極道から梨園へ 関西弁と軽妙な語り
(朝日文庫、単行本は2018年9月)

はじめから最後まで熱量がほとばしっている。まず主人公の生まれた家が、喜久雄は長崎の極道、俊介が大阪の梨園とともに血が濃い。ふたりは栄光から醜聞へ、絶望から歓喜へと行き来しながら歌舞伎の王道を昇っていく。著名な演目がいくつも登場し、楽しげな語り口と関西弁が舞台まわりを活写していく。この熱量、6日公開の映画はどう映像化したのだろう。

帯に派手な映画PRカバー
この小説を読む気になったのは、5月下旬、本屋さん店頭で文庫版を手にした時だった。帯に派手なカバーがかけてあり、ふたりの女形が見つめ合う写真と下に「6.6」の文字があり、その下には俳優たちの顔写真が並んでいた(写真②)。6月6日の映画公開をPRするため、新しいカバーをつけたのだろう。その後、ことしのカンヌ映画祭にこの作品が出品されていることも知った。映画に原作があり、それが名作のようならまず原作を読む―。ぼくの信条に今回も沿ってみた。
■歌舞伎を観たのは2度だけ
この長編、とても長い。上下巻で計818ページもある。時間に沿った横軸を貫いているのが、歌舞伎の演技論や稽古術、演目と舞台の様子だ。あの絢爛な世界への愛着と、深い知識が支えている。筆者は執筆前、3年にわたり歌舞伎の世界で黒衣(くろご)を体験した、と5日朝刊の映画広告で知った。
正直に告白すると、喜久雄が上方の名家に引き取られてからは、歌舞伎がらみの記述が多くなり、ぼくは持て余し、読み続けるのがしんどかった。というのも、歌舞伎そのものについては知識が浅く、本物の舞台を観たのも2度しかない。2016年の新・歌舞伎座(東京・銀座)と、2018年の新・御園座(名古屋・伏見)だ。(写真③)


