
推奨グラインダーを吟味しつつ
昨年の秋、「バリスタ世界一」の称号を持つ井崎英典氏の著書『世界一美味しいコーヒーの淹れ方』を読み、オレ流が木っ端みじんになった。今回の『教養としてのコーヒー』は産地や流通や焙煎の変遷と業界の裏側をやさしく解説してくれていて、ぼくはとくに日本の「純喫茶」「ドリップ特化」「100円コーヒー」が面白かった。著者イチ推しのグラインダーも買って、馴染みの豆を挽いてみると、違いを鮮明に感じられてびっくり。美しいたたずまいも気に入ってる。
(SB選書、2025年9月刊)
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■日本の珈琲史 3つの驚き
①「純」「特殊」…昭和初めに分化

今回の著書『教養としてのコーヒー』によると、日本最初のカフェは1888年に東京・上野にできた「加否茶館(かひさかん)」だった。本やビリヤードも備えた社交の場を目指したが、うまくいかず4年後に廃業した。開業した4月13日が「喫茶店の日」に制定されていることも知らなかった。

つぎに登場するのが1911年に銀座にできた「カフェー・プランタン」。パリのように文人や画家が集う場所を目指し、女給がいて、洋酒や軽食も提供した。1920年代以降、こうしたカフェーが増え、太宰治『人間失格』(ぼくは未読)には主人公が女給と心中を図る場面が出てくるらしい。
もちろん(中略)コーヒーと軽食だけを扱う本格店もありました。1930年ごろにはさらにカフェーが増え、サービスがエスカレートしていくうちに、「特殊喫茶」「純喫茶」という区分ができます。(中略)
いまでは「純喫茶」という言葉だけが残り、「特殊喫茶」という言葉は死語になっていますが、メイドカフェは現代に残る特殊喫茶といってもいいかもしれません。(p64)
ぼくが大学生として名古屋にたのは1971年だった。そのころ「喫茶店ブーム」が起きていて、1981年には全国で15万軒超に達した。現代のコンビニ数(5万7千)の3倍だ。そういえばあのころ、いたるところに喫茶店があり、店名に「純」の字をよく見かけた。
文学「純=芥川」「エンタメ=直木」
巻末に文芸評論家の三宅香帆さんとの対談が載っている。三宅氏が「特殊」と「純」の区分けについて、本の世界も似ていると、こう語っている。
三宅 小説でいうと、純文学とエンタメ小説といわれますが、芥川賞と直木賞のように賞もそれぞれでわかれている。この「純文学」という区分は日本だけなんですよ。(中略)
翻訳文学が明治期に入ってきて、戦後に日本ならではの出版文化が花咲いていった文学の歴史。似た経過をたどっています。(p264)
この指摘に井崎氏が「そうしたバラパゴス的な日本らしさ、僕は嫌いじゃないですし、変えなくていいと思っています」と答えている。同感だ。
②ドリップ好きは茶道から?

次の驚きは第2章「飲み方の奥深い歴史」に出てきた。「現代の世界の主流は、実はエスプレッソだ」。エスプレッソは粉を押しかため圧力をかけて短時間に抽出する。欧州では手軽な抽出器具がどの家庭にもある。濃い液をそのまま飲むイタリア式のほか、スチームミルクやシロップを加えるなど多くのアレンジがある。
一方、日本の家庭で淹れるコーヒーといえば、普通、ドリップコーヒーが想起されるでしょう。とくに、粉を入れた紙製のフィルターを専用のドリッパーにセットしてお湯を注ぐ「ペーパードリップ」がもっともポピュラー。器具メーカーで有名な「ハリオ」も「カリタ」も日本の企業です。(p87)
なぜか。著者はこんな特色を上げる。
・抽出はすべてを手作業で
・お湯を細く注いで蒸らす
・本抽出も2-3回にわける
短時間で一気に抽出するエスプレッソと正反対だ。ドリップ抽出の所作や手順、それらの間が、日本人にフィットしたとして、こう書く。
私は、ドリップコーヒーには茶道や禅に通じるところがあると思っています。淹れる動きには儀式的な要素を感じることができるからです。飲む前にゆっくりと決まった動きをすることで、心が落ち着き、目の前のものに集中できるのです。(p89)
ぼくは58歳のとき新聞社での仕事が定時勤務になり、朝おきるとまず自分でコーヒーを淹れるのが楽しみになった。もちろん「ペーパードリップ」。一定の所作をくりかえすなかで、頭とからだが覚醒していく感じが好きだった。
そうか、あの抽出動作は「茶道と禅に通じる」のか。茶道も禅も無縁のまま古稀になったけれど、DNAは引き継いでいるらしい。ちょっとうれしい。
③マックとセブンの「100円」

3番目の驚きは「高品質100円コーヒー」だった。先駆者は日本マクドナルドで、スタートは2008年。高品質の豆を使い、専用器具を全店に置き、派手な宣伝も展開して大人気になった。しかし期限切れ食品の不祥事があり人気は下火になった。
次の牽引役は2013年にセブン・イレブンが始めた「セブン・カフェ」だった。その品質を「バリスタ世界一」の著者はこう書く。
「日本のコンビニコーヒーのクオリティは、バリスタの私から見ても素晴らしいです。100円で提供できるなんてありえないレベルです。(中略) 世界からすると全然あたりまえではないのです」(p158)
そのあと再び、マックが登場する。業績や信用が回復した2016年から品質改善に乗り出し、筆者も監修で携わった。店頭調査の前は、客がコーヒーを頼むのはアップルパイなど甘味と一緒か、単体で飲む時が多いだろうと想像していたが―
ところが違いました。一番多いのはセットメニューでコーヒーを選ぶケースだったのです。(中略) コーヒーの常識からはなかなか考えられないバリエーションです。(中略) 次に多いのが、予想通り、コーヒー単体でゆっくり過ごすお客さんでした。本を読むなどして比較的長い時間滞在しています。(中略) ハンバーガーとポテトに合い、冷めても比較的味が落ちないコーヒーが必要でした。(p160)
マックの品質向上策は成功し、人気も取り戻した。しかしコンビニもふくめて100円では利益は出ない、と筆者は言い切る。それでも提供するのは「美味しいコーヒーが飲めるから行こう」と客に思ってもらうため。マックならバーガーを、コンビニならサンドイッチや弁当を買ってもらうための「販促費」なのだ、という。
ぼくは早朝、ゴルフ場に向かう時、朝のコーヒーを途中のコンビニで買って車中で飲むことがよくある。ちょっと薄いと感じることはあるが、価格を考えれば満足だった。そうか、そういうことだったのか、ときどきサンドイッチも買うなあ―。
■豆を挽く MillからGrinderへ
ぼくは58歳から、自宅で飲むコーヒーは自分でドリップして淹れてきたが、豆は「粉」で買っていた。しかし68歳で完全退職するとすぐ、カリタの「電動ミル C-90」を買い、豆のまま買ってきて自宅で挽くようになった。ファインセラミック製の臼歯が回転するタイプだった。

そして昨年秋、筆者の前著『世界一美味しいコーヒーの淹れ方』を読むと、次の一文に衝撃を受けた。その時の印象記にも引用した文章を再掲すると―
コーヒーは非常にシンプルな飲み物です。水とコーヒー豆だけなのですが、グラインダーが生み出す粒度分布の差が、味わいに劇的な差をもたらします。良いグラインダーを買うことが美味しいコーヒーへの第一歩です。ですので、ぜひグラインダーには惜しまず投資をしていただければと思います。(p110)
次のページには、やはりカリタ製の「NEXT G」の写真があった。説明は「家庭用グラインダーの最高峰」。末尾の資料には、静電気除去機能もあり、音も静かとある。


<▲(左)昨年10月に読んだ指南書 (右)今回読んだ著作>
グラインダー? 初めて見る用語だった。英和辞書を引くと「grinder ひく道具、粉砕機」とある。ちなみにミルは「mill ひき割り機、製粉機、ひき臼」だ。
カリタのホーページみると、C-90は「電動ミル」のひとつ。グラインダーは「業務用グラインダー Electric Coffee Mill」という区分だった。カリタのカタログには「窒化処理のクロムモリブデン鋼」をカッターに使っているとある。
ぼくは思い切って最新型の「NEXT G2 Amazon.co.jp限定」を通販で買った。価格は5万円近かった。ミルC-90の倍以上だった。
豆の実力を引き出す


家の近くにある焙煎専門店をいくつか回り、ハウスブレンド豆を買ってきて、新しいグラインダーで挽き、ペーパードリップで抽出していった。前のミルとどう違うか飲み比べること2週間、ぼくの舌と目が感じたのは次の3点だった―。
- 豆の違いが きっちり わかるようになった
- 挽き目を変えても 違いをはっきり感じる
- 置いてあるだけで たたずまいが 美しい
①と②は、粉の粒度にばらつきが少ない、ということの証左だろう。良い豆なら実力をきちっと引き出してくれる。しかし質が低い豆だとその低さもさらけ出してしまう。
■「淹」の水を人にしたら「俺」
ぼくは毎朝、コーヒーを淹れている。そのコーヒーは水と豆だけでできている―。その「淹(い)」の字を見ていて、面白いことに気づいた。左側の「さんずい偏=水」を「にん偏=人」に変えると「俺(おれ)」になるじゃないか。
ということは、ぼくが「水」の気持ちになって淹れれば、豆の種類も、淹れ方も、抽出したあとの味も、みんな「俺しだい」でいいのではないか。この美しいグラインダーとともに、「俺」の舌の感性を信じて、「俺」の好きな味を求めていこう。
