4 評論 時代を考える

『戦争は女の顔をしていない』コミック版

反戦広告から無料入手 プーチンには無力?

 ウクライナ生まれの女性ノーベル賞作家が書いた『戦争は女の顔をしていない』の電子コミック版を読んだ。出版元が10日朝刊の全面広告で「ダウロード無料」と呼びかけ、スマホ読みを初体験した。原作はロシア語で書かれ、第2次大戦でナチスドイツと戦った旧ソ連の女性兵士たちの血がにじむ証言文学だけれど、欧米にすり寄っていく兄弟国への憎しみを募らせたプーチンには無力だったのだろうか―。

KADOKAWA 「今こそ戦争を考えよう」

 『戦争は女の顔をしていない』は1985年に旧ソ連ベラルーシで出版され、200万部を超すベストセラーになった。著者スヴェトラーナ・アレクシェーヴィチが2015年にノーベル文学賞を受賞した際に、意表をつく書名が記憶に残っていたが読んでなかった。

 日本にはコミック版もあるのを知ったのは5月2日の中日新聞夕刊だった。KADOKAWが小梅けいと作画で2020年1月から3巻まで発刊していて、紙と電子版あわせて40万部も売れている。2月24日のウクライナ侵攻後の伸びが顕著だという。

 原作が先か、まずは手軽なコミックか、と迷っていたら、10日の朝日新聞には驚いた。そのKADOKAWAが全面広告で「今こそ戦争について考えよう」と打ってきて、お勧めの本やコミック9作品の筆頭に『戦争は女の顔を…』があったのだ。

 さらに創立者の角川源義が1949年5月に書いた文章がぼくの頭のミットに突き刺さった。戦争を防げなかった猛省と不戦の誓い、ど真ん中の直球だった。

 第二次大戦の敗北は、軍事力の敗北であった以上に、私たちの若い文化力の敗退であった。私たちの文化が戦争に対して如何に無力であり、単なるあだ花に過ぎなかったかを、私たちは身を以て体感し痛感した。(中略)これは各層への文化の普及浸透を任務とする出版人の責任でもあった。

(1949年5月3日 角川源義「角川文庫発刊に際して」より)

 いちばん下には小さく「これらの作品はBOOK☆WALKERにて無料でダウンロードしてお読みいただけます」とあった。よし、コミックを先に読もう―。恥ずかしながら、コミックや本をスマホで読むこと自体、それまで体験はなかった。

電子版で「読む」戦争 異常な哀しさ

 さっそくアプリと作品をスマホにダウンロードし、ページをスワイプしながらコミックを読んだ。およそ3時間。あまりの手軽さに拍子抜けする反面、中身の重さは予想を超えていた。

 コミック版は生々しい証言を軸にしつつ、ていねいな筆遣いで銃撃戦や野戦病院の様子だけでなく、女性兵士たちの揺れ動く心理をリアルにきっちりと描いていく。

 若い女性兵士が最前線で銃や戦闘機でドイツ兵と闘う。負傷した仲間兵士と兵器を背にかついで、銃弾の下を這いながら撤退する—。なのに軍服にも下着にも女性用はなく、生理への対応もゼロ—。

 男性兵士との恋とか、美しさやおしゃれへのこだわりも出てくる。戦後には、彼女たちの多くが心にトラウマをかかえていたり、兵士だったことへの無理解や差別もフォローされている。

 ぼくは戦場に行ったことはない。しかも男だから、こんな光景を想像したことさえなかった。

 とんでもない異常さが、果てしない哀しさを伴って、眼から突き刺さってきた。

疑問1 「銃後」より「前線」に百万人も?

 読みながら疑問も浮かんできた。あの大戦で日本の女性は「銃後の守り」に徹した。旧ソ連では従軍女性は百万人に達したという。なぜそんなにも…。

  男女同権をうたう社会主義の理想(もしくは建前)が後押しした。ただ彼女たちは男性と違って徴兵されたわけではない。自ら志願して戦場へ赴いたのだ。愛国心、教育の効果、敵への憎しみ…。

(コミック版1 監修した漫画家、速水螺旋人氏の解説から)

 女性たちが戦った独ソ戦は1941年5月にナチスドイツが先に侵攻して始まり1945年まで続いた。あの大戦で旧ソ連は軍人、民間人あわせて2700万人が死んだ。ちなみにドイツは約800万人、日本は約300万人だから、旧ソ連はけた違いに多い。

疑問2 証言もノーベル賞も「あだ花」?

 もうひとつの疑問は今も続いている。『戦争は女の顔を…』には、現ロシア出身の女性兵士のつらい証言もたくさん書かれ、2015年には筆者にノーベル賞が与えられた。それでもプーチンには「無力」な「あだ花」だったのか。角川源義が73年前に嘆いたように…。

 歴史は繰り返すと安易に思いたくはない。もしこの作品がなければプーチンはもっと早く、もっと過激な作戦に出ていたかもしれない。ロシア国内にも「軍事作戦」反対者の数は一定数いるとされているが、その数はもっと少なかったかもしれない。

NHK「100分de名著」で要約と背景

 コミック版を読んだ後、つぎは原作をと近くの書店に出かけたら「在庫なし」だった。名古屋市図書館のホームページで検索しても17日現在で在庫8冊は貸出中で72人が予約していた。

 書店の端末検索で代わりにヒットしたのがNHK教育テレビ「100分de名著」のテキスト版だった。2021年8月に『戦争は女の顔を…』を取り上げ、放映4回分を一冊にまとめてある。

