4 評論 時代を考える

リベラル化の酷い影…橘玲『世界はなぜ地獄になるのか』

「天国」と一体 抜け道は「ない」

 (小学館新書、2023年8月6日発行)

 社会のリベラル化がもたらす光と恩恵は大きい。筆者はしかし、もっぱら影と毒を直視し、それらが現代人に生きにくさを感じさせ、狂気を産み出している、と説く。影と毒がつくる「地獄」は実は、リベラル化や文明がもたらす「天国」と一体なので、ぼくたちに抜け出す道などなく、仕組みを理解して適応するしかない、とも言い切って終わる。この作家投手の球は直球のストライクだけなのに切れが良すぎて、ぼくはまたもバットを振れず、ぼうぜんと見送ってしまった。

■「自分らしく生きたい」

 まず筆者のいう「リベラル」が何かを理解しないと、この本は一歩も前に進めない。そこはこの作家らしく、きっちりと定義してくれている。

  私は”リベラル”を「自分らしく生きたい」という価値観と定義している。そんなのは当たり前だと思うかもしれないが、人類史の大半において「自由に生きる」ことなど想像すらできず、生まれたときに身分や職業、結婚相手までが決まっているのがふつうだった。「自分らしさ」を追求できるようになったのは近代の成立以降、それも第二次大戦が終わり「とてつもなくゆたかで平和な時代」が到来した1960年代末からのことだ(p6)

 
 1960年代末というと、ぼくは高校生だった。ヒッピー文化やロック音楽、ドラッグ経験が世界の若者をとりこにしていた。とすると、ぼくが大学生になった1971年から後は、だれもが「自分らしさ」を求めることができるようになった―。これ、わかる気がする。

■強い光 影も濃い

<▲カバーの筆者略歴>

 社会がリベラル化すると、それまで人を縛ってきた差別的な制度がなくなったり、すべての人の人権を保障するようになったりと、社会を根底から変えるプラス効果があらわれ、世界に多大な恩恵をもたらしてきた。しかし筆者は「新たな問題を生み出している」として次の4つを「深い影」にあげている。

  1. 格差が拡大
    学歴や収入は遺伝の影響が大きくなる。環境(子育てや教育)の影響は減っていく
  2. 社会が複雑化
    共同体(イエ、ムラ、同業組合)から解放され、各人が固有の利害を持つように
  3. ひとは孤独に
    わたしが自由ならあなたも自由だ—。出会いは刹那的になり長期関係がつくりにくく
  4. 「らしさ」衝突
    自分や自分たちの「らしさ」を社会に受け入れさせようとして軋轢や衝突がおきる

 本のタイトルにある「地獄」は、深い影がもたらす負の側面の究極の様相をさしている。こうした見立ては前著『無理ゲー社会』でも随所に出てきた。メディアや論者はリベラルのよいところばかりに目を向けていると書き、筆者はそれが我慢ならないらしい。

■キャンセルカルチャー

 この本では、リベラル化の深い影の象徴として「キャンセルカルチャー」という現象に焦点をあげている。

 公職など社会的に重要な役職に就くものに対して、その言動が倫理・道徳に反しているという理由で辞職(キャンセル)を求める運動は、欧米では「キャンセルカルチャー」と呼ばれている(P22)


 恥ずかしながらぼくはこの言葉を知らなかった。「キャンセル」という英語に「公職を辞めさせる」というニュアンスまであることも知らなかった。

3人の事例 際限ない非難の応酬

 「日本で最初のわりやすい例」として、2021年7月の小山田圭吾氏の辞任劇を詳しく振り返っている。東京五輪開会式の作曲担当だったが、過去のいじめ行為や発言が明らかになってからSNSで非難が殺到し、式直前に辞任した。

 会田誠という現代美術家の個展をめぐる抗議騒動は知らなかった。2013年のことだ。四肢を切断された全裸の美女を扱った連作が問題になったという。この章では、2019年の「あいちトリエンナーレ」の事件にも触れている。

 もっとも驚いたのは英国の作家、J・K・ローリングの事例だった。あの『ハリー・ポッター』の作者である。トランスジェンダーをめぐる論評で、あえて”地雷”を踏んだ「勇敢な愚か者」なのだという。

■「地獄」は「天国」と一体

 「あとがき」はこんな文章で始まる。

 社会がよりゆたかで、より平和で、よりリベラルになれば、わたしたちの生活レベルは全体として向上するが、それがさまざまなやっかいな問題を引き起こすことは多くの知識人が気づいている。問題は「だったらどうすればいいのか」の解がないことだ。(P271)


 フランシス・フクヤマの著作を引きながら、リベラル化をめぐる政治勢力の批判や攻撃をまとめたうえで、「どうやったら地獄から抜け出せるか」という問いについて、最後にこう書く。

 私の答えは「天国はすでにここにある」になる。
 近代の成立とともに、自然を操作するテクノロジー(科学技術)を手にしたわたしたちは、人類史的には想像を絶するほどのゆたかさと快適さを実現した。しかしそのユートピア(自分らしく生きられるリベラルな社会)から、キャンセルカルチャーのディストピアが生まれた。 
 天国と地獄が一体のものであるなら、この「ユーディストピア」から抜け出す方途があるはずはない。できるのはただ、この世界の仕組みを正しく理解しうまく適応するだけだろう。(P277)


 えっ、そういうことなの? 読み終えて、あまりの常識的な答えに肩すかしを喰った。頭をひねりながら冒頭から要所を読み直していったら、納得した。「はじめに」と「あとがきつ」につけられたタイトルが筆者のメッセージを端的に語っていた。

  • はじめに リベラル化が生み出した問題をリベラルが解決することはできない 
  • あとがき ユーディストピアへようこそ

■これで14冊 書評は9本目


 橘玲氏の著作を読むのはこれが14冊目だった。書評を書いてこのサイトに公開するのは9本目になる。これまでの8本のタイトルと自分でつけた見出しを並べると―

お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方 (2002年2月)
 現実主義と本音 経済原理に新世界か
雨の降る日曜は幸福について考えよう (2004年9月)
 バブル後のクールな経済・幸福論
大震災の後で人生について語るということ (2011年7月)
 幸福への理論と投資術 震災うけ練り直し
言ってはいけない (2016年4月)
 建前なしの潔さ 立ち尽くすしかない
朝日ぎらい (2018年9月)
 きれいごとへの嫌悪 「リベラル」への懐疑
もっと言ってはいけない (2019年1月)
 強烈なフレーズ 冷徹な裏打ち
無理ゲー社会(2021年8月)
 リベラル社会の知能格差 鋭利に冷徹に
バカと無知(2022年10月)
 ひとの本性に鋭利なナイフ

 今回の『世界はなぜ地獄になるのか』も、冷徹で容赦がない。光より影に目が向かっていく。建前やきれいごとが大嫌いだ。しかも本音でしか語らない—。研ぎ澄まされたナイフを持つ作家の警鐘と指南、次はどの次元へむかうのだろう。

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