2 小説 物語に浸る

ぶつかり 飛び散り 繋がって…逢坂冬馬『ブレイクショットの軌跡』

構成巧み 破片回収 読後に希望

 <表紙カバーを本から外し見開いてみると>

 いろんな男のさまざまな人生が1台のSUVを介して交錯し、ぶつかり、飛び散ったすえに、思わぬところでまた繋がっていく。傲慢と真摯のはざまに、破片と毒気をまき散らしながら…。構成がたくみで、文章はていねい。最後には破片は回収されて収まり、まっとうな心根への希望まで読後に残してくれた。
 (早川書房、2025年3月25日発刊)

■いろんな人生 無縁にみえるが

<577ページと分厚い>

 じつにいろんな男の人生が出てくる。年齢も生きる世界も多彩だ。どの人生も最初は交差せず無縁に見える。

・自動車工場の若い期間工
・アフリカの武装集団の若者
・投資ファンド会社の副社長
・小さな工場の自動車修理工
・不動産会社の営業マン
・投資セミナー塾長と講師

 どの人生もていねいに描かれていく。仕事がどんな仕組みで、どんな理念で運営されているかも。現実社会の成り立ちを基礎から勉強している気分にもなった。

■毒が人生を暗転させていく

<カバーを外して>

 そんな仕事や職場に、世の規範から外れた「悪徳」の商法や意図が潜んでいることが少しずつ分かってくる。そこから滲み出す「毒」が男たちをむしばみ、人生を暗転させていく。

・ワンルームマンション投資
・事故車の傷跡水増し修理
・ネット上の匿名中傷投稿
・詐欺狙いの電話勧誘
・勧誘用名簿の作成・売買
・自動車盗のための情報集め

 これらの多くは近年の日本社会でいくつも表面化して立件されている。ぼくはニュースや体験を思い返して振り返った。
 「あの事件、こんなカラクリだったのか」
 「あの犯人たち、こんな風に考えていたのか」
 「このまえ家にかかってきた電話、向こう側の主宰者はこんな風に煽っていたのか」

■からみあう現代の諸相

 もうひとつの特色は、スポーツや娯楽から、インターネット、性意識など、現代社会に特有の諸相を巧みにからませてあることだった。


・サッカーとビリヤード
・ツイッターとYouTubeとLINE
・アセクシャアルを含むLGBTQ+

 これらも主人公たちの生き様に直結していく。仕組みや背景だけでなく、内包する価値観の移り変わりがていねいに書き込まれている。

 なかでも「アセクシュアル」がさらっと出てきたのにはびっくりした。昨夏に観た映画『ボレロ』を紹介する新聞記事に、フォンテーヌ監督が作曲者ラヴェルを「他者に性的関心を持たないアセクシュアルと考えて描いた」とあり、ぼくは初めて知った用語だったのを思い出す。

■ ブレイクショットの意味

 実はぼくは、この本のタイトルにある「ブレイクショット」が何を指すのか知らないまま、読み始めた。すると冒頭のプロローグにすぐ出てきた。

①人気のSUV 変わる乗り手

 プロローグの舞台は自動車工場で、主人公は期間工の本田昴(すばる)。雇用期間2年11か月の最終日の終業間近、組み立てラインに流れてきた車種名が「ブレイクショット」だった。スポーツ用多目的車の「SUV」のひとつで「最近大人気の四輪駆動車」とある。

 最終勤務日の終業ベルが鳴ったあと、昴が同僚の松山と目があったあと、こんなことが起こる。

 昴は、松山が工具箱に向かおうとしたとき、ブレイクショットの車内にボルトを一つ落とすのを見てしまった。明らかに松山それに気づいていない。
 (中略)
 今まさに2年11か月の工程を全て終え、これから「放免祝い」に臨む場面で、彼が失敗したと工場全体に告げることに、昴は躊躇した。
 (P34-35)

 このSUVは次の章で、投資ファンド会社幹部の乗り物として新車で出てくる。その男が経営難から手放すと、別の男が中古で買うが、事故ってしまい…。このSUVは中古市場を経て新たな乗り手がハンドルを握り、物語はその乗り手を新たな主人公にしながら次の「軌跡」を描いていく―。

②ビリヤードの第1撃 弾ける球

 SUVつながりのまま最後まで進むのかと思い始めたら、真ん中すぎに「ブレイクショット」の本来の意味が突然、出てきた。投資セミナーの塾長がビリヤードのナインボールをする場面である。

 「ブレイクショットだ」
 志気が突然そう言って、春斗は意表を突かれた。
 「えっ?」
 「ビリヤードで最初に打つショットのことだよ。先生のお得意だ」と真田が解説した。     
 (P347)

<ナインボール=wikipediaから>

 ビリヤードは学生時代に一時期はまったけど「ブレイクショット」という言葉には記憶がなかった。ナインボールでは、手玉をブレイクショットで放ち、中央に菱形に並べた9つの球のどれかに当てる。すると10個の球がカチッ、カチッと弾きあいながら、四隅へとてんでに転がり、散らばっていく―。

 その動画的な記憶がよみがえった時、筆者はこの小説で、「ブレイクショット」にもうひとつの意味を込めていると思った。小説に出てくる男の一撃が強いほど、その衝撃はほかの多くの人生へと伝わり、拡散していく。

 ブレイクショットは、あいつとこいつを知らない間につないでいく「SUV車」であると同時に、あいつやこいつの人生を変えていく「衝撃」でもあった。タイトルの「軌跡」はSUV持ち主の変遷であり、衝撃の伝播の道筋だったのだ。

■「?」は回収 まっとう心根にエール

<▲帯をつけると>

 単行本で577ページもの長編なので、たくさんの舞台と人物と出来事が交錯していく。でも構成が巧みだし、中身は骨太だから、大きな筋でこんがらがることはない。 

 ただ細かいところで何度か「?」と思う箇所があった。「あれ、この話、ここでおしまい?」「あれ、この人はその後、どうなった?」といった類だ。傲慢で貪欲な男たちと、真摯で善良な男たちがぶつかってできた破片、とでもいえばいいたろうか。

 でも「?」は杞憂だった。飛び散った破片は最後に回収され、おさまるところに収まって終わる。プロローグで出てきた「車内に落ちたボルト」もそうだった。

 しかも読み終えたぼくは希望も感じとった。正義や正直や努力といったまっとうな心根こそ、最後には報われほしい―。控え目だけれど、筆者はそんな願いをラストにこめた気がした。

■2度目の直木賞候補 まだ39歳

 この小説は173回直木賞の候補作のひとつだった。2025年前半に発表された小説から6作品がノミネートされ、ぼくは別の候補作の塩田武士『踊りつかれて』を選考会の前に先に読んで、印象記も書いた。しかし7月16日の選考会では「受賞作なし」となった。

<カバーの筆者略歴>

 逢坂冬馬氏の名は2022年の『同志少女よ、敵を撃て』で知った。デビュー作なのにこの年の第166回直木賞の候補になった。未読だけれど、NHKのラジオ番組『高橋源一郎の飛ぶ教室』に筆者がゲスト出演し、さわやかな話しぶりに親近感を持っていた。

 1985年生まれで、まだ39歳である。次の作品を楽しみに待とう。