
テーマ「旅」 春夏秋冬に衣替えへ
名古屋大学の東山キャンパスに新しい交流施設 Common Nexus (愛称コモネ) が7月にオープンした。芝生広場を兼ねた屋根は反り返り、地下1階には自然光が差し込み、うねる通路には仕掛けがいっぱい。わくわくする驚きに導かれ、ぼくは本棚 ROOTS BOOKS のひと区画を借りて棚主になり「すべては旅からはじまる」をテーマに20冊を並べた。テーマは春夏秋冬に変えていく。50歳以上も若い後輩たちの感性に響くだろうか。
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グリーンベルトに建設 豊田講堂の向かい
この新施設は、岐阜大学と名古屋大学が2020年4月に法人統合してできた東海国立大学機構が運営している。名大東山キャンパスの四谷・山手通りと中央図書館にはさまれた「グリーンベルト」に建設され、7月1日にオープンした。愛称は「ComoNe コモネ」。通りをはさんだ丘の上には、これまで”象徴”だった豊田講堂がある。

■反り返る屋根 湾曲する新ベルト
まず驚いたのは屋根だった。四谷・山手通りから見ると、中央部が低く、両サイドにむかって反り返っている(写真②③)。ゆるいスロープや階段を登ればだれでも、中央部から屋上に上がることができる。
しかも屋上の真ん中を、遊歩道が湾曲しながら図書館へと伸びていて、反り返った斜面には芝生が植えてある。「地上の平面」にあったグリーンベルトが「湾曲する屋上」になって蘇ったのだ。芝生はまだ養生中だが、ゆるい斜面に寝そべって空や雲を見ることができるようになったら、とくに春と秋は気持ちがいいだろう。


■地下にも中央に通路 注ぐ自然光
半地下の内部に入ると、もっと大きな驚きが待っていた。地下1階の中央も通路が貫いている。しかも、こちらも直線ではない。ゆるやかにうねったり、あっちこっちに、いろんなタイプの凹凸があるではないか(写真⑤⑦)。
しかも中央通路のうえをブリッジが何本も走っている。さらには6か所でサンクンガーデン(光庭)が屋根から”ぶら下がって”いて、屋上とつながる階段も見える。

そのうえ壁の上部には、湾曲する屋根との間にガラス窓がある。この窓と光庭から自然光が差し込み、地上の並木の葉が揺らいでいるのも通路から見える。柱もスパンは均等じゃないし、一直線でもない。森の中を歩いているようだ(写真⑤)。
■「谷戸(やと)」から着想 3つの効果創出

コンペで設計者に選ばれた小堀哲夫氏は、6月21日の内覧会で、グリーンベルトの場所の地歴を調べ、そこが「谷戸(やと)」であったことに着想を得た、と語った。「谷戸 ? 」。初めて聞く言葉だった。
展示パネルの断面模式図(写真⑥)がわかりやすかった。谷戸は、丘陵から平地への移行帯にある一帯をさし、斜面林に囲まれた草地と小川からなっていた。やがて、住み着いた人たちによって、田畑やため池に利用されていた(上段1900)。
戦後になって名古屋大学のキャンパスとして整備されると、コモネ建設が始まるまでは「グリーンベルト」として広場になっていた(中段2000)。
谷戸の断面は弓なりに反っていた。コモネ設計で小堀氏は、新建物の屋根も反り返らせると同時に、建物を半地下に埋めることで三つの効果を創出した(2025図)。
①土地の固有地形を再現する
②光や緑を建物内に取り込む
③グリーンベルトを蘇らせる

コンペには著名建築家がずらり
この施設のコンペは2段階で行われ、最終審査には、槇総合計画事務所、SANAA・妹島和代、伊東豊雄など著名建築家の5案が残った(写真⑧)。槇文彦氏(1928-2024)は、この敷地を見下ろす豊田講堂の設計者だった。この”超激戦”で勝ち残ったのが小堀氏の案だった。

■駅直結 通路わきに仕掛けいっぱい
この施設名にあるCommonは「共有の広場や知識」、 Nexusは「結びつき」といった意味だろう。ふたつの語をつなげた意味は「大学と市民の交流の場」だろうか。内覧会のパンフレットにはこう書いてある。
―岐阜大学、名古屋大学の学生や教職員だけでなく、地域のみなさんや子どもたち、企業などすべての人に開放する共創の拠点
―東海国立大学機構のビジョン「社会の公共財として、知とイノベーションのCommonsになる」を実践する場

