大統領選「親身」演出 撮影者に自責の念
(6月22日、名古屋シネマテーク)
プーチンが2000年のロシア大統領選で当選した際のPR映像をもとに、2018年に国外で再編集されたドキュメンタリーである。邦題の「愛」は、後のウクライナ侵攻の源泉になる「祖国偏愛」だろう。連想する007『ロシアから愛をこめて』はソ連スパイの美貌と冷徹な戦略を象徴していたから、KGBスパイだったプーチンへの皮肉も感じる。自ら撮影した映像を再編集した監督はウクライナ出身で「独裁へつながる本性を見抜けず”親身”の印象づくりに加担した」と悔い、ナレーションと構成に自責の念をにじませている。
■撮影2000年 公開2018年
このドキュメンタリーを読み解くには、いくつかの大前提を理解しておく必要があるだろう。公式のホームページやパンフレットによると、カギは次の3つだ。
① 撮影は1999年の大晦日から1年
映像は1999年12月31日のテレビ演説から始まる。ロシアの初代大統領エリツィンが辞任を表明していた。プーチンが大統領代行に指名され、3月の選挙で当選し、大統領として執務する様子を、PR用としてカメラにおさめていく。プーチンが就任後にエリツィンから離れていく様子もわかる。
② 監督はウクライナ出身で国営テレビ局部長
撮影したマンスキー氏は旧ソ連時代にウクライナで生まれ、モスクワの国立大学で映画を学んだ。撮影時は国営テレビ局のドキュメンタリー映像部長で、記録に残すことをエリツィンに命じられた。いわば「身内のお抱えカメラマン」だから、撮られている側に警戒感はまったくない。
③ ロシア出国後のラトビアで編集 2018年公開
プーチンがクリミア併合を進めた2014年、マンスキー氏はロシアを嫌い隣国ラトビアに移住した。撮り溜めた映像からこの作品を編集し、ナレーションも自ら担当した。チェコでのカルロヴィ・ヴァリ国際映画祭で2018年、最優秀ドキュメンタリー賞を得て世界で公開された。
今回の再公開は、プーチンが2022年2月にロシアのウクライナ侵攻に踏み切ってしまったことを受け、大統領になるときの経過と内面を探ることができる貴重な映像記録として注目を集めたからだろう。
■40代後半 物腰やわらかく そつなし
プーチンは1952年10月7日の生まれ。ぼくと同い年である。映像に映る彼は当時47歳。まだ若々しい。
まず驚いたのは、普段からあの独特の歩き方だったことだった。左足を踏み出すと右肩も前に突き出し、右足を出すと左肩も前に出す。23年前の大統領就任式でクレムリン宮殿の奥から出てくる姿が強烈だった。偉くみえるよう意図的に”柔道歩き”をしたと思ってきたけれど、芝居ではなかったらしい。
カメラに映る物腰はやわらかい。受け答えにもそつがない。語彙も豊富だ。記憶力の良さと頭の回転の速さも感じる。まわりを見下ろす威圧感はまだまとっていない。佐藤優が『プーチンの野望』で指摘する「陰険」「死神」「能面」もまだ感じない。
2000年の選挙中にプーチン陣営は、テレビCMは打たず、公開討論には出ず、公約も示さなかった。そのかわり大統領代行としてチェチェン紛争で負傷した兵士を見舞ったり、恩師の葬儀に出たりして”実務派”を演じ続けた。
監督はナレーションで、選挙支援チームが、国民がプーチンに感じるイメージを「強硬」から「親身」に変わるよう演出した、と語った。しかし、そのチームのメンバーも、大統領当選後は、大半が失脚するか反プーチンに転じるか、変死するかした。現在もプーチンのそばにいるのはメドベージェフだけ。2008年から「つなぎ役」の大統領を1期だけつとめ、反体制派から”プーチンの犬”と称されてきた政治家だ。
■原題は「プーチンの目撃者」
映画の英題は『Putin’s Witness』である。「プーチンの目撃者」。マンスキー監督は「目撃者」のひとりとして、プーチンが就任直後に国旗と国歌を旧ソ連時代のものに戻したことに疑問を感じ、プーチンに訳を尋ねる場面に時間を割いている。後のクリミアやウクライナ侵攻につながる国家観の萌芽があったのに、批判や議論は中途半端に終わってしまったとの自責の念が伝わってくる。
この映画では直接は描かれていないが、1991年のソ連崩壊後、エリツィンが大統領だったロシアは自由化は進んだけれど経済は崩壊し、社会も大混乱に陥った。国民のかなりに、ソ連時代の方がよかったとの悔恨や郷愁が残ったとされる。
映画でプーチンは、監督とのカメラ越しの会話の中で、こんな趣旨のことを語るシーンが、ぼくには印象的だった。
