8 街歩き 建築を味わう

奥飛騨の秘湯にひたる 遠くに槍を眺めながら…新穂高温泉「槍見館」

露天で火照る恵み 尽きぬ豊かさ

<▲槍見の湯にて=14日午前9時40分ごろ撮影>

 その湯船は河原にあった。川の急流におののきながら石の階段をそっと降り、透明なお湯に首まで沈めると、地球の熱が体の芯にしみ込んできた。眼をつむると鳥のさえずりも聴こえる。火照った眼を開け上流を眺めると、新緑のはるか先に、白い雪渓をまとった高峰が見える。左端の尖ったのが槍ヶ岳に違いない…。「日本秘湯を守る会」の宿のひとつ、岐阜・奥飛騨の槍見館に5月13日泊まった。露天風呂でぼくは、地球からの豊穣な恵み、汲めども尽きぬ豊かさにひたった。

■源泉と川音 鳥声と風音

 高山から車で1時間、栃尾温泉を右折し蒲田川にそって渓谷を上っていくと、右岸の小さな森の中に槍見館はたたずんでいた。その名の通り、温泉につかりながら、あの槍ヶ岳を眺められる宿として知られる。

 もっとも楽しみだった露天風呂は、蒲田川の川辺に6つも点在していて、ぼくは「槍見の湯」が気に入って、3度も入った。到着日の夕方と、翌朝の6時すぎ、さらには、太陽が顔を出した9時すぎだった。ぼくの五感にしみてきた恵みをスケッチすると―

 艶やかな巨岩 湯船は細長い円形で広さは10畳ほどか。大小の岩で囲まれ、どの岩も表面はつるつるしている。
 したたる源泉 岸壁の間から源泉が湯船にしたたり落ちている。地球からの豊潤な贈り物。なんという贅沢だろう。


 轟音としぶき 湯船のわきを川の水が下っていく。前日の雨で水量は多く、流れは速い。轟音が迫り、しぶきがあがる
 さえずる鳥 湯船に首まで浸ってから耳をすますと、ときおり鳥のさえずりが聞こえる。岸壁の上にある樹林からだろう
 完璧な青空 翌朝は雲ひとつなかった。新緑よりも透明で、混じりっけのない真のブルーが、火照った体を頭上から包み込む
 顔出す朝陽 朝6時半ごろから渓谷の向かい側、焼岳の中腹に太陽が顔を出し始めた。新緑の間から陽光が煌めく(写真①)
 そよぐ風 お湯で顔をすすぎ、目をつむると、ほてった頬がかすかな風を感じる。水の流れにそって空気もそよいでいる

■遠望 三つの頂

 体の火照りを味わいながら、川の上流を眺めていく。数キロ先の右側に新穂高ロープウェーの架線と新緑の尾根が見える。そのはるか先に、3つの頂が頭を出していた。(写真②)

 地肌は荒々しい黒のでこぼこ。白い雪渓が太陽光を受けてまだらに浮き出ている。ロープウェーがなかったころから、山男たちはこの湯船につかりながら、いつかあの頂を極めてみたいとと奮い立っただろう。

 宿の廊下にいくつか絵画や写真が飾ってある。そのひとつに3つの頂の名前を記した額があった(写真③)。いちばん左側の奥、少し右に傾きながら尖っているのが槍ヶ岳だった。

 登山と呼べる経験はわずかしかない。初任地の富山支局で、まだ20代半ばだった1970年代後半に雄山(3003m)、剣岳(2999m)、薬師岳(2926m)を登っただけだ。でも、山男がこの湯から、あの崇高な槍ヶ岳を仰ぎ見るときの「心の火照り」は、想像できる気がする。

■古民家を移築 朝にお餅つき

 槍見館のホーページによると、この旅館は1925年(大正14年)に初代が始めた湯治宿が原点だった。すると来年で100年を迎える。2000年の全面改装では、新潟から古民家を移築したという。

 ロビーの奥に囲炉裏の間があり、到着時は炭火で甘酒が温めてあった。天井には黒々とした柱と梁と桁が走っている。差し込む日ざしが作る影が、光と闇の無限のハーモニーを見せてくれていた。(写真④)


 ロビーの真ん中には井戸端のような水槽があり、ジュースやビールが冷えていた。朝食後にはここで餅つきがあった(写真⑤)。手を挙げればだれでも杵を持ってもちをつくことができた。つき終わると草餅が客に振る舞われた。国籍を問わず、この光景に、郷愁を感じない人はいないだろう。

■「秘境」は「守る会」創設者の造語

<▲最新の第22版>

 この槍見館は、JRジパング倶楽部の会員誌で妻がたまたま見つけた。「奥飛騨にこんな宿もあるわよ ! 」。ぼくらは過去に3度、奥飛騨を訪ね、それぞれ違う宿にお世話になっていた。

 槍見館に着いてからぼくは、「日本秘湯を守る会」という組織があって、槍見館も入会していることを知った。「守る会」は、朝日旅行社の社長だった岩本一二三氏 ( 1927-2001 )が1975 (昭和50) 年につくった。

 カウンターに守る会発行の『日本の秘湯 第22版』が置いてあり、序文に、岩本氏の生前の文章が載っていた。これが、いい。

 田舎から出てきた人間だけに人一倍田舎を恋しがる東京人の一人である。幼いころに、いろりのそばで母のぞうり作りを見、縄をなう父に育てられたからかもしれない。しかし、そのふるさとの家も跡かたなく近代化され、牛小屋はコンクリート建ての車庫に変わってしまった。
 (中略)
 旅行会社に席を置いたために、つい旅に出たり、旅と結びつけてしまうが、もうホテルもきらきらした旅館もたくさんだ、炭焼き小屋にでも泊めてもらって、キコリのおじさんとにぎりめしでもほおばってみたいと思うこともしばしば。
 (中略)
 秘湯を守るみなさんや、秘湯を訪ねられるお客さん方に、私たちたちが近代社会の中で失いかけていたものは…という問いを投げかけてみたい

(『日本の秘湯 第22版』2P)

 「編集後記」によると、「秘湯」は岩本氏が発案した造語だという。『日本の秘湯』の初版本は1977年に出て38軒を紹介した。岩本氏は自ら取材し紀行文を書いた。

■知らずに「秘湯」すでに2宿

 『日本の秘湯22版』が紹介している149軒のリストを眺めていると、これまでにも妻と訪れたことがある宿が2軒あった。もちろん「守る会」の宿とは知らなかった。

 ひとつは和歌山県・川湯温泉の「富士屋」。2015年4月、熊野古道を歩く旅の途中に泊まった。旅館の建物は川べりの高台にあり、川原の砂を掘っただけの露天風呂はあまりにも自然で、あっけにとられるほど素朴だった。(写真⑥⑦)


 もうひとつは岐阜県・神明温泉の「すぎ嶋」。2021年4月に訪れた。モネの池(関市)や淡墨桜(根尾村)をめぐる途中だった。館内は民芸品やいろりの温かさに満ち、露天風呂はすこし離れた森の中にたたずんでいた。(写真⑧⑨⑩)

■「守る会」のスタンプ帳

<▲槍見館の印>

  2度の朝風呂に満足してから槍見館をチェックアウトすると「スタンプ帳」をくださった。10個の空欄があり、「①」の欄に槍見館の印が押してあった。(写真右)

 なんでも、「守る会」の宿のスタンプを3年の間に10枚ためれば、好きな宿にもう1回、無料で泊まることができるー。

 そうか、年に3回のペースか…。井上誠一が設計したゴルフコースと組み合わせて旅に出られないだろうか…。これから何度も、にやにやしながら『日本の秘湯』のページをめくり、宿の分布図を眺めることになりそうだ。

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