強くて逃げない直球 球筋がネトウヨ刺激
(ダイヤモンド社、2015年1月)
先月の朝日新聞のオピニオン面でも筆者の発言を読んでいる。この人の主張には同意できる論や問題設定が多いと感じてきた。この本を読んで、安倍政権になってからの「戦争ができる国」志向や、戦前の価値観への回帰についての指摘は、うなずけることばかりだった。
それと並行して、悲しくなる指摘もたくさんあった。メディアはその流れに抗し切れていないこと、いや筆者によれば、同調していること。ネット上の短文による決めつけ論評の馬鹿らしさと、それが流れを作っていく怖さ―。筆者を激しくいたぶるネット文は、読んでいてつらく、さみしい。
筆者の本のタイトルはいつもど真ん中のストレートで、しかも球筋がはっきりしている。副題はさらに『「自分の国は血を流してでも守れ」と叫ぶ人に訊きたい』である。挑戦的でわかりやすい文言や物言いが、いわゆるネトウヨを刺激して、不毛な罵倒合戦になっているのだろう。
第4章は「それでもこの国は、再び『戦争』を選ぶのか」とある。加藤陽子氏の著作『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(2009年7月)を下敷きにしていると思われる。
森達也氏の「それでも」には、筆者を含むかなりの言論人が「このままでは戦争になる」「この世相や法律(特定秘密保護法)はいつかきた道」と警告を発しているのに、という絶望的な感覚をこめているのだろう。
ほかにも強くて逃げない主張の文言があった。
・東京裁判史観は過去を犯している。責任はA級戦犯にあるのではなく国民全体にあるのだ。
・自虐史観と呼びたければ呼べ。でも加害の記憶から目をそむけてはならない。
昨年読んだ白井聡氏の『永続敗戦論』(2013年3月)を読み返したくなった。