なまめかしくうねる曲線 スケッチの気品いまも
(静岡県袋井市、2022年10月27・28日)
コース設計の名匠、井上誠一の晩年の傑作とされる葛城ゴルフ倶楽部(静岡県袋井市)でのプレーがかなった。グリーンまわりではバンカーや池の曲線、背後の樹林の稜線がなまめかしく絡みあい、井上が残したスケッチの気品がいまも漂っていて、眼の快楽も堪能できた。フェアウエーが尾根を囲みS字湾曲したり、13個のバンカーが怯えを誘ってきたりと、技量と度胸を試す戦略性も味わえた。高校同窓生4人での1泊2ラウンド。半世紀前の昔話は尽きず、至福の2日間だった。
「山名」に起伏と入念な造り込み
葛城にはそれぞれ18ホールの「宇刈」と「山名」の2コースがあり、ともに井上の設計である。ぼくらは1日目に宇刈、2日目に山名をラウンドした。
宇刈はおおむね平坦でまっすぐ。接待やリゾート気分のゴルファーに適しているように思った。山名は起伏に富んだホールが多く、グリーンまわりも念入りに造りこまれていて、挑戦心を求めてくるレイアウトも多かった。4月開催の女子プロのヤマハレディースは山名が舞台。この印象記は山名に絞って書く。
ハウスにもとの図面 現況と比較すると
クラブハウスのロビーからロッカー室へ向かう廊下に、36ホールのうち4つのホールについて、グリーンまわりの平面図とスケッチが展示してあった。クラブに確認したところ、井上誠一が描いた図面を基に制作したレプリカ、だという。
ぼくは大学では建築学を選んだので、建物の平面図や完成予想図になじみがあった。演習では自分で描いたこともあった。しかしゴルフコースの図面は初めて見た。しかも井上誠一だ。「もとの図面はこうだったんだ !」と感激してiphoneで撮影し、コースへ出た。
山名コースの5番パー5の平面図とスケッチが写真①だ。上側が平面図、下側は建築でいうと鳥瞰イメージ図になる。寸法は入っていない。
2日目に実際にプレーしながら、ぼくがコースで撮影したのが写真②だ。目線は井上のスケッチよりかなり低いけれど、設計者のイメージは保たれていると感じた。
山名コースでもうひとつ、図面が展示されていたのが17番パー3。その平面図とスケッチが写真③である。実際にプレーしながら、その17番のティーインググラウンドから同伴者のショットの直後に撮ったのが写真④である。
開業から46年 「大地との調和」継承
5番と17番の平面図とスケッチを詳しく眺めると、どの線も繊細なタッチで描かれている。グリーンの湾曲やバンカーふちのギザギザには、「大地との調和」を願う細やかな設計と配慮があふれている。着色は淡いけれど、グラデーションも微妙につけてある。おだやかな気品と色気が漂い、設計者の誇りと自信も感じさせる。
このゴルフ場が開業したのは1976(昭和51)年だ。井上がコース設計を始めた昭和10年代と比べると、重機はフルに使えるようになっていて、測量技術なども進化していただろう。とはいえ細かな起伏と曲線を大地に刻み込む作業は大変だったはずだ。
しかも開業後は、自然の大地だから風雨に見舞われ、たくさんのプレーヤーが歩いて球を打っていく。何もしなければ芝生は伸びて荒れ、バンカーの砂は汚れて固まり、あごは崩れていく。設計意図を尊重し維持していくには、ゴルフ場にはたいへんな手間と費用がかかってきただろう。
2日間で36ホールのプレーを終えたいま、もとのスケッチともういちど見返しながら、井上誠一は幸せだと思った。開業から46年、彼の思いはいまも尊重され、継承されているー。ファンのひとりとしても、幸せだった。
魅惑のグリーンまわり 漂う甘美
■包み込んでくるような安らぎ
もとの図面が展示されていないホールでも心に残るホールがいくつもあった。山名の名物ホール、2番パー4 の第2打地点。ぼくのティーショットのボールはフェアウエー左側にあった。ボールのすぐ後に立ち、グリーンを見たときの景色が写真⑤だ。
フェアウエーは右へと軽やかに湾曲し、芝もラフも丁寧に刈り込んである。手前に大きなガードバンカーがあり、あごが波打ちながらせり出し、みずからの影を白砂に落としている。その向こう、180ヤード先の2つのグリーンは6つのバンカーに守られている。
まわりの樹林は、気候温暖な駿河らしく、こんもりふくよかに育ち、グリーンをやわらかく取り囲んでいる。芝や樹の緑、砂の白、グリーンの曲線、マウンドの衣紋…。絶妙な調和が眼の快楽を呼び、その甘美は体にしみわたり、包み込まれるような安らぎをおぼえた。
■晩年につくりこんだ造形美
そうした目の快楽と安らぎは、山名の6番と12番でも味わうことができた。グリーンとバンカーの配置や樹林の枝ぶりは違うが、どの景色も、いまから球を打ってそこへ運ぼうとするゴルファーでしか味わえない”ときめき”を伴っていた。
6番パー4、第2打地点からグリーンを狙おうとしたときの景色が写真⑥だ。バンカーがたくさん一度に見えて思わず「ひとつ、ふたつ…」と数えた。10個。左の奥に垂直に立っているピンが「まっすぐここへ」と孤高の呼びかけをしてくれている。
12番パー4の第2打地点から見た景色が写真⑦。こちらは手前のバンカーの先にクリークが走り、奥のグリーンに7つのバンカーがへばりついている。奥に植えられた10本ほどの松がリズムを生み出している。