 すぐれ本だった。重要証言はほぼ取り上げられているようだし、背景の政治情勢も解説してある。証言のいくつかが取材過程で何度も変遷したことや、ペレストロイカによって出版できた1985年でも削除せざるをえなかった証言が多数あり、2004年の復刻版にはそれらも盛り込んだという。

 著者は膨大な取材を重ね、証言を重層的に重ねて「文学」にまでもっていった。そんな位置づけもしっかりなされている。

本屋大賞『同志少女よ、敵を撃て』も

 その日の書店の新刊コーナーには、2022年の屋大賞『同志少女よ、敵を撃て』が山積みになっていた。宣伝帯の裏側を見て、あっと声を出した。作家の三浦しおん氏がこう評している。

 戦争は女の顔はもちろんのこと、男を含めたあらゆる性別の顔もしておらず、つまり人間の顔をしていないのだという事実を物語ろうとする、その志の高さに感服した。

(三浦しおん氏による帯の惹句)

 筆者の逢坂冬馬氏のインタビュー記事をNHKのHPで読んだら、やはり、執筆のきっかけは『戦争は女の顔を…』だったと語っている。女性の目から見た戦争だったら書けるかもしれない、俺がやらなきゃ誰がやる、という気持ちで書いたという。

筆者は侵攻を「人類の敗北」

 本屋大賞の発表は4月6日だった。ウクライナ侵攻と重なったことに逢坂氏は「あまりにタイムリーになりすぎたことが本当につらい」としたうえでこうも述べる。

 「始まる前に終わらせなければならなかったのに戦争が始まってしまったというのは、人間が敗北したということなんです」

 芸術や文化には戦争を回避させる力はないのか。角川源義は「文化力の敗退」と悔いた。村上春樹氏は3月のFM特番で「音楽には聴く人にやめさせなければいけないと思わせる力はある」と語った。「人間の敗北」は、話し合いで戦争をやめさせることができるまで人類は成熟していないという絶望に聞こえる。

プーチン「使命を背かれて憎しみ」

 それにしてもプーチンはこんな無謀な戦争をなぜ始めてしまったのか。同じ1952年生まれとしていろんな論評を読み考えてきた。もっとも核心をついていると感じたのは、岩下明裕・北大教授の「なぜロシアは力づくか」(4月14日、朝日新聞)だった。

(▲2022年4月14日 朝日新聞朝刊から)

 見出しをつなぎ要点を抜き出すと―。ロシアは偉大な民族だから「周辺国を導く使命」がある、と思い込んできた。なのに身内のウクライナに「背かれ」て「憎しみ」を抱くにいたった。西側の毒リンゴを解毒してやると「解放の名で侵略」した―。

 うーん、プーチンから隣国を見るとそう映るのか。「女の顔」は見えていないというより、はなから見ようとしていない。

 岩下教授によれば、ロシアの「解放」の例は1945年8月、千島列島への侵攻までさかのぼる。玉音放送が流れた後にもロシアは北東端、占守(シュムシュ)島に進軍した。あの戦いを描いた浅田次郎『終わらざる夏』が蘇ってくる。ああ、この77年もの間、ロシアは何も変わっていないのか―。むなしく、ただ悲しい。

NATO加盟へ 北欧の首相は女性

 5月16日にはスウェーデンとフィンランドがNATO加盟申請を表明した。ウクライナの加盟を止めたいというプーチンの狙いは裏目に出ていると欧米日のメディアは報じている。

 ぼくが注目するのはどちらの国も首相が女性であることだ。両国とも「軍事的中立」より「福祉と男女同権の先進国」の印象が強いから、リーダーが女性であることに違和感はない。

 外交ならプーチンにも「女の顔」が見えるだろうか―。

(▲ 2022年5月17日 中日新聞朝刊の社説から)

侵略側「義なき兵士」の証言を

 戦場の実像を描いた本や映画は数多ある。『戦争は女の顔をしていない』は、「女性兵士の証言」を集めている点では異例だ。しかし独ソ戦ではナチスドイツが先に侵略を仕掛けており、旧ソ連(ロシア)には悪のナチスに立ち向かうという「義」があった。

 ぼくが知る限り、侵略した側の兵士の正直な証言は少ない。きちんとした「義」がなく侵略した国の兵士は加害意識を抱えていることが多く、自らの戦争行為を取材で話せる兵士は少ないだろう。

スマホ発信の時代だからこそ

 現代はだれでもスマホひとつで世界へ発信できる時代になった。今回のウクライナ侵攻でも虐殺現場の動画や写真が、攻め込まれたウクライナの市民から発信されて世界に拡散し、ロシアは欧米から激しい批判と制裁を受けている。

 しかしロシアはウクライナ侵攻を「ネオナチに対抗するためのやむを得ない特別軍事作戦」と説明し、SNSには軍や外務省の声明や公式見解しか出ていないとされる。

 前線に駆り出されているロシア兵たちの生の証言が、今回の戦争が終わってから出てくることはあるのだろうか。もし出てきても、加害意識なんてかけらも感じていなかったという証言が大半を占めることもあるだろう。あるいは、明らかに虚偽の内容を語り「もうひとつの真実」だと言い張る兵士もいるかもしれない。

 しかし、そうした「加害側」の肉声も聞きたい。そこに含まれる建て前と本音、嘘と本当、あるいはその中間のまだら模様を知り、なぜそんな発言になっていくのか考えたい。ただ反戦ばかりを叫んでみても、また別のだれかが新しい戦争に進んでしまうのを食い止める力にはつながらないように思えてならないから。

 「義なき兵」の肉声を求めて、心あるジャーナリストや作家が、新たな取材活動をすでに始めてくれていると信じたい。

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