<写真③ 新御園座の「杮落し大歌舞伎」=2018年4月9日>
しかも、その2回ともぼくの関心は「建築」にあった。当時は中日ビル建て替えの責任者で、新・歌舞伎座と新・御園座の建て替えには建築家の隈研吾が加わっていたから。だから当日の演目で覚えているのは、御園座での『勧進帳』だけ。なんとも情けない。
■軽妙な「ですます」語り文
その”しんどさ”を救ってくれたのは、軽妙で、かつ、ていねいな語り文だった。テレビやラジオのドラマで流れるナレーターのように、いまから始まる場面の背景や登場人物の立ち位置をやさしく説明してくれる。たとえば―
と言いますのは、喜久雄が半次郎の元で暮らすようになって、早いものですでに1年がすぎ、学校の授業と掛け持ちとはいえ、決して手を抜かぬ日々の稽古のなか、幸か不幸か、半次郎が喜久雄と俊介の両名ともに見出しましたのが、立役(たちやく)ではなく女形の才能でございました。
これを一言で説明するのは難しいのでありますが、二人が二人して、男が女を真似るのではなく、男がいったん女に化けて、その女をも脱ぎ去ったあとに残る「女形」というものを、本能的に掴めているのでございます。
(上の143ページ)
上の文章でゴチックにした部分、実はこの小説の核とでもいうべき概念であった、と文庫から書き写してみてみてから悟った。喜久雄は下巻から最終章にかけて、「あとに残るもの」をもっともっとと突き詰めていく。
■たっぷり長崎弁 しっかり大阪弁
もうひとつ、しんどさを救ってくれたのは、長崎弁と大阪弁だった。喜久雄は長崎、俊介は大阪の生まれ。ぎとぎとの長崎弁と大阪弁が交錯する。たとえば喜久雄が14歳で長崎駅から大阪へ旅立つ場面—
切符を見せて喜久雄が改札を抜けますと、続けて抜けようとしたマツが駅員に止められまして、
「お客さん、切符は?」
「息子ば見送るだけやけん」
「それでも、入場券ば買(こ)うてもらわんと」
(中略)
「駅員さん、あとで払うけん。通してくれんね」
「いえ、僕、駅長じゃ…」
「細かことは、よかけん」
(上の88ページ)
あるいは、喜久雄が大阪で俊介や母の幸子に初めてあった場面では―
「誰にて、お前(わい)らにじゃ ! ボケ! 」
と食卓は一触即発、少しでも誰かが動けば、乱闘騒ぎの緊迫であります。ただそこで動いたのが幸子でして、
「あー、邪魔くさい。どうせ、アンタら、すぐに仲良うなるんやさかい。いらんわ、そんな段取り。しゃーない。喧嘩するんやったら、今日明日でさっさと終わらしといて」
(上の113ページ)
カバーの筆者略歴によれば、著者は1968年、長崎県で生まれた。喜久雄や兄弟分である徳治の長崎弁、腰がすわっているはずだ。古典的できらびやかな歌舞伎の世界と対極をなしていて、この小説になくてはならない手触りを与えている。
主人公はふたつ上
主人公の喜久雄と俊介は昭和25年の生まれに設定されている。そこにも親近感を持った。ぼくよりふたつ上。背景にでてくる描写をまさに同時代感覚で読むことができた。大阪万博、グループサウンズ、バブル経済とその崩壊、携帯電話の登場…。ああそうそう、あのころはこんな感じだったなあ、と。
■古典演目が次から次へ
若者ふたりが歌舞伎の王道を歩む物語だから、古典的な演目が次から次へと出てくる。それらが上演されたときの場面を、やはりていねいな文章で鮮やかに描きとっていく。たとえば、俊介が復活の舞台で『二人道成寺』を舞う場面—
〽 恋をする身は 浜辺の千鳥
夜毎(よごと)夜毎に 袖絞る しょんがえ
万菊と並び立った俊介の美しさ、扇子をくわえるそのしどけなさ、また広げた懐紙(かいし)を手鏡に見立てて髪を整えるその色香、何もかもが、十年まえに同じ演目で共演した俊介とは明らかに違っております。
(下の29ページ)
主人公たちが新たな演目を舞台で演じるたびに、こうして活写したいく。熱心な歌舞伎ファンならすぐ光景が浮かぶだろう。残念ながらぼくは、想像できても断片くらい。観たこともないのだからどうしょうもない。楽しみは映画までとっておくしかなかった。
■鮮明な対比 3つの縦軸
歌舞伎が時間的な横軸のど真ん中とすると、縦軸には、喜久雄と俊介、それぞれの運命と生き様の違いが配されている。

喜久雄の父は、長崎のヤクザの親分である。俊介の父は、上方歌舞伎の名門の二代目。いわば「極道」と「梨園」という対極の世界で生まれた。そのふたりが歌舞伎に熱中していくが、やがて、「血筋」と「才能」の違いが光と影を生んでいく。
さらにふたりとも浮沈が激しい。最初の舞台は絶賛されて栄光のときがくる。しかし俊介の父の跡目についての判断や、喜久雄の出自がきっかけになり、自暴自棄になったり、醜聞にまみれたりして、どん底に落ちる。それでも負けずにはいずりあがる。芸の道はその繰り返し、という筆者の視点もあるかもしれない。
この作家は、経歴(写真④)にあるように日本の文学の賞を総なめしてきた実力派だ。でもぼくは、『さよなら渓谷』の映画を観たことがあるだけで、小説を読んだことはなかった。この作品にかけた熱量を全身に浴びたいま、作品リストを呆然とながめている。
■映画はあす6日公開
きょう5日の中日新聞朝刊には、この映画の広告が出ていた(写真⑤)。右側の売り文句は1行だけ。「その才能が、血筋を凌駕する―」。うーん、かなり踏み込んでいる。NHK大河ドラマ『べらぼう』の主役、蔦屋重三郎を演じている横浜流星の名もある。

原作を先に読んだから、ストーリーはわかっている。そうなると、楽しみなのはやはり、舞台の場面だ。文字だけで描かれた舞台を、歌舞伎経験のない若い俳優がどう演じたのだろう。喜久雄や俊介の内面とか、支える裏方の思いをどう映像化したのだろう。歌舞伎座か御園座の舞台を観るつもりで、映画館の客席に座ることにしよう。楽しみだ。