心もよう柔らかく 友思いは一途
(PHP研究所、2024年10月発行)

またもや江戸は本所深川の長屋に誘いこまれ、隠居老人になった気分で読み終えた。岡っ引き修行中の16歳、北一のやわらかな心模様にどきどきし、相棒・喜多次の無口だけど一途な友思いに拍手を送った。とりまく大人たちのやさしさもうれしい。不思議な事件のなぞ解きの面白さは、この人情絵巻があってこそだろう。
■「ハイスクール・ララバイ」江戸版?

『きたきた捕物帖 (一)(二)』を読んだのは昨年の師走だった。印象記には「ソフト&ハード 絶妙ボイルドのコンビ」の見出しをつけた。この(三)でも北一と喜多次は、ときにぶつかりながらも互いを認めあい、助けあいながら事件のなぞを解いていく。
ふたりは16歳だから現代なら高校1年だろう。しかしどちらも江戸時代の孤児だし、学校には通っていないから、精神年齢はもう少し上、いまの20歳くらいだろうか。ふたりのふだんの付き合い方は軽妙で「江戸版ハイスクール・ララバイ」といったノリもあって、何度も笑ってしまった。

物語は北一の目に映る光景とともに進んでいく。かれの内なるつぶやきも地の文に加わっていく。北一の心もようや口ぶりが、展開にそってどんどん移り変わっていく様は、この小説の味わいどころだ。
派手に喜んだと思ったら、間違いに気づきへこんだり
誇らしい気分になっても、すぐ後に恥ずかしがったり
頭にきたと思ったら、急に相手を可哀そうに思ったり
だけど北一も喜多次も、事件がヤマ場にかかると、とんでもない集中力と頭脳を発揮する。おとな顔負けの熟成が顔を出したりもする。そのメリハリが粋だ。
■とりまく大人も多様 相関図に
そんなふたりの若者をとりまく大人たちがまた、じつに多様だ。新刊本にはさんであった宣伝パンフに「ひと目でわかる人物相関図」(写④)が載っている。これがわかりやすくて役に立った。大きくは四グループある。
北一が住んでいる「富勘長屋」の住人たち
喜多次が釜焚きをする「長命湯」の人たち
北一が売る文庫を製作する作業所の人たち
北一の恩人で岡っ引きの故千吉と与力たち

人数を数えたら25人いた。ぼくは物語を読みながら、この人だれだったっけ、と疑問が浮かぶとこの図で確かめた。それぞれに魅力的で、だれもがとことんやさしい。
悪事にかかわる人物はこの相関図には書かれていないから、小説に出てくる人物の総数は40人を越えるだろう。それだけの数の人物造形を描きわけていく筆力の凄さ…。あらためてためいきが出た。
■絵図も助けに 文字の街再現もさすが
もうひとつ、何度も見返したのが、冒頭の見開きだった。題して「絵図 本所深川」(写⑤)。富岡八幡宮や浅草寺、墨田川と永代橋や両国橋はもちろん、いま現代も実在している。

ぼくは東京に住んだことはない。でも娘家族が一時、富岡八幡宮の南の越中島に住んでいて、最寄り駅が「門前仲町」だった。絵図の上左端、富岡八幡宮の西にあたる。名古屋から何度か通ったので、親しみを感じつつ、何度も400年前の絵図を見つめ直した。

筆者の筆は、当時の街並みをていねいに文字で再現してくれる。すこしずつ表現を変え、絵の具を塗り重ねるように―。北一と連れ立って歩いているような気分になれるように—。
筆者の筆はまた、長屋で寄り添って暮らす庶民のつましさも再現してくれる(写⑥)。日々の素朴な食べ物をわけあう様や、あけすけだけど気配りにも満ちた会話を散りばめながら—。
ぼくは読みながら何度も、富勘長屋に住む隠居老人になりきってしまった。(一)や(二)のときより、もっと深く。細長い横丁の奥の古樽に腰かけて、北一と隣人たちとの掛け合いをながめているかのように―。