(JAL Family Letter、2004年冬号)
(注) 日本航空の海外向け広報誌から2004年秋に依頼されて書いた文章。冬号の巻頭グラビアに掲載された。名古屋弁の見出しは編集部がつけた。
- 信長、家康、秀吉
- みそ煮込みうどん
- 名古屋城としゃちほこ
- 百m道路に地下街
「名古屋」と聞き、この街に住んだことがない人が思い浮かべるのはこんなところだろう。人口2百万人を越す都会だが、東京と京都・大阪にはさまれ、その存在感は戦後ずっと薄かった。「偉大なる田舎」「白い街」と揶揄もされてきた。
そんな地味な名古屋が、この数年、急に熱い視線を集めている。テレビや雑誌もひんぱんに特集を組む。キーワードは「元気なナゴヤ」である。
この地区に限れば、鉱工業生産指数はすでにバブル期をしのぐ水準に達した。個人消費は力強く、失業率も低い。女性誌は、名古屋の若い女性たちに「名古屋嬢」という新語をあて、そのファッショ ンに注目している。世界的なコンサルタント会社、ボストン・コンサルティング・グループは昨年10月、東京に次ぐ日本での第二事務所を名古屋に開いた。
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「元気」の源泉は3つある。愛知万博、 中部新国際空港、トヨタである。
万博は来年3月5日から半年間、名古屋市東部の丘陵で開かれる。テーマは「自 “然の叡智」。130以上の国・地域が参加し、1500万人の入場を見込む。日本での万博は10年の大阪以来だ。
新空港は来年2月7日、名古屋の南、知多半島の沖合に開港する。3500m の滑走路を持つ24時間空港。名古屋駅から電車で28分と、都心からの交通の便は成田や関空よりはるかにいい。空港ビル最上階にできる「銭湯」や、国内最大の免税店が早くも話題になっている。
こうした国家事業がふたつ、同じ年に同じ場所で結実するのは異例。 2兆円近いお金がいま名古屋圏に落ちている。
3番目の牽引力はトヨタ自動車だ。名古屋の東の豊田市に本社があり、工場も近くに集中している。ことし三月の連結決算では、税金を引いた純利益が1兆円を越え、モノづくり分野では世界一になった。バブル期にも土地や株には手を出さず、世界を見すえながら愚直にモノづくりに励んだ名古屋企業の代表だ。万博・空港の後押し役としても、強大な影響力を発揮している。
こうした元気は街のクレーンの数ですぐわかる。JR名古屋駅地区は4年前の JRタワーズの完成で求心力を一気に高め、すぐ近くでタワーズより高いビルが建設中。栄地区も昨年9月、百貨店の松坂屋が新南館を開店させたのに続き、ほかの百貨店や専門店も増築や改装で「逆襲」を始めている。こうした都心間競争も、街に活気を呼んでいる。
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名古屋には苦い思い出がある。1981年9月、ドイツでのIOC総会で、88年五輪誘致をソウルと争い敗れた。直前まで圧倒的に名古屋有利と見られていたが、 結果はダブルスコアの大敗だった。
その後の名古屋は、さえない話題ばかり。東海道新幹線では東京・大阪発の始発列車を名古屋には止めない「名古屋飛ばし」が話題になり、タモリが「エビフリャー」で名古屋弁をからかった。日韓共催W杯でも、名古屋は国内会場選びで落選した。名古屋っ子はそのたびに肩を落とし、耐えてきた感がある。
苦節5年、やっと迎える “春”である。とかく名古屋人は「宣伝下手」「出しゃばらない」といわれてきたが、今回は大きな転換点になるだろう。さまざまな出会いが、仕事で、趣味で、ボランティアで、 新たな動きを誘発するはずだ。それが最大の波及効果になるとみている。
海外にお住まいのみなさん、次の帰国ではぜひ、開港直後の中部新空港を利用してください。愛知万博や「元気な名古屋」に触れてほしい。それはきっと、日本の未来に触れる旅にもなるはずだ。
(筆者紹介)
団野誠(だんの・まこと) 1952年6月、京都府舞鶴市生まれ。名古屋大学卒業後、1978年中日新聞社入社。富山支局、経済部、社会部、バンコク支局などを経て、2003年3月から名古屋本社経済部長。