「遺作」笠間の5番を彷彿
グリーンまわりのこうした景色は、4月に訪れた笠間の5番パー3(写真⑧)を思い起こさせた。この葛城は井上68歳時の「晩年の傑作」、笠間は73歳で死去した後に開業した「遺作」とされる。
人生も終盤になり、重機も費用もかなり自由に使えるようになっていた。井上はこのころ、得意のグリーンまわりで理想の造形美を完成させようとしたのではないだろうか。
技量か度胸か 「戦略性」の妙味
■安全に左か 思い切って右か
山名の2番パー4は「名物ホール」であり、「ハンディキャップ1」だ。ティーショットでどこを狙うか、ゴルファーに究極の判断を迫るからだろう。
ティー位置は、写真⑨のコース図(HPからスリショ)の下側にある。そこから見下ろした先の中央のこんもりした林が曲者だ。
フェアウエーは林の左側から右へと湾曲しながら下っていき、いちど林に隠れて見えなくなる。林の右側で再びティーから見えるが、そこには手前に池がある。
この日の使用ティーはレギュラー(距離411ヤード)で、ヤマハレディースも同じだ。若い女性キャディさんは「右は230ヤードでフェアウェーに届きます。女子プロはほとんどが右へ打っていきます」。
この日の同伴者でもっとも飛距離が出る同窓生は、右へ打った。写真⑩はその瞬間。球はフェアウエー手前のラフにいった。
ぼくのドライバーは平地のキャリーで200ヤードくらい。林の真ん中からやや左を狙って打つと、球は210ヤード先のフェアウェー左サイドに止まっていた。そこから眺めた景色が写真⑤だった。
愛知CC「名物」14番を彷彿
第1打を打ち終わってから、今度は、やはり井上設計の愛知カンツリー俱楽部の名物ホール14番(写真⑪)を思い出した。
あそこも自然の地形を生かし、尾根にある大きな林の右から攻めるか、左から責めるかをプレーヤーに問うてくる。
井上はこんな設計を通じて、大地の造形と戯れながら、挑戦心と遊び心を満たすことができる場をぼくらに残してくれた。
■幻惑さそうバンカー13個
6番でバンカー数を10個と確認した時は驚いたが、それを上回るホールが後にあった。15番パー5(512ヤード)だ。
フェアウエーはSの字になっていて、第1打の落下地点にまず5つの大きなバンカーがある。方向と距離のどちらかを間違えるとつかまる。写真⑫は、バンカーの手前から同伴者が第2打を打つ場面である。
ゆるい坂を上って第3打地点から眺めると、グリーン周りには、さらに8つのバンカーが見えた。プレーヤーの幻惑を誘うが、バンカーとグリーンが織りなす曲線はここでも樹林の稜線と調和していた。
井上誠一38コース 残るは30
井上誠一が設計したコースは、写真集『大地の意匠』や、「北の丸」に展示してあったパネル(写真⑬)によれば、日本に38ある。所在地は17道府県にまたがっている。
そのうちぼくがプレーできたのは葛城で8コース目。それを開業順に書き出すと下記の順になる。東海4県はほぼ行ったから、未体験コースは遠隔地に30も点在していることになる。
●これまでにプレーした井上誠一設計コース
愛知カンツリー俱楽部 (愛知県名古屋市、1954)
桑名カントリー俱楽部 (三重県桑名市、 1960)
大利根カントリークラブ(茨城県岩井市、 1960
春日井カントリークラブ(愛知県春日井市、1964)
伊勢カントリークラブ (三重県伊勢市、 1965)
南山カントリークラブ (愛知県豊田市、 1975)
葛城ゴルフ倶楽部 (静岡県袋井市、 1976)
笠間ゴルフ倶楽部 (茨城県笠間市、 1985)
このうち巡礼記を書いたのは愛知、大利根・笠間に続き葛城が4つめ目になった。プレーには1日たっぷりかけて18ホールを味わう。そのときの印象を翌日から文字と写真に昇華させていき、書き終えるまで2日かけて余韻に浸る―。ゴルフを「書く」のも大好きなぼくには、「1回で3日おいしい」愉しみになるのだ。
高校同窓生と「北の丸」宿泊
今回のラウンドは、ぼくの母校、京都府立東舞鶴高校の同窓生3人と一緒だった。そのひとりであるT君と、ことし4月、千葉の2コース(笠間、大利根)を回ったのがきっかけだった。
T君がその話を1君とK君にしたら「今度は4人で」となった。住まいはT君が千葉、I君とK君は京都だ。ぼくは名古屋に住み、井上設計コースが希望だったので、ほぼ中間、静岡県袋井市にある葛城が候補になった。
会員制なのでスタート予約を取れるか心配だったが、同じヤマハリゾートが隣で運営しているホテル「北の丸」に泊まれば2ラウンドできるとわかった。それなら36ホールすべて回ろうと、4人での1泊2ラウンドとなった。
その「北の丸」は、日本建築の伝統美を生かした外観も、ジャパニーズモダンの内装も素晴らしかった。どの客室も、広々とした芝生の庭に面していて、バルコニーから出られるようになっていた。
4人とも高校時代は運動クラブ(陸上、バスケ、剣道)に熱中していた。卒業から51年をへたいま、すでに70歳の古稀に達している。半世紀も前の昔話に笑いこけながら、大好きなゴルフと美食と酒を堪能したのは、言うまでもない。
はたして彼らとの次のラウンドは実現するだろうか。幸いその機会がくるとしても、ぼくはそのときまで元気でいられるだろうか。持つべきは友、大事なのは健康…。70歳のいま、それを、じっとかみしめている。