実際の生活が旧ソ連時代の安定を取り戻せなくても、戻りたいという国民の気持ちを理解しないと、大統領は国民から信頼されないだろう。
■邦題のもとは「007」 秀逸の本歌取り
日本での邦題は『プーチンより愛を込めて』になった。ぼくは観る前は「なんと安易で、受け狙いの本歌取り」だと思った。観終わると、監督の意図を代弁する秀逸な題名に思えてきた。
本歌の007シリーズ有名作『ロシアより愛をこめて』のタイトルには、東西冷戦のもとでソ連が送り出したスパイが美しい女性であることと、世界制覇を目論む組織の「冷徹な野望」が美貌の裏にあるとの意味が込められていた。壮大で抒情的な主題歌とともに大ヒットした。
プーチン記録映画の邦題にある「愛」は、彼が大統領就任時から抱きつづけてきた「大ロシアへの偏愛、強い郷愁」というべきものを指しているだろう。これは、ウクライナ侵攻に踏み切ったプーチンの性格について、佐藤優『プーチンの野望』が「ロシアとロシア国民しか愛せない」とし、小泉悠『ウクライナ戦争』が「民族再統一という野望を想定しないと説明できない」としたのと呼応している。
スパイからませ 悲しきエスプリ
この本歌取りでもっと大事なのは、007映画の題名に込めてあった「奥底に潜む冷徹な野望」が、プーチンの大統領選にも当てはまってしまったとの見方をかぶせていることだろう。もちろんプーチンがかつてKGBスパイであったことも、美人スパイにダブらせる形で大事な隠し味になっている。
しかも監督はナレーションで、プーチンの本性をロシア国民が見抜けず、自分もメディアの一員として大統領当選に加担してしまったことを悔いている。それが18年後になって、当時の映像を移住先のラトビアで再編集して制作した理由だという。
それらを考えると、エスプリの効いた秀逸のタイトルといえる。しかし、実際の出来事としてプーチンがもたらしている事態の深刻さを思うと、あまりにも悲しいエスプリでもある。
■当時は「2000年問題」旋風
エリツィンが辞任を表明し、この映画の映像が始まった1999年12月31日といえば、世界や日本は「2000年問題」を目前にして大騒ぎしていた。コンピューターソフトは年号を下2けただけで認識するため2000年になると「1900」と勘違いし、交通や金融、エネルギー供給など広範囲にわたって大混乱に陥る恐れがあると専門家が警鐘を発していた。
ぼくは当時、バンコク駐在の特派員だった。タイをはじめとする東南アジアでも混乱が生じないか、大晦日から2000年元旦の朝までテレビや外電に目を配っていた。結果的には日本も含めて大きな混乱はなくて、なんだか肩透かしを食った気分になったのを覚えている。
でもロシアでの大晦日のエリツィン辞任は記憶になく、3月の選挙でプーチンが勝ったとき初めて「同じ1952年生まれの国家大統領」の誕生を知った。その3年前には英国で1953年生まれのトニー・ブレアが首相になっていたから、一人勤務のバンコク支局で妙にしょんぼりとしてしまったのを、映画を観ながら思い出した。
ロシアの2000年問題は「プーチン選出」?
皮肉な言い方をすれば、ロシアにとっての「2000年問題」は、コンピューターの世界には存在せず「その年にプーチンを大統領に選んだこと」にあった。その問題は、2022年になって最悪の形で顕在化した。
■(補足) 今池のシネマテーク 来月閉館
この映画は名古屋・今池にあるミニシアター、名古屋シネマテークで6月22日に観た。赤字が続いていて来月末で閉館すると発表されている。1982年の開館以来、ぼくも何度かここで映画を観た。そのうち印象記も書いたのは4本。作品名と観た日、自分でつけた見出しはこうだ。
『鳥の巣』 2008年9月
北京五輪の象徴 スイス人建築家の挑戦
『人生フルーツ』2017年1月
おだやかに すがすがしく 神々しい日々
『テレビで会えない芸人』
松元ヒロ 圧巻のひとり舞台 風刺と憲法
『Blue Island 憂鬱之島』
返還25年 うねる海峡 沈みゆく自由
奇しくも、どの作品もドキュメンタリーだった。今回のプーチン映画も実写映像をもとにしたノンフィクションだ。ドキュメンタリーはフィクションと比べると娯楽性が低くて観客は多くないことが多いから、シネコンにはかかりにくい。
だからこそシネマテークはありがたい映画館だった。半面で、だからこその経営難、今回の閉館なのかもしれない。ぼくは帰り際にフロントで、今回の映画パンフレットを買い、来月の閉館を確認したあと、こうお礼を言うしか術(すべ)がなかった。
「淋しいです。長い間、ありがとうございました」