にじむ歳月 漂うらしさ
名匠・井上誠一がコース設計した桑名カントリー倶楽部は、1960年の開場から64年の時を刻んできた。ひさしぶりに訪れたぼくは白球と戯れながら、いたるところで”誠一らしさ”を感じてうれしくなった。松林の間から隣のコースで苦闘する仲間が見える。グリーンのうねりは美しく官能的でさえあった。池やクリークは大地に溶け込み、ここへ打っておいでと悪魔の誘いをかけてきた。
(三重県桑名市、2024年12月5日ラウンド)
■みな違う松たち すき間から隣コース
素敵なコースへいくと、ティーショットを打ち終わり、2打地点へフェアウエーを歩いていくときの時間と景色がぼくは好きだ。井上誠一の設計コースは特にそう。ここ桑名も、その期待を裏切らなかった。
コースを区切っている樹林の大半は松の木だ。管理が行き届いているので、下半分は枝が落とされ、下草は刈られ、落ち葉もよく除去されている。だから隣のコースのゴルファーの動きがよく見えて、ときには歓声まで聴こえてくる。
しかもよく見ると、松の木は一本、一本がみな違っている。幹の角度も枝ぶりもそれぞれなのだ。「みんな違ってみんないい」。金子みすゞを浮かべにんまりする。64年の歳月の重なりがここにもある。
大利根でも林間の愉悦
2年前にラウンドした大利根カントリークラブ(茨城県)も、桑名と同じ1960年の開業だ。そこも半世紀の歳月を感じさせる、豊かな松林でセパレートされていた。
<▲松林が豊かな大利根CC=22年4月撮影>
そのときの「巡礼記1」でぼくはこう書いた。
ーー隣りやその向こうのホールから「ナイスオン」といった歓声とともに、ボールが木に当たってしまった「カーン」という”絶望音”も聴こえてくる。ゴルフ好きが愉しみを共有している感じがして、顔がゆるんできた。
ここ桑名でも、何度か顔がゆるんだのは、いうまでもない。
■うねりと湾曲 妖艶とスリル
ゴルフコースでもっとも美しいのはやはり、グリーンまわりの景色だろう。自分が打つ番がきたのも忘れて、うっとりと眺めてしまったホールがいくつもあった。
たとえば、グリーン面のなだらかなうねりが、後ろの樹林と響きあっている。たとえば、取り囲む白いバンカーの湾曲には、そこにしかない人工的な官能美が漂っている。自分が放った白球がどこに落下するか—。3秒か4秒のわずかな時間だが、その間の無垢のスリルは、ほかに代えがたいものだ。
水がからむと「快楽と恐怖」
そこに水がからむと、グリーンまわりの表情はさらに複雑になる。グリーン面へきちんと打てる自信がある日はうっとりでき、妖艶に見える。でもショットに自信がない日は、もしかしたら水に落とすのではないかと、恐ろしくさえ見える。これも誠一コース特有の「快楽と恐怖」なのだ。
感じるリスペクト
このコースは開場から64年もの歳月が流れている。2008年には改造もされている。ぼくが過去にラウンドできたのは10年ほど前の一度だけだから、1960年当時の様子がどれほど残っているかはわからない。
けれど随所に「誠一らしさ」があふれていた。あちらこちらでスマホ写真を撮りながら、ゴルフ場やメンバーの皆さんが「井上誠一設計」に誇りを抱き、リスペクトされてきたと感じられた。こちらもうれしかった。
■まだ7コース目 あと31もあるぞ
手元の写真集『大地の意匠』(山田兼道撮影、2003年、小学館)によると、井上誠一(1908-1981)が設計したゴルフコースは全国17都道府県に38コースある。
このうちぼくがコースをラウンドして「巡礼記」を書いたのは今回が7コース目だ。これまでの巡礼記の番号とコース名、所在県、開場年、自分でつけた見出しは―
<1>
笠間東洋ゴルフ倶楽部(茨城県、1985年開業)
妖しい曲線 眼の快楽
<2>
大利根カントリークラブ(茨城県、1960年開業)
ときめく松林 響く歓声と衝突音
<3>
愛知カンツリー倶楽部(名古屋市、1954年開業)
尾張藩の狩場 黒松と尾根の誘惑
<4>
葛城ゴルフ倶楽部(静岡県、1976年開業)
晩年の傑作 スケッチの気品いまも
<5>
春日井カントリークラブ(愛知県春日井市、1964年開業)
「尾根と谷」が隠し味 430万㎥を造成
<6>
南山カントリークラブ(愛知県豊田市、1975年開業)
屈曲フェアウエー 風雪にじむ松
なんと、まだ16都道府県で、31もの「誠一コース」が残っている。ぼくはいま72歳。遠出してラウンドし、楽しく印象記を書ける時間は限られているだろう。「お楽しみはこれからだ」と、ゆったり構えてはいられないかもしれない。