入り口のひとつは地下1階にあり、地下鉄「名古屋大学駅」と直結している(写真⑨)。中央図書館へとつながる地下1階通路の左右には、「共創」を促す仕掛けと空間がいくつも用意されていた。
・くつろげる大階段やソファ(写真⑩)
・電源つきおひとり勉強席(写真⑪⑫)
・靴を脱いであがる小上がり(写真⑭)
・オープンなイベントホール
・3D造作機もあるモノづくり空間
・芸術と先端研究の連携ギャラリー
・ガラス張りの教室や会議室(写真⑬)
・会員限定の交流ラウンジ

■大屋根がつつむ孤独 ひとりじゃない
内覧会でハードに驚いた後、こんな自由な空間を機構や学生は活かせるだろうかと、ソフト面がとても気になった。オープンから1週間後の7月9日、水曜日の午後にコモネを再訪したら、いろんな人が自由に出入りしていて、行き交う人たちの数は、予想したよりはるかに多かった(写真⑫)。
勉強机もみな埋まっていた(写真⑪)。大階段では横並びで座って談笑するグループがいた(写真⑩)。大階段や小上がりでは靴を脱いで昼寝している若者もいた(写真⑩⑭)。


<▲写真⑪おひとり勉強席がいっぱい / 写真⑫勉強学生と行き交う人々>
ゆるく反り上がった大屋根、斜めに差し込む自然光―。そのもとで若者たちが思い思いの時間を、いろんな場で勝手に過ごしていた。だれがどこで何をしていてもいい。ひとりっきりでもいいし、もちろん仲間と一緒でも。大屋根がつつむ孤独、ひとりだけれどひとりじゃない―。やわらかな抱擁感が心地よかった。
<▼写真⑬階段状の教室も / 写真⑭ 靴を脱ぐ「小上がり」>


ぼくが学生のころにもこんな場があったら、とうらやましくなった。講義がない時間は、4畳半の下宿や研究室や喫茶店にこもらず、大半をここで過ごしただろう。
ROOTS BOOKS 並ぶ本は棚主しだい
そうした仕掛けのなかでも、目立ったのが ROOTS BOOKS だった。通路からちょっと上がったところの壁に高さ5m、幅10ほどの本棚が作り付けられている。近くにはソファやテーブルもあるので、くつろぎながら本を読んだり、談笑できる(写真⑮)。

ぼくは内覧会で、どんな本が並ぶのか想像していたら、知人の建築家から「『棚主』に貸し出し、好きな本を並べてもらうらしいよ」と聞き、また驚いた。「団野さんも棚主になって、ゴルフの本、並べたら?」との冗談も耳に残った。
そういえばここ数年、東京・神保町の書店街を訪ねると「シェア型書店」「貸棚書店」が増えていた。区画を「棚主」が有料で借りて好きな本を並べることができ、売り上げは棚主に入る。書店の経営を助け、閉店を食い止める策としても注目され、全国に広がっている。
■ひと区画は幅56cm 月2000円

コモネの事務局や規約によると、利用条件はこんな感じだった。
・ひと区画は幅56cm、高さ30cm
・棚主は月2000円の賃料を払う
・書籍はだれでも閲覧できる
・9月からは貸し出しも始める
・棚主は棚主交流会に参加できる


<▲写真⑰ 本棚は通路から少し上に / 写真⑱ ソファには柔らかい光が>
このおおらかでやわらかな空間で棚主のひとりになれるなら、「晴球雨読」の延長として楽しめそうだ—。後輩の学生たちとの接点も生まれるかもしれない—。その日のうちにHPに申し込んだら、数日後に承諾のメールが届いた。7月14日から展示できることになった。
■よみがえる思い出 メッセージに
棚主の区画にはまず「○○○○ BOOKS」という「表札」が必要だった。迷わずブログサイトと同じ「晴球雨読」を選んだ。
「名前/ニックネーム」には実名も書いた。ニックネームだけの棚主も多かったが、迷いはなかった。ブログはみな実名公開だし、直近に読んだ塩田武士『踊りつかれて』で”匿名のあやうさ”を感じていたから。
すこし考え込んだのは「メッセージ」だった。単純な自己紹介にはしたくない。先輩づらはもっと嫌だ。学生時とグリーンベルトの記憶を思い返したらふたつ浮かんだ。
<思い出1> 「グリーンベルト」沿いに通った教養部の2年を終えた1973年の春、1年休学の手続きをして日本を飛び出した。19歳だった。横浜→ソ連→欧州→北アフリカ→中近東→インド→タイ→沖縄と、ユーラシア大陸を一周した。無謀な旅だったが、とてつもない刺激に満ちていた。あのひとり旅が、その後の人生の原点(roots)になった。
<思い出2> 建築学科4年だった1975年の秋、大学院試験が終わった日の深夜だった。グリーンベルトの芝生で仲間数人と酒盛りをして盛り上がり、素っ裸になって池に飛び込んだ。しばらくすると警備のおじさんに懐中電灯で照らされた。身を縮めていたらおじさんは言った。「こんな無茶やる学生、いなくなったと思ってたよ。早く上がって服を着て、下宿に帰んなさい」。なんかうれしそうだった。美化がすぎるだろうか―。
並べる本がずっと同じなのはつまらない。春夏秋冬ごとにテーマと本を変えていこう。開設日が7月14日なら、大学はすぐ夏休みに入る。学生ならやはり旅だ。最初のテーマは「旅」に決めた。表示タイトルはちょっと気取って「2025夏 すべては旅から始まる」とした。メッセージカードにはこう書いた(写真⑱)。

■『すべては旅から…』20冊 至福の選択
幅56cmの棚に入る本は15~20冊ほど。「旅」をテーマに自分の書棚を眺めながら、選んでいった。これって何歳ごろ読んだっけ―。この本、何回も読み直したなあ―。あれこれ思い出しながらの選択は至福の時間だった。選び出したのは次の20冊だった(写真⑲)。

深田久弥『日本百名山』
山歩きと思考 薫り高き融合の名著
寺山修司『書を捨てよ、町へ出よう』
題名にがつん ど真ん中の直球
開高健『もっと遠く、もっと高く』
釣りと風土と酒と人 饒舌と情念
五木寛之『風に吹かれて』
やわらかき漂流と熱きこころ
山口文憲『香港 旅の雑学ノート』
ガイド本を越えるブンケンさん
村上春樹『ラオスにいったい何があるというのですか』
この答えに旅のすべてがある
村上龍『ニューヨーク・シティ・マラソン』
旅先でつむぐ短編 野心と矜持
沢木耕太郎『深夜特急』(1便~3便)
アジアひとりバス旅 伝説の体験記
藤原新也『インド放浪』
写真と文の融合が幻境へ導く
外岡秀俊『北帰行』
著名記者 学生時代の啄木小説
林望『イギリスはおいしい』
リンボー先生「まずい」国を逆転
本田勝一『極限の民族』
ここまで取材で入りこむか!
辺見庸『もの食う人びと』
ここまで記者は食うのか !
野村進『コリアン世界の旅』
「在日」めぐり人から人へ
高村薫『空海』
作家がたどる「一直線のカリスマ」
学研編集部『地球の歩き方 愛知』
歩くべきは海外だけじゃない
山口信吾『定年後はイギリスでリンクスゴルフを愉しもう』
ゴルフ好きには”禁断”の夢
伊集院静『夢のゴルフコースへ』
永遠の憧れ いつかこんな旅を
実は、真っ先に選びたかったのは小田実『何でも見てやろう』だった。あの本を大学1年で読まなかったら、休学と海外長旅の決断はできなかった。でも自宅の本棚には見つからなかった。だれかに貸したっけ? これだけが心残りだ。

14日にコモネに行き、20冊を並べ終えてからソファに座り、本棚を眺めた(写真⑳)。ぼくは73歳。そばを行き交う学生たちは50歳以上も若いけれど、1冊でも、だれかが何かを感じるきっかけになれば、うれしい。
■棚主交流 初会に小森氏 大垣と本と建築

この ROOTS BOOKSでは、棚主の交流会が定期的に開かれることになっている。名づけて「ひととなり BOOKS」。その第1回が17日夜、本棚の前で開かれぼくも参加した(写真㉑)。

ゲストは吉成信夫氏と小堀哲夫氏。吉成氏は「みんなの森 ぎふメディアコスモス」の元総合プロデューサーで、コモネではコンセプト策定にかかわった。二氏は自分の ROOTS になった本を紹介しながら、これまでの歩みや仕事について縦横に語った。
ぼくは小堀氏の話を、とくにコモネの建築設計にからめながら聞いた。とくに興味を持ったのは次のような体験談だった。その大意を、ぼく自身の言葉で書きとどめると—
大垣市で生まれた。周囲は田んぼばかりだった。大工の父親が建てた実家は、便所が外にあり、ぼっとん式だった。
そんな環境が大嫌いで東京の大学に進んだ。でも、登山にはまり、岐阜に帰省するたびに、自然を体で感じながら暮らすことの豊かさや大切さがわかりはじめた。
建築設計でも当初は頭の中の「こうあるべき」にがんじがらめになっていた。そのうち、まずはいったん形にしてから、もういちど自由に考え直すようにすると、身体の奥底からいろんなものがいっぱい湧き出てくるようになった。世界共通の理念(平等、衛生、健康…)と、その場所にしかないヴァナキュラーなもの(土地の文化、土・木・風・光・水…)。それらを合体させたい。
口調には気負いがなく、心の奥底の声に耳を澄ませていると思わせる響きがあった。ぼくは思った。コモネの空間と場も、この姿勢から湧いてきた―。大屋根のもとの孤独は、ひとりだけれど、ひとりじゃない―。