4 評論 時代を考える

「暗闇でしか見えぬものがある」 カムカム口上が愉快で知的な横展開

文春とミリオン座が引用  格調と敬意の連鎖

 「暗闇でしか見えぬものがある」。NHKテレビ小説の劇中劇の台詞を下敷きに、週刊文春が特集記事に「文春でしか読めぬものがある」との見出しをつけた。さすがと感心していたら名古屋の伏見ミリオン座がきょう朝刊の全面広告で「ここでしか出会えない映画がある」とやってくれた。格調と敬意を伴う知的なこの横展開、なんとも愉快でうれしい。ぼくの自己流分析は、若者たちに広がる「~しかない」表現にまで及んでいった。

 <▲(左から) 朝ドラ劇中劇、文春広告、ミリオン座コピー>

劇中劇 尾上菊之助の決め台詞

 「暗闇でしか…」のセリフはNHKのテレビ小説『カムカムエヴリバディ』に出てきた。2代目ヒロインのるい(深津絵里)が恋人のジョー(オダギリジョー)と観る時代劇のヤマ場で聴いたのが最初だった。

 この時代劇は「モモケン」こと桃山剣之介(尾上菊之助)が演じる黍之丞(きびのじょう)が主役だ。彼は映画のヤマ場で剣を正面に向け、低音のサムライ語調でうめく―。

 暗闇でしか 見えぬ ものがある

 <▲NHKの番組ホームページから>

 菊之助が演じるこの劇中劇シーンは、3代目ヒロインひなたが「時代劇大好き少女」となり、京都の映画村に就職するにいたって再び繰り返し出てきた。

 NHKの朝のテレビ小説は、録画しておいて毎週金曜日の夜に5回分まとめて妻と観ている。この決め台詞シーンは、ふたりの記憶では少なくても10回は観た。だから台詞はもちろん、語調に映像まで合体して記憶に入りこんでいる。

秀逸「文春でしか読めぬものがある」 みなぎる矜持と自負

 ぼくは毎朝、およそ3時間かけて朝刊2紙を精読する。木曜日は週刊文春と週刊新潮の最新号の広告がでるので、企画と特ダネのガチンコ勝負が楽しみだ。

 <▲3月10日朝刊の広告。この号にも「文春砲」が…>

 3月10日朝刊に出た文春最新号の特集は『カムカム大解剖』。NHK朝ドラの「裏」情報を集めているらしい。そのメーンコピーを見て思わず「うまい !」と叫んだ。

 文春でしか 読めぬ ものがある

 カムカム劇中劇の台詞を見事に引用しているだけではない。この10年ほど文春は数々の特ダネを連発し、その破壊力は「文春砲」と称され別格の存在感がある。その矜持と自負もこのコピーにみなぎっている。

 この朝の広告にも「女優4人が覚悟の告白」の見出しがあった。案の定、「人気映画監督」は強要を認め作品は公開停止になったと、新聞は「後追い」を余儀なくされた。

 編集者がカムカム特集を組むと決めた時には、このコピーが同時に浮かんだのではないか。もしかすると先にこのコピーが浮かび、ふさわしいネタを集めたのかもしれない。

名古屋のミリオン座も「ここでしか出会えない映画がある」

 <▲3月12日朝刊の全面広告の上部>

 そしてきょう12日、土曜日の朝。中日朝刊のページを繰っていって16面で伏見ミリオン座の全面広告を見た時には、思わずのけぞった。こんどはこうきたか、と。

 ここでしか 出会えない 映画がある

 ミリオン座は3年前、同じ名古屋市中区の伏見地区内で移転して新しくなった。その感謝も込めた全面広告である。ぼくも昨年8月にここで『ドライブ・マイ・カー』を観て印象記を書いた。昨夜の日本アカデミー賞でも8冠に輝いていたから、余計に縁を感じた。

 このコピーが『カムカム』劇中劇のセリフを下敷きにしているのは間違いないだろう。文春もミリオン座も、その引用や暗喩には知性と格調、さらには元ネタへの敬意が感じられて、ぼくはすごくうれしい。

限定→否定→断定 魅惑の3段論法

 この3つの言葉を並べ、共通点を探ってみよう。

  • 暗闇でしか 見え   ものがある
  • 文春でしか 読め   ものがある
  • ここでしか 出会えない 映画がある

 「でしか」は場所や分野を限定する副助詞だ。あとにくるのは行為の否定表現(「ぬ」「ない」)だけど、最後の断定表現(「がある」)を加えた3つが呼応しあうことで、その行為を限定的にかつ強調して肯定する効果がある。

 「しか」限定→「ない」否定→「ある」断定。意味の反転具合がなんとも絶妙で、日本語の不思議な妙味が満載だ。ぼくはこれを勝手に「3段論法」と名づけ、自分でも使ってみた。

  • 早春にしか 食べられぬ 旬味がある
  • 新聞でしか 伝えられぬ 真実がある
  • 栄でしか  愉しめない 広場がある
  • 古稀にしか 映らない  未来がある

 最初の「限定お題」さえ決めれば、すぐに「動詞」と「目的語」が浮かんでくる。まるで魔法にかかったみたいだ。くせになる。下手な川柳みたいだけれど、だからこそ、庶民の言葉遊びに向いている気がする。

「~しかない」流行が背景に?

 なぜいまこの語法が横展開しているのか。考えていたら「~しかない」流行が浮かんだ。作家の諏訪哲史氏は中日新聞連載エッセイ「スットン経」で昨年6月4日に「感謝しかないのですか」との題で強烈に皮肉っていた。

 <▲2021年6月4日付け中日新聞朝刊の連載エッセイ>

 諏訪氏は、優勝者への記者インタビューの形式を使い、こう書く。

 「優勝した今のご感想を。ご両親もご覧になっています」
 「親には感謝しかないです」

 「なぜ若い方は複雑に絡まる人の多様な感情の細かさを『~しかない』と頑なに限定するのですか」
 「まるで感謝以外の諸々がなくなりそうなほどに感謝していますよと、そういうやや大げさな表現なんです」

 微妙な感覚に沿った言葉選びを命とする作家からみれば、この表現の流行には耐え難い不快感があるらしい。ぼくも同感だ。ほかにも「~の方」「~させてもらっています」「~してもらっていいですか」という言い回しにも、同様の違和感がある。

 さて、「暗闇でしか見えぬものがある」とその展開2例は、いまの「~しかない」流行と関係があるのだろうか。日本語の深さを味わう愉しみのひとつとして、次の展開例が出るのを期待しつつ、検証はしばらくわきに置いておこう。

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