1 ゴルフ 白球と戯れる

PGS中部ミッドシニア予選 敗退

こわごわドライバーで痛い目に 

(2020年7月23日、名古屋広幡ゴルフコース)

 惨敗した。失意の予選落ちである。日本パブリックゴルフ協会(PGS)が毎年主催しているアマ競技。本来は、予選通過者が中部地区決勝に進み、その上位者が全国大会に進める形式だった。コロナ禍の影響でチャリティーに切り替わり、中部地区決勝までの大会に変更になっていた。

 この日の試合は中部の9つのパブリックコースである予選のひとつ。ミッドシニアは65歳以上で、広幡には31人が出場した。スコア上位15人が9月の中部地区決勝に進めことができる。ぼくも2年ぶりに参加した。
 このコースはパー72で、ぼくのスコアはアウト43、イン44の合計87。カットラインは9オーバーの81だったので、予選追加ラインよりも6打もたくさん打ってしまった。2年前に定光寺で出た予選は78のトップ通過だったから、2年の加齢とその時の調子が影響しているのだろう。

 原因はドライバーで左への引っ張りやひっかけが出ないだろうかと気にしながら振っていたことにつきる。特にアウトの5番バー4のうち打ち下ろしで、心配していた左への引っ張りボールが出て斜面に突き刺さり、事実上、OBと同じ結果になった。それまで4ホールはパーだったので悔やまれる。

 その後は、怖がりながらドライバーを打っていたため、距離は出ずにラフに捕まることが多くなったが、なんとかパーを寄せワンで拾えたホールもあったけど、安定感はなく、ダボも出た。

 そしてイン13番のパー4にきた。やはり打ち下ろしだ。左側のOBラインが浅く見えてスプーンを選択したが、ボールは逆に右にスライス気味に飛び出してOBに。打ち直しは左へひっかけて斜面に。ここの7打でこの日のぼくのスコアメイクは終わってしまった。

 ドライバーの左ひっかけは春ごろからもよく出るようになっていた。いくつか「対策」を施している過程で6月に会社退職を迎えた。
 退職後は練習時間をとりやすくなって徐々によくなり、2日前のラウンドや、当日朝の練習でも左への引っ張りやひっかけは出なくなっていた。ぼくなりの「対策」も整理できていて、しかも実践できていたからだ。
 それでも5番のティーショット1回のミスが、ぼくの自信を打ち砕いてしまった。そう、これがゴルフなのだ。

 14番以降は開き直れた。「対策」を思い出して思い切って振ると、ほぼまっすぐに飛び、飛距離も出たのである。その対策を書き出してみる。

  • 打ち下ろしだと目線が下がって左に出やすくなる。アドレス前にボールの後ろに立ち、目線を上げて大空に向けて打つつもりで思い切って振ろうと心にささやき、その気持ちが固まったところでアドレスに入る。
  • アドレスでは、後頭部を上に引っ張られている気分でなるべく上げて背筋を伸ばし、ボールは上目遣いで見て、あご下にスペースを確保する。
  • 両ひざは軽く曲げて全体重を受け止め、スイング中に上下しないようにと言い聞かせる。
  • テークバックでは、まず左肩をあごの下にしっかり入れる気分で上半身を回す。さらにスウェイしないように意識しながら、右尻を真後ろに引く感じで体をねじり、その流れで右肩もしっかりとねじりきってトップを作る。
  • アドレス時のグリップは、両手とも親指と小指のくぼみの方向は右肩へと意識はするが、握る力はなるべく弱いままでトップまでいく。
  • トップからのスイング開始では、まずは右足ふとももを軸にして下半身から先にねじり戻し、上半身は下半身のねじり戻しについていくイメージ。
  • スイング開始後も頭はもとの位置に残し、目線はボール付近にとどめたままリズムよく、思い切って振り切る。
  • ヘッドはアドレス時より前方までしっかりと振り戻してから、左足に体重を乗せてフィニッシュを決める。

 こんな風に書き出すと、きりがない。中部銀次郎は著作で「スイング理論は読まない。複雑すぎて言葉ではどうにもならないから」「ただしアドレスは頭や言葉でなんとかできる」と書いていた。練習で反復し体に覚え込ませるしか手はないのだろう。

 きょうはカットラインまで6打もあった。仮に2つのOBがなかったとしても、通過できていない。ミッドシニアでの今のぼくの実力はそのあたりと思い知らされた。
 OBを恐れずに振り切れるスイングを身に着けると同時に、OBひとつくらいならバーディーで取り戻せると信じられる自信がほしい。それには、いまのレベルを最低でも2段階は上げないと、ぼくの目標「グランドシニアで中部の15位に入り、全日本の決勝へ進出」の達成は困難だろう。

 グランドシニア参戦まで2年ある。毎日の柔軟体操とパット練習は欠かさず、2日に1回の球打ち、週に1回のラウンドを愚直に続けよう。田舎の高校3年生だった時の受験勉強を思い出している。3年夏のインタハイが終わった後、塾には行かずひとりで参考書と取り組んだ。きっとやれる。

こんな記事も書きました