>

 だから、まっさらな気分で館内をぐるぐると見て回った。1時間ほどいてから、池をはさんだ側のカフェに移動。一緒に行った妻とコーヒーを飲み、あらためて外観を見ながら、自分の印象をどうまとめればいいか思案した。いくつかのキーワードが浮かんできた。

 意匠を構成している要素は「白い箱」「ピロティ」「細い柱」「束石」「池と中庭」「大谷石」…

 抽象的な概念なら「モダニズム」「日本的な和のイメージ」「軽快」「清潔」「リリシズム」…

 名古屋の自宅に戻り、それらを頭の中で転がしていると、突然、「カルテット(四重奏)」という語が浮かんできた。その前の週末に参加した「全日本男性合唱フェスティバルIN松本」(写真③)の”残響”に違いない。

 そこで初めて聴いた「バーバーショップハーモニー」にしびれたのだ。4人が別々のパートを自在に歌う、カルテットのアカペラ。そのときの4パートを「カマキンのいま 鎌倉文華館」にあてはめみた—

<主旋律> 池にせり出す「軽快な白」

 なんといってもまずは外観だろう。池にせり出した横長の白い箱、バルコニーのへこみがモダーンだ(写真④⑤)。コルビジェ言語ともいえるピロティが「軽快さ」を加えている。

<副旋律> ピロティ支えるI型鋼の「細さ」

 そのピロティを支えるI型鋼は、驚くほど、か細くみえる。とくに池に面した南側1階のテラスに並ぶ6本は、黒さが細さを際立たせている(写真⑥)。軽快さをさらに下から奏でているようだ。

<中音部> 池に面し中庭もある「開放」

 館内の展示を見ながら歩いていると、コーナーを回ったり、2階に上がったり、1階に下りたりするたびに、真ん中にある中庭が目に入ってくる(写真⑦⑧)。視線が南側の平家池と行ったり来たりする。その後の美術館の展示室は閉鎖的なところが多いから、この開放性、まわりに開かれた感じは新鮮だった。

<低音部> 大谷石と束石から香る「和」

 1階には大谷石がふんだんに使われていた(写真⑨)。茶色っぽい多孔質の肌合い、点在する茶色の斑点…。この石は栃木県大谷町付近で採掘され、日本家屋の外壁や蔵でも使われてきた。

 同じ1階のテラスが面している平家池には、束石(つかいし)がI型鋼を支えていた(写真⑩)。日本の古建築で木の柱を支えるように—

鎌倉出身の養老孟司「蟲(むし)展」

 訪れた時は、養老孟司氏らの昆虫コレクションを集めた「蟲(むし)展」が開かれていた(写真⑪⑫)。養老氏は地元・鎌倉出身の解剖学者。著作も多く、ぼくも『バカの壁』超バカの壁』『死の壁』を読み、書評をこのサイトに入れている。

 建築を観るのに気をとられ昆虫まで気が回らなかったけれど、この建物はこうした展示の方が向いている気がした。美術館としては規模が小さく、高級絵画を展示するには空調や照明の設備が条件をクリアできるか不安が残る。だからこそ「鎌倉文華館」という名前なのかもしれない。 

■岐阜出身 名古屋にも作品多数

 坂倉準三は1901(明治34)年に現在の岐阜県羽島市で生まれた。だから、ぼくが住む名古屋やその近郊でも、たくさんの建物を設計している。ぼくが実際に訪ねたことがあるだけでも4つある。

  • ・羽島市役所(1959年)
  • ・中産連ビル(1963年)
  • ・名古屋近鉄ビル(1966年)
  • ・岐阜市民会館(1967年)  

 あらためてこれらの建物の印象も思い浮かべると、やっぱりカマキンは別格だった、と思う。モダニズムに立脚しつつリリシズムがある。鉄骨らしい軽さに立脚しつつ清潔な豊かさもたたえている。それらが自然に融合していた。なんでも、この目で見ないとわからないものだ。訪ねて、よかった。