記者が語る苦労と苦悩 議論も賛否活発に
(2013年7月)
【注】NIMRAはぼくが加入する私的異業種交流会「名古屋国際都市問題研究会」の略。幹事をつとめた2011年4月例会の報告を、講師をお願いした寺本政司氏の承諾を得て公開します。過去の例会報告はHP (http://www.nimra.jp/index.html)でも閲覧できます。地震発生直後の新聞記事は縮刷版から抜粋しました。
■事前の案内
中日新聞と東京新聞(中日新聞東京本社発行)は福島第一原発の事故以来、原発問題についてはいわゆる「反原発」「脱原発」の主張を明確に打ち出す姿勢を貫いてきました。その紙面は高い評価と支持を得ている半面、反発や批判も浴びています。当日は具体的な紙面ももとにしながら、取材班が何を考えてそうした記事にしてきたか、どんな反響があったかなどを紹介して、皆さんと論議したいと思います。
とんがった対立軸と数多くの論点を抱えるテーマだけに、時間が足りなくなる恐れもありますが、できるだけ冷静にかつ熱い議論ができればと考えています。
講師は中日新聞社会部・部次長の寺本政司氏。1963年石川県穴水町生まれで88年中日新聞社入社。敦賀支局、名古屋本社経済部、ニューヨーク支局などを経て2008年から名古屋本社社会部。原発取材には敦賀時代からかかわり、東日本大震災と福島第一原発の事故の直後からは取材チームの主要メンバーのひとりとして数多くの生ニュースや連載、特集を紙面化してきている。
以下は当日の講演と意見交換の要旨です。(文責・団野誠=例会幹事)
■講演の要旨
大震災直後から「原発取材班」に加わった。原発にくわしい科学部は記者が3人だけ。原発取材経験がある記者を全社かき集めた。しかし現地には入れず、情報は東電・保安院の会見のみ。原子炉で何が起きているのかよくわからない状態がしばらく続いた。
事態が深刻化しメルトダウンが疑われる中で「どこまで書けばいいか」「パニックにならないか」と悩んだ。たとえば5日後の16日。冷却水がなくなった。悩んだ末に最終版見出しは「制御困難」とした。東電が会見で「実質的にコントロールできない状況」と述べたのを受けた。ネット上では後に「メディアは正しい報道をしなかった」と激しい批判を受けた。
東電や保安院は会見で「想定外」という語をよく使った。記者には原稿には使うなと言った。あれだけの事故を起こしながら被災者に失礼だと。「アクシデント」「クリティカル」などのカタカナ語も一般の人にわかる語に直した。事故を矮小化したがる習性は変わっていなかった。
「記事は客観的に」と教えられてきた。賛否を半分ずつ書けば客観性は担保できるとも。しかしそこには「客観性のワナ」がある。重要テーマには「賛成2:中間6:反対2」の法則がある。真ん中の6割に向けて記事を書いてこなかった。新聞の多くはチェルノブイリや東海で事故が起きると原発問題を集中的に取り上げたが、1年もたつと「熱」は冷めた。問題を6割の読者に向けて大きなテーブルに乗せられなかった。記者として責任があると思っている。
今後は読者の判断材料になる記事を提供していきたい。たとえば安全保障との関係だ。核燃料サイクルで出るプルトニウムは管理にどんなコストがかかるか。核武装に傾く北朝鮮や中国の隣で日本もプルトニウムを扱うと緊張が高まり、日本の管理コストは高くなる。テロ警備や勤務者監視が必要になるからだ。それでも日本は「民主、自主、公開」の平和利用3原則を守れるか。消費増税は財政赤字を子孫に残さないためとされる。では核のゴミは子孫に残していいのか。
私の中では脱原発は禁煙運動と一緒でいいと考える。反体制や政権打倒の運動とは無関係でいい。イデオロギーとは違う次元でもっと簡単に考えていけないか。
日本の原発は9月に大飯が点検停止し再び稼働ゼロになる。その後、申請中の原発の一部が再稼働を認められ1月には動き出す流れだろう。この間こそが、日本は原発をどうするか国民的議論をできる最後の機会になるのではないか。その判断材料を記事として出していきたい。
■自由討論で出た主な意見
(「脱原発」に疑問を抱く立場から)
- 放射能の人体への影響を示すデータが恣意的に操作され、必要以上に厳しい国際機関の数値が避難や除染に適用されている。15万人の避難は「メディアによる風評被害」だと思う。
- 原発稼働ゼロは、化石燃料を年に5兆円も余分に買い、ボロボロの火力発電所を動かしてなんとかしのいでる状態だ。「フェイドアウト」と「輸出もOK」の中間の立場を支持する。
- 広島は10年もたたないうちに復興した。残留放射能の影響はもっと科学的に論じられていい。
(「脱原発」を進めるべきとの立場から)
- 廃炉にどれだけ時間がかかるか。「まずいことは隠す」ところにまかせていいのか。原発を再稼働させるなら、その電力会社の役員は家族を原発のすぐわきに住ませろといいたい。
- 福井県美浜出身だが原発はちっともうれしくない。「フェイドアウト」でも甘い。
- 原子力ムラの構造的癒着が露呈した。もっと科学的な比較をしてクールな結論を出せないのか。
- 原発問題はこうして論議が割れてしまう。しかもこの先、合意を得られる見通しはないと思う。このことこそが原子力というものが内在する「性(さが)」であり「業」ではないか。
(中間的な立場から)
- 一般の人は放射能と放射線の違いも判らない。10年ほど議論して結論を出せばいい。
- 判断するだけの材料がないし勉強不足でもあるが、原発への不信感だけは強い。事実に基づいたコンセンサスがないと、議論が成り立たない。
(幹事からひとこと)
自由討論は賛否入り乱れましたが、冷静に議論できたと思います。