24歳の弛緩と躍動 落差に磁力
(2025年1月11日夜、ポートメッセなごや)
どの楽曲も耳と目を突き抜け、脳と身体の芯に響いてきた。小気味よい鼓動に身をゆだねていると、快感を誘うサビが艶のあるファルセットで繰り返され、耳にこびりついていく。ぼさぼさ髪の童顔、だぼだぼの服、しかも口下手なので歌う前は弛緩してみえる。でも歌い出すと瞬時に躍動し1万5千人を酔わせていった。90分間で21曲、24歳の弛緩と躍動の落差が強力な磁場を生み出していた。
■エッジの効いた楽曲
なんといっってもまず、楽曲がいい。どれもエッジが効いている。
小気味よい鼓動 最初に聴こえてくるリズムセクションは小気味いい。ベースが耳ざわりのいい旋律を含みながら低音部を引き締めていく。ドラムは切れのよい鼓動を保っていく。
なめらかファルセット やがて流れてくる歌声は、ど真ん中に芯が通っている。中音から高音のファルセットにいたる音域はなめらかで艶があり自在に上下していく。
快感よぶサビ リフレイン もっとも引力が増すのはサビだ。ヤマ場だとわかる形で始まる。メロディーとリズムと歌詞が一体になって脳に快感をもたらしてくる。祝詞や呪文のようなリフレインー。ずっと聴いていたくなる。
■音に添い 朽ちない言葉
ぼくは活字と言葉の仕事をしてきた。歌を聴くとメロディーや音作りと同じくらい、歌詞が気になる。21曲のうち、ぼく個人のベスト5を選び、サビの歌詞を抜き出してみた。
字面を眺めていると、彼の歌声が脳内にながれてくる。歌詞がメロディーに寄り添っている。その内容はどれも抽象的で、時をへても朽ちない世界観だ。
メロディーには独特のうねりがあり、耳になじむ。ところが、何度も聴いて覚えたつもりなのに、自分の口で歌ってみると、ぼくの歌唱力では正確な再現に難儀している。
メロディーが複雑に上下していて、半音をいくつも含んでいるためだろうか。はたまた歌詞の文節がフレーズをまたぐこともあるためだろうか—。
ぼくには作曲の経験がない。だから素人の想像をする。曲の多くは、メロディーが先にできた「曲先」ではなかろうか—。
■眼鏡 ぼさぼさ髪 たぼたぼ服 口下手
入り口でくれたパンフレットを見て妙に納得した。今回のツアーでも、このイメージを前面に出してくるんだ、と。
童顔だ。24歳より若く見える。茶色の長髪はぼさぼさで、丸い眼鏡をかけている。服も、フードつきの、ゆったりしたぼだぼだの上下を着ている。靴は厚手で、ズボンの裾は足首あたりで巻きつけている。
この日のステージ衣装もパンフを踏襲していた。しかも曲の間は動きは、鈍い。歌い終えたあとマイクで何度か「疲れたあ…」と漏らしていた。
曲間のしゃべりはライブ全体を通しても重かった。「(観客の反応は、前のライブの)大阪はもっと元気だったぜ」「楽しんでってね」「ありがとう」くらいしかいわない。最後の曲の前も「いつかまた逢おうぜ」。そうした様子が醸しだすのは「脱力と弛緩」だった。
■曲開始で一瞬に躍動 手と足きれきれ
ところが、である。バックバンドが次の曲の前奏を始め、歌い出すと同時に彼のアクションは一変した。歌のうまさやノリはもちろんとして、リズムにあわせて上半身を曲げたり、そらしたりする動きには隙がない。
客席を指さしたり、手を振ったり。足を踏み鳴らしたり、ダンスしたり。その動きはキレていた。メリハリもあった。公式サイトで各地のライブの映像を見ても同じだ。ゆったりした服が体の動きに少し遅れて揺れるのも、計算されているようだ。
ゆるゆるファッションとか、曲と曲の間の動きの鈍さ、しゃべりの口下手…。ファンはそれらもみな受け入れて、Vaundyという確固としたミュージシャンの持ち味として魅力を感じているようだ。
