住んで26年 知らないことばかり
(八事杁中歴史研究会、2015年8月)
この本は中日新聞の記事で知った。まえがきによると、うちの近くにある滝川コミュニティセンターが催した文化教養講座「地元滝川の歴史」の参加者のうち十数人が、もっと範囲を広げた八事・杁中研究会を発足させ、調査結果を持ち寄った、とある。
ぼくは名古屋にきて44年、八事に住み始めて26年にもなる。しかも建築史を勉強して地元紙の記者になった。なのに八事・杁中の歴史については知らないことばかりだったことを、この本を読んであらためて実感した。
いまでも八事の顔といっていい興正寺。この寺ができたのは名古屋城築城(名古屋開府)から100年も後のことだった。名古屋城と、家康の故郷である岡崎とをつなぐ「軍事的役割」があったという。
この地域には「天白渓」とか「八事遊園地」とよばれる大きな遊園地がかってあった。明治から昭和初期にかけては、丘陵地にある避暑地であり、遠足や娯楽の地であった。現在の東山公園や長島温泉ができる前までは、名古屋近郊の観光地として大いに栄えたらしい。掲載された地図を眺めながら、ええー、あそこにこんなものがあったのかとびっくりである。
興正寺と高照寺という「ふたつのこうしょうじ」と八事霊園が、明治から戦前にかけ、この地域の核であったらしい。中京大学や名城大、八勝館は「その後の新しい核」ではあるが、この本には出てこない。
こうした地域の歴史に目が向くのも、ぼくが60歳を超えた証なのだろう。