40年前「実践派の知識人」 健在だった
(自然食通信社、2012年9月)
つばたしゅういち(津端修一)さんは、ぼくが建築学科の3年か4年の時、非常勤講師として週に一度、半年にわたって授業を受けた。1975年ごろのことだ。日本住宅公団での経験をもとに大規模ニュータウンの開発についての講義だったと思うが、実は講義の中身はほとんど覚えていない。
40年以上もたって思い出すのは「実践派の知識人」という印象だ。自ら開発を担当した高蔵寺ニュータウンに住み、広い区画を確保して家庭菜園などを楽しんでおられた。
「自由時間評論家」「余暇評論家」といつた肩書で郊外暮らしとか生き方提言もされていた。丈夫で重い靴を履いていらして、授業の合間にその靴を見せてくださったのを覚えている。
この本の主人公は奥さんの英子さんかもしれない。半田の造り酒屋に生まれた「お嬢さん」育ち。でも芯は強く、家の中でコツコツと野菜を育て、料理を作り、はたを織る生活にあこがれてきたという。それを高蔵寺で実践されている。
こんな女性はもう日本では出てこないかもしれない。もっと社交的で海外にも出て、男性と対等にわたりあえる女性は出てくるだろうけれど。ということは、こんなステキなご夫婦はもう日本には現れないということかもしれない。
日常の暮らしの中で、家庭菜園や手作りを夫婦で徹底的に積み上げていく。この本のタイトル「ときをためる」も本質をつかんでいる。見事だなあ。