それもこれも、歌っているときの躍動があってこそだろう。弛緩との落差が、楽曲のAメロからサビに移る際のときめきとも共鳴している。会場には映像画面はなかった。ダンスチームもいなかった。でもこの24歳の強烈な個性が放つ「落差」が、会場では強い磁力になって1万5千人を惹きつけていた。
■初めて知ったのは2022年紅白
ぼくがVaundyを初めて知ったのは、2022年末のNHK紅白歌合戦だった。『怪獣の花歌』を歌った。このときも、丸眼鏡の童顔とぼさぼさ髪の外観と、楽曲の洗練度と歌のうまさとの落差が衝撃だった。
その後も自宅で、ネットラジオの音楽流し放し番組を聴いていて、この曲いいなと思い歌い手を確かめるとVaundyであることが何度かあった。それをぼくから聞いていた娘が2024年の秋ごろ「2025年1月に名古屋でライブあるから一緒に行かない?」と誘ってくれた。互いに事前予約を繰り返し、5度目か6度目にやっと抽選に当たったのだった。
昨年末の紅白で歌った『踊り子』は、ぼくが一番好きな曲でもあった。11日後にライブでまた聴くと、そのクールさ、カッコよさにあらためてしびれた。
■ライブ経験は12回 “年下”はサザン以来
ぼくがこれまでに体験したライブはそう多くない。記憶をたどって書き出してみると、日本人、外国人とも6人(組)ずつだった(別表)。
そのうち以下の5人(組)は、直後の印象をノートに書き残していたので、このサイト開設時にパソコンで打ち直し、収録した。自分でつけた見出しも併記すると…
井上陽水(2003年2月、金山市民会館)
艶ある高音 古びない歌詞 大人の世界
Crapton(2003年11月、レインボーホール)
普通のいでたち いつもの泣き節
Eagles(2004年11月、名古屋ドーム)
馴染みの曲 分厚いサウンド 納得の3時間
RollingStones(2006年4月、ナゴヤドーム)
元気なおじさんたち 荒っぽい音にらしさ
サザンオールスターズ(2013年9月、豊スタ)
手を抜かずに32曲 遊び心に茶目っ気も
ライブに行ったミュージシャン名のカッコ内は生まれ年だ。wikipediaで確認した。ぼく(1952年生まれ)より年下は松任谷由美と桑田佳祐だけ。といっても、ともに1950年代生まれだから、同年代といったほうがふさわしい。
vaundyは21世紀になった2000年の6月生まれ。24歳と6か月である。72歳になってから、48歳も年下のミュージシャンのライブに行くことになるとは―。人生って、ほんと先はわからない。
■初体験「立ちっぱ」90分
会場のポートメッセなごやは、長方形の多目的アリーナだ。短い辺の壁際にステージが設けてあり、可動式の椅子席がほかの3辺からせり出していた。真ん中の平たい床には、パイプ椅子が並べてあった。
ぼくと娘の席はステージから見てすぐ右側だった。階段席の中段。ぼくらの席からステージまではざっと60mほど。ステージの奥半分は機材に隠れて見えない。しかもサザンの時のような大画面はなかった。
収容1万5千とされる席はみな埋まっていた。20代から30代が中心だった。男子がほんの少し多いようにみえた。70歳を越えるような”御同輩”は、ぼくが見た限りでは、見かけなかった。
6時10分、ステージにライトが当たった。同時にドラムとギターとペースが『不可幸力』の前奏を始めた。予想していなかった大音量。とくにベースの低音がすさまじく、自分のお腹が共振していた。
前奏が始まると同時に、ほぼ全員が立ち上がった。曲にあわせて右手を前後に振りながら、没入していく。階段席とはいえ、ぼくらも立ちあがらないとステージは見えない。
客のほとんどは、90分間そのまま立ち放しだった。ぼくは途中のバラード的な2曲だけは座って聴き水を口に含んだ。あとの19曲は立ったまま体をゆすった。「”立ちっぱ90分ライブ”に初参加した」といっても許してもらえるだろう。
ふー、疲れた。でも、面白かった、楽しめた。