驚嘆・笑い・親近 史料から発掘
(ゴルフダイジャスト社、2018年発刊)
英米のゴルフ場や図書館に眠る古今のゴルフ史料を漁り、ゴルフに魅せられてしまった古今東西の男たちの愛すべき物語を発掘してよみがえらせてくれる。気品と洞察に気取りと皮肉を散らしながら「ゴルフの魔力」に迫っていく。いつの世も変わらぬゴルフ馬鹿の行いに驚嘆したり笑ったり親近感を感じて「読む」楽しみを味わった。そしていま、こうして印象記をつづりながら「書く」悦びにも浸っている。なんという贅沢な球戯だろう。
■副題は「Best of Best」
「Best of Best」という副題がついている。収められた36編の初出は、週刊ゴルフダイジェスト誌に1990年から連載した『アームチェア・ゴルファーズ』だった。筆者が2000年に65歳で亡くなると2007年に『夏坂健セレクション』全6巻が発刊された。
この本は6巻の中のさらに選りすぐり36編を選んで1冊におさめ、2018年に発刊された。ことし11月中旬、久しぶりに訪れた丸善名古屋店で見つけて、無性に読みたくなった。
連載の『アームチェア・ゴルファーズ』は”書斎探偵のゴルフ版”の意だろう。ゴルフ場や図書館の古い史料や書物から、過去に実際にあった面白い話を見つけ出し、現代文で再現しよう―。筆者の”探偵ぶり”の一端が、この本でもさりげなく出てくる。
その日も、蓄積された膨大な知性が歳月のカビに浸食されつつある大英図書館の片隅に座って、アンドルー・ラング(1884~1912)のゴルフに関する書物をめくっていた。不意に信じられない数字が目に飛び込んできた。
「1428年」(中略)
やはり、これは大発見というべきだろう。ゴルフに関する最古の文献としては、1457年3月6日、ゲームに熱中するあまり武技訓練を怠る風潮に歯止めをかけるべく、スコットランド議会が発した「ゴルフ禁止令」がとみに有名だ。
<「西暦1482年の『ゴルフ場殺人事件』p134>
大英博物館の片隅でゴルフの書物をめくっていた―。さりげない記述にあふれる知的さ、カッコ良さ。しびれるなあ。
■ぼくの好き度なんて遠く及ばない
この本に登場してくる人物たちのゴルフ愛着度は半端ではない。史実に基づくとはいえ、少しは脚色や誇張はあるだろうが、そんなことどうでもいいと思ってしまう。たとえばこんなくだりを読むと、ぼくの好き度なんてとても及ばないとあきれ、半分どこかで、ほっとしてしまう。
イングランドに向かった少年は、3巨人のゲームに密着、目を血のようにしながら名手たちのスウィングを観察する。
アドレスの形をすっかり記憶するだけでも5日を要したそうだ。テークバックでは、どこが最初に始動するのか、トップで右腰と右腕は均等に回転するのかしないのか、見たままノートに記して、それを後で整理したところ、14冊にも達したという。
<「見て盗み、真似るのが極意」P126>
「悲しいときには、隠さず悲しみに浸りながら球を打つ。すると悲しみが飛んでいく。うれしいときには、喜び一杯にスウィングする。今度は喜びが大空を飛翔して、もっとしあわせな気分になれる。コースは心身浄化の場所なのよ」
<「ラリーさんの回転木馬」P168)
「ほかにすることもなし、アプローチの研究ばかりしとるのさ。こいつは野球のトスと同じでな、根気よく続けとるうちに無意識の距離感が身につきはじめる」
<「日は静かに流れ」P192)
ゴルフという球戯は、いったんその魅力に触れた人をなにもかも忘れて没入させてしまう魔力を秘めている。その不思議は、地球に生まれた15世紀から各地でいろんな形で噴出し、繰り返されてきたのだと、とあらためて感じさせてくれる。
■シングル35年維持 随所に本質論
筆者は1935年生まれ。ぼくより17歳年上だ。以前に読んだ『ゴルフを以って人を観ん』の筆者紹介には「35年シングルを維持し、北極圏から南米チリまで、世界中のグリーンを席巻」とあった。だからこの本でも随所に、本質に迫るフレーズがいくつも出てくる。その一部を拾うと―。
ご存じのように、われらの熱愛するゲームでは、練習不足ほど不安なものはない。ひとたびこのゲームを始めたならば、上手へたは別として、絶えず「練習せねばならぬ」という強迫観念にも似た思いにせき立てられる。
<「夜明け前の大男」P89>
それでもなお、あっ気ないほど短い泡沫(うたかた)の歳月の中でゴルフと巡り逢えたものは幸せである。この素晴らしいゲームに魅せられたことで、とりあえず冬の日溜りを盗む蠅のように寂しい時間を持て余すこともなかったのだから。
<「いまわの際の愛しのゴルフ」P121>
習性の中でも、とりわけ色濃いのが「前進本能」と呼ばれるシロモノである。ティーマークぎりぎりにボールを置くかと思えば、針の穴ほどのチャンスに賭けて林の中から無理をする。(中略)果てはグリーン上、ボールを突っつくようにしてマークを置くと、次にマークの数センチ先にボールをセットする。
<「スコアメークの方程式」P128>
英国や米国の大昔の物語を紹介しながら、日本のゴルフ場やゴルファーへの皮肉や警句をちくりちくりと交えるのも、おかしい。
■想像力と「開高ばり修辞力」
ぼくの座右の書『痛快、ゴルフ学』(2002年、集英社)は、ゴルフを27部門の学問をテコにして分析している。
その25章「ゴルフ文学」で鈴木博之氏は「ゴルフ史家やゴルファーたちの記録遺産を、わたしたち今日の日本人ゴルフ愛好家のための読み物に生涯を捧げてくれた今は亡き作家が2人います。攝津茂和さんと夏坂健さんです」と書く。そして夏坂さんの文体をこう評している。
夏坂エッセイの真骨頂は、果てしなく翔(と)んでいく想像力と開高健ばりのエスプリの濃厚な修辞力にあります。その登場人物がさもそう口にしたであろう名セリフやそのやりとりの場面を活写してみせます。ゴルフ史の”翻訳”作業といってもいいのではないでしようか。
<『痛快! ゴルフ学』p296>
ここで「開高健」が出てきて、にやりとし納得する。どちらも名前が「健」であることに加え、開高は釣りと旅と食に関しても「する」「読む」「書く」に全力を傾けた作家だった。
文体もまさに「エスプレの濃厚な修辞」に満ちていて、学生時代に読みふけった。本棚には18冊が並んでいる。
■共同通信の元記者から作家に
夏坂健について今回、もうひとつ大きな驚きがあった。作家の前は共同通信の記者だったことだ。ネット上のwikipediaによると「1936年に横浜市で生まれ、共同通信の記者、月刊『ペン』編集長を務めた」「1990年よりゴルフのエッセイを発表し始めた」とある。
つまり戦後しばらくは共同通信の記者や雑誌編集長をしていた。1990年、54歳の時に趣味のゴルフについてエッセイをゴルフダイジェスト誌に書き始めて「”読むゴルフの楽しみ”という新境地を開いた」と称されることになる。
ぼくは新聞記者になって7年後の33歳でゴルフを知り、現役時代は「する」と「読む」を楽しんだ。68歳で退職した後は「観る」「書く」も加え、四次元で楽しんでいる。
それを50代から実践し、著作を通じてぼくにも四次元の面白さを教えてくれたひとりが夏坂健だった。作家になる前は記者だったと今回、初めて知り、ひとり呟いている。
——天国コースで球戯中の夏坂先輩、たくさんの著作を遺してくださいましたね。足元にも及びませんが、ぼくなりに四次元の旅、楽しんでいきます。