1 ゴルフ 白球と戯れる

作画者が急死 連載32年に幕…ゴルフ熱もらい続けた漫画『風の大地』

真摯さに惹かれ 書く愉しみも

 (小学館、1990年~2022年、764話84巻)

 京大中退の元プロゴルファー坂田信弘氏が原作の漫画『風の大地』が、作画者のかざま鋭二氏が急死したため、2022年末に連載を終えた。1990年から32年、単行本は84巻に及ぶ。未読だった14巻を読み終えたいま、純真な沖田圭介が真摯にゴルフ道を究めていく物語は、ぼくのゴルフ熱にも油を注ぎ続けてくれてきたと実感している。哲学的で時に詩的な言葉の数々は「書く愉しみ」まで授けてくれた。

■「空白の7年」から復帰 全英OPで聖地へ

 かざま氏の死去を知ったのは昨年12月だった。小学館ビッグコミックオリジナルの連載は5月20日号の763話で休載になっていた。単行本は84巻まで出ており、ぼくは年明けから漫画喫茶に通い、未読だった14冊を2月3日に読み終えた。

 そこにはまず「7年前の悲劇」が描かれていた。沖田がランニング中にすれ違い声をかけあった小学生7人が直後にトラックにはねられて死亡したのだ。沖田は自責の念にかられて選手を引退、所属ゴルフ場の芝刈り係と家族との暮らしに埋没してしまった。

 しかし7周忌のあと親たちが沖田に「供養はすみました。選手として復活を天国の子たちに見せてほしい」と懇願し、使い古しの鉛筆を手渡す。ゴルフ場の仲間にも励まされ沖田が復帰を決意する場面では、不覚にも、ウルっとなった。

■聖地の16番 3mパット残し

(▲84巻の表紙)

 そんな「空白の7年」をへて沖田は2022年の全英オープンに挑み、予選から勝ち上がっていく。本選の舞台はもちろん、昨年の本物の大会でぼくもテレビ観戦した聖地、セントアンドリュースだ。

 漫画では沖田もトップ争いに加わり、激しいつばぜり合いが描かれていく。最終日に入ると、連載の描写は細かくなり、1ホールにつき1話というスローペースになる。そして残り数ホールまできて、かざま氏の体調が悪化してしまったらしい。

(▲「絶筆」764話の表紙)

 ビッグコミックオリジナルの12月20日号には、坂田信弘氏の追悼文と、「絶筆」の第764話が掲載された。「絶筆」はセントアンドリュースの16番グリーン、沖田が3mのバーディーパットを残しているところで終わっている。

 坂田氏は追悼文で、かざま氏から亡くなる直前に「連載が終わるのはいつになる?」と尋ねられ「5年先だな」と答えたと明かしている。

 物語の沖田は4大メジャーで2位ばかりだが、この全英も、かざま氏が病気にならずに描き続けて「ホールアウト」していたとしても、優勝はなかったろう。坂田氏の原作の先を勝手にそう想像している。

■文体と経歴 魅せられ励まされ

(▲坂田信弘氏=wikipediaから)

 ぼくがゴルフを始めたのは1985年だった。専門誌ゴルフダイジェストに連載していた坂田氏のコラムもお気に入りになった。1947(昭和22)年生まれで5歳年上。なにせ文体が独特だ。さらには「京大中退→自衛隊入隊→プロゴルファー→漫画原作者+ゴルフ塾経営」という経歴にも驚き、魅かれた。

 1990年に始まった『風の大地』には、コラムの文体も、坂田氏の経歴もしっかりと投影されていた。ぼくは漫画喫茶やスーパー銭湯にいくと、書棚でまず『風の大地』を探しまとめ読みしてきた。

 2018年3月には、がん治療のため入院した愛知県がんセンターの図書コーナーで、1巻から13巻まで並んでいるのを見つけ小躍りした。病室で13冊を一気に読み直して感想記も書いた。主人公の一途な生き方と一本気に励まされ、病気を治して早くフェアウェーに戻りたいと願った。

■大作に宿る5つの魅力

 あらためて全巻を振り返り、ぼくがこの大作に惹かれてきた理由は次の5点に凝縮できる。

 ① 主人公が一途で純真 
(▲沖田の微笑)

  沖田圭介は澄んだ瞳と心を持ち、邪心のかけらもない。礼儀も正しい。アスリートとして並外れた集中持続力と挑戦心も持つ。
  もちろん創作上の理想の人物である。キャラクターとしては、お気に入りの長編時代小説『居眠り磐音』の主人公、坂崎磐音によく似ている。

 ② 超人ショット 素人ミスも

 まさに漫画でしかありえない超人的なショットがいくつも出てくる。アゲンストでの300ヤード越えドライバーだったり、たこつぼバンカーからの逆打ちチップインだったり。
 ところが、なんと4パットとか、アプローチでのザックリといった、素人ミスも出てくる。だから展開が読めない。

 ③ 哲学的な思弁と言葉

  プレーの合間の選手たちの会話や、頭で考える言葉が哲学的だ。

 ゴルフから教わりました。単純であることが最善を生むことを

 あふれる好奇心と挑戦する力を持つ者は強い

 無知と愚行…総てが混じり合い、幸運が重なった時、その幸運を実力とするのがゴルフなのだろう

  トッププロが実際の試合でこんな風に言葉をこねくり回す余裕はないだろう。しかし読者としてのぼくには、ゴルフの本質をなんとか言葉に置き換えようという坂田氏の執念がにじみ出ていると感じ、強く惹かれる。

 ④ 余韻…詩的なエピローグ

 雑誌連載の最後のコマには必ず、詩のような文章が10行ほど並ぶ。たとえば—

 潮騒、大きくなった。
 雲の流れ、早まった。
 カモメ、幾度も反転した。
 (中略)
 沖田圭介、34歳と9か月。
 笠崎孝、36歳と6か月。
 二人が並んで歩んだ最後の時。

 ここにはゴルフにしかない時空が漂っている。広いフェアウェー、見上げれば大空…。考える時間がやたら長いからこそ生じる余韻といえばいいだろうか。

 ⑤ 自在でゆるぎなき作画
(▲83巻から)

  ゴルフは動きの緩急が激しい。ただ突っ立って待つだけの時間も長い。半面、ショットは一瞬で終わる。ボールは猛スピードで300ヤード先まで飛ぶこともあるけれど、最後は直径10cm強のカップの中にゆっくりと落ちていく。

  かざま氏が描く画は、視点や角度を自在に変えながら、ショットの身体のしなりから、選手の生の焦りや怒りまでを、ゆるぎないタッチで描いてきた。絵心のないぼくには見事としか評しようがない。

  坂田氏は同じ昭和22年生まれのかざま氏を偲び、追悼文の最後にこう書いた。

 親友だった。戦友だった。
 その微笑みを思う。
 沖田圭介の微笑みに似ていると思う。日本漫画界、一番の描き手だった。

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