4 評論 時代を考える

まちがい認めあい 日本を変えていこう 成熟社会への処方箋…東浩紀『訂正する力』

保守vsリベラルに「対話を」 老いも肯定

 東浩紀氏は難解な著作が多いと思い手を出せずにきたけれど、わかりやすい題名に誘われ初めて読んだ。かたくなな保守とリベラル、まちがいを認めない政治家や官僚らに「現状を直視し、誤りを認めあい、成熟した国に変わろう」と促している。決め手となる「訂正する力」の定義を幾重にも重ねる周到さ、豊富な引用に驚く。「老いる力」にもなり「固有名」を持てとの指摘に、ぼくは励まされた。
 (2023年10月。朝日新聞出版)

■平凡な書名 広範な定義

<▲帯の筆者略歴>

 『訂正する力』。昨年末にこの題名を見た時、なんと平凡でわかりやすい、と驚いた。阿川佐和子氏の「…する力」にあやかったのかなとも。

 東氏の著作は『福島第一原発観光地計画』とか『ゲンロン戦記』を立ち読みして、難解で硬派との思い込みがあり読んだことがなかった。

 しかしその思い込み、かなり外れていた。「訂正する力」の定義を何度も何度もやり直してくれるのだ。登場順に書くと—

  1. ものごとを進めるため現在と過去をつなぎなおす力(p4)
  2. 「リセット」と「ぶれない」のバランスをとる力(p8)
  3. 成熟する力のことでもある(p10)
  4. 保守的でありながら同時に改革的な力(p21)
  5. 相手の話を聞き自分の意見を変える力(p31)
  6. 現状を守りながら、変えていく力(p37)
  7. 「自分はこれで行く」と決断する力、批判引き受ける力(p39)
  8. 現実を自分に都合よく見るのでなく、直視する力(p43)
  9. 「続く力」と同じ。ものごとは訂正しないと続かない(p44)
  10. 「老いる力」であり「再出発する力」でもある(p54)
  11. 「記憶する力」。訂正には過去を記憶していないと(p59)
  12. 「読み替える力」。メッセージの外部を想像する力(p72)
  13. 「幻想つくる力」。解釈を変え現在につながる新物語(p196)
  14. 平和な国とは喧騒に満ちた国。「喧騒の力」でもある(p196)

 まさに手を変え、品を変えである。著者が専門とする哲学は、概念の定義が大事なこともあるかもしれない。定義の積み重ねからは、「訂正する力」はわかりやすい概念に見えるかもしれないが、実は、日本の困難な現状を変えていくのに決定力があり、さまざまな要素を含んだ哲学なのだ、という熱意が伝わってくる。

■「老いる力でもある」に励まし

 ぼくは71歳なので、いまさら「訂正する力」は無縁だろうと思いながら読んでいた。だから定義の10番目に「『老いる力」でもある』と出てきたときは、意表をつかれた。

 学者は専門だけやっていればいい。ミュージシャンは音楽だけやっていればいい。アイドルはアイドルだけやっていればいい。けれども、本当はそういう純粋さだけでは人間は生きていけません。そもそも人間は年を重ねればだれでも変化する。「訂正」する。純粋さを諦めて、変化を肯定することが大切です。(p53)

 うれしくなった。現役を離れると、生活習慣は変わり、価値観も政治観も変わる。それは当然であり、それでいいんだ。それが社会を変えていく一助になる、と。

 年寄ってから「訂正」した人物として、あの福沢諭吉が出てくる。「独立自尊」の一貫した偉人と思われているが、晩年には、慶応を「つぶれていい」と言ったり、日本的な修身に回帰していたという。「訂正する頑固親父」像にもっと注目が集まるといい、とも筆者は書いている。

■「固有名になれ」からもエール

 もうひとつ面白いのが「固有名になれ」という指摘だった。ここでいう「固有名」は「哲学ではやっかいな概念」だという。定義という考え方が成立しないためだ。

 たとえば「ソクラテス」。男性、ギリシャ人、哲学者、プラトンの師匠などの属性は定義にならない。今後の研究でもし女性と判明したら存在しなかったとなるから。人間は「そうか、女性だったか」とイメージを一新して整合性をとる。その能力が「訂正する力」「過去を書き換える能力」だという。筆者は「『じつは…だった』の力」と呼んでいる。

 筆者は自身が設立した「ゲンロンカフェ」での経験を引きながら、人間の「訂正する力」を呼び込む機会を個人が得るには、この「固有名」が不可欠だと次のように書く。

 固有名にならないと「じつは…だった」という発見の視線に晒されない。他者が自分を固有名として見てくれないと、自分の人生も訂正できない。
 (中略)
 けっして有名になれということではありません。周りのひとに対して、職業や役職といった属性を売りにするのではなく、「属性を超えたなにか」で判断されるような環境をつくれということです。(p148)

 ぼくは2020年6月に完全退職した時を思い返した。職業や役職から離れ、「ブ」ロゴルファーと自称し、実名サイト『晴球雨読』を創設して「一人称単数」の発信を始めた。無名だけど「属性を超えたなにか」で判断されうる環境には、いる。これでいいのだと励まされた。

■引用も多彩 まるで万華鏡

 視野の広さと知識量にも圧倒された。国内外の哲学者や評論家や作家らの著作、発言が次々と引用されていく。ぼくが名前を知っている日本人だけを登場順に列挙しても、これだけの数になった。

 社会学者の宮台真司、2ちゃんねる創設者のひろゆき、『「空気」の研究』の山本七平、作家で元東京都知事の猪瀬直樹、性加害問題のジャニー喜多川、歴史社会学者の小熊英二、元自衛官の五ノ井里奈、博物学者の荒俣宏、ミュージシャンの小山田圭吾、ジャーナリストの津田大介、評論家の江藤淳、ユーチューバーの東義和(ガーシー)、安倍首相銃撃事件の山上徹也、哲学者の斎藤幸平、経済学者の成田悠輔、メディア・アーティストの落合陽一、哲学者の柄谷行人、元外務省主任分析官の佐藤優、政治学者の丸山眞男、漫画家の江口寿久、国学者の平田篤胤、作家の夏目漱石、作家の司馬遼太郎、哲学者の和辻哲郎、作家の村上春樹、宗教家の親鸞日蓮、作家の大江健三郎

 これだけで28人になる。海外の学者や、日本人でもぼくが知らない人を入れると40人は超すだろう。ざっと6ページにひとり。しかも顔ぶれが多彩、万華鏡のようだ。

 かれらのほとんどは「固有名」と「属性を超えたなにか」をもっている。筆者の論法に沿えば、かれらにまつわる記述は読者に「『じつは…だった』の力」を呼び起こさせ、著作に深みもたらしているだろう。このあたりにも、2024年新書大賞で『言語の本質』に続くベストセラーになっている要因があるに違いない。

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