4 評論 時代を考える

ひとの本性に鋭利なナイフ…橘玲『バカと無知 人間、この不都合な生きもの』

残酷な真実 科学的知見とともに

(新潮新書、2022年10月20日発行)

 世の中にあふれる思い込みや不協和音について、こんなにも鋭利なナイフで人間の本性のからくりを抉りだしてしまう書き手をほかに知らない。世界各国の研究から科学的知見を引用しつつ、やさしい日本語に置き換えて「残酷で不都合な真実」へと導いていく。身もふたもない、ついていけない、と感じる読み手は少なくないだろう。でもぼくは、今回も惹きこまれ、何度も考えこんでしまった。

 ■バカにつける薬はない?

 5章に「認知心理学のブレークスルー」とされる研究成果が出てくる。米国の研究者、ダニングとクルーガーのふたりが「脳力の低い者は、自分の能力が低いことを正しく認識できているか」を調べた。コーネル大の学生を対象に詳細な実験を行い2000年に結果を発表した。その経過をていねいにたどってから筆者は書く。

 こうしてダニングとクルーガーは、シンプルかつ強力