壮絶な妖しさ 映画どう表現

この小説はずっと「読みたいリスト」の上位にあった。発刊から8年、映画が今月末に公開されると知りついに読んだ。ITベンチャーの寵児から転身した天才棋士と、賭け将棋に命を削ってきた真剣師たち。盤上で才気がぶつかり、出自と人生が織り重なっていく物語は壮絶だ。漂う妖しさを映画はどう表現しているだろう。
(中公文庫、初刊は2017年8月)
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<注> ネタバレ防止には細心の注意を払っていますが、気になる方は先に原作をお読みください。
■天才出現と出自…かぶる『砂と器』
この小説は、こんな形で展開していく。
身元不明の白骨死体 → 遺留品は将棋駒の名品 → ベテランと新米の刑事 → ベンチャー寵児から転身した天才棋士の出現

ぼくはすぐ『砂の器』が浮かんだ。松本清張の小説(1961)を原作にした野村芳太郎監督の映画(1974)を2007年に観て、圧倒された。壮大なミステリーの根っこにハンセン病があったことの重みと、日本海の荒波と父子の映像が鮮明に残っている。
『盤上の…』でも、出自が主人公の人生に重くのしかかっていく。ぼくは自分が幼いころいかに恵まれて育ったかもあらためて感じ、切なくなった。
■差し手「☖」「☗」で表現
盤上のきわどい勝負、駒の動きも小説の生命線になっている。冒頭は7大タイトルのひとつ、竜昇戦の最終第7局(平成6年12月15、16日)から始まる。主人公の上条桂介(33)が、タイトル保持者の壬生芳樹(24)に挑んでいる。
そして、今日の定刻、午前九時に封じ手が開封され、勝負が再開された。上条が大方の予想通り、玉側の端歩(はしふ)を受けたのに対し、壬生は☖9二香。飛車側の香を、ひとつ上げる手だった。
(中略)角交換になれば、9一に角打ちの隙ができる。☗9一角が実現すれば、壬生の飛車は逃げる一手で、上条の飛車が捌(さば)ける状況だった。
(「上」p32)

将棋指しならこの文章だけで盤上の動きを即座に理解できるのだろう。新幹線で将棋盤を使わず声だけで”対局”できる技量の人なら序の口の水準かもしれない。
ぼくは最初の陣形と駒の進め方などイロハしか知らない。「☖か☗」「洋数字と漢数字」「駒の種類」の”3点表記”を読んでも、新聞記事にあるような「棋譜」がないと、すぐには頭で描けなかった。
『碁盤斬り』も棋譜はなし
昨年6月に読んだ小説『碁盤斬り』にも囲碁の石の配置がひんぱんに出てきた。「石の下」「星から打つ」といった戦法もあったし、棋譜はやはりついていなかった。

ただ『碁盤…』は小説も映画も、囲碁の勝負そのものより、棋風や品格や生き様に比重がかかっていた。
この『盤上…』は、勝負や先読みなど、ゲームとしての将棋そのものも大きな比重を占めている。重要局面になると”3点表記”が増えていく。しかもその水準は、物語が進むにつれて高くなっていくと感じた。
なのでぼくは、恥ずかしながら、中盤から3点表記についていけなくなった。でも、そうした場面がかなり高度な戦いであるとか、差し手たちの緊迫は文から伝わってきたから、読み進むのに問題はなかった。
駒の配置や戦術のあやは、映画館で味わおう―。こう割り切れた。6月に小説『国宝』を読んでから観た映画『国宝』への”連続鑑賞”で学んだ。ぼくの流儀、原作先読みの利点かもしれない。
■「向日葵」は何の象徴か
もうひとつ、題名にある「向日葵」がいつどう出てくるかが気になり始めたら「下」の冒頭に出てきた。
母の面影を辿ると、向日葵(ひまわり)に辿り着く。(p7)
ゴッホが描いた向日葵は、亡き母そのものだった。(P11)
(衝動買いした画集を抱えながら) 狂気に満ちた生涯を送ったゴッホの人生と、儚く終わった母の短い人生、そして棋士が己の人生を賭けて挑む過酷な将棋の世界が、腕のなかにある―桂介には、そう思えてならなかった。 (p13)
やがてこの向日葵は、桂介がみずからの出自を見つめる目と、盤上での勝負の双方に深く結びついていく―。
自分に流れる狂った血が、ゴッホの抱く興味と共鳴したのだ。(p251)
最近、将棋を指していると、突然の頭痛に襲われることがあった。痛みが治まると、盤面に向日葵が咲く。まるで、桂介を嘲笑うかのように、八十一マスすべてに小さな向日葵が咲き誇る。(p257)
『リボルバー』はひまわり15本

ゴッホは花瓶に生けたひまわりを生涯に7枚描いたとされる。生けられたひまわりの数は「3」「5」「12」「15」の4種類がある。
2年前に読んだ原田マハ『リボルバー』では「15本」が最高傑作と書かれ、文庫カバーにも使われていた(写真)。
今回の『盤上…』の桂介がいちばん好きになったのは「12輪」。「母そのもの」だと。「12」と「15」にどんな違いがあるか、比較するのも面白かった。
■映画化 坂口健太郎vs渡辺謙
映画は10月31日に公開される。パンフによると天才棋士を坂口健太郎、賭け将棋の真剣師を渡辺謙が演じる。

坂口はひ弱な好青年という印象がぼくにはある。小説の桂介は切ない出自を引きずり、真剣師に刺激され、IT業界で成功したのに将棋の世界に転身していく。そんな孤高の天才を演じきれるだろうか―。
渡辺謙は今回も半端ない熱量をもって、くせの強い真剣師を演じているだろう。坂口は演技でも”勝負”できているだろうか―。
「☖☗…」”3点表記”で書かれている駒は、映画では、俳優の差し手が実際に動かしていくのだろうか―。頭の中の50手読みとか、最後の一手の重みを、どう映像化するのだろうか―。ぼくがそれを理解できるだろうか―。「向日葵」はどんな映像になるのだろうか―。
主題歌はなんとサザン

パンフでびっくりしたのは音楽だった。主題歌はサザン・オールスターズの『暮れゆく街のふたり』。最新アルバム「THANK YOU SO MUCH」から選曲されたという。
桑田佳祐の声を人類学者の中沢新一は「不埒な、歌うツグミ」と評した。あの声が流れるのは冒頭からか、それともエンディングのみか―。観終わった後、あの声と歌は、映画の余韻を膨らませてくれるだろうか―。
■(付録) ふたりの「yuzuki」

柚月裕子氏の作品を読むのはこれが初めて。「読みたいリスト」の上位に『盤上の…』など何冊かあったのだが、リストを見返すたびに「?」と感じてきたことがある。柚木麻子氏と混同してしまうことだ。
Wikipediaによると、ふたりの「Yuzuki」は―
柚月裕子(ゆづき・ゆうこ)
1968年、岩手県生まれ。作品は2013年『検事の本懐』、16年『孤狼の血』、18年『盤上の向日葵』、25年『逃亡者は北へ向かう』など。
柚木麻子(ゆずき・あさこ)
1981年、東京都生まれ。作品は2014年『本屋さんのダイアナ』、16年『ナイルパーチの女子会』、17年『BUTTER』、19年『マジカルグランマ』、24年『あいにくあんたのためじゃない』など。
ぼくが両氏を混同するのは、ともに女性で、名字が『柚』で始まり、読みも「yuzuki」なのが原因だ。ふたりとも直木賞候補に何度か名を連ねてきたのに読んだことなかったから、余計にこんがらがってきた気がする。
『盤上…』を読み”柚月ワールド”には馴染むことができた。次は、もうひとりのYuzukiの『BUTTER』か、それとも―。愉しみが、また、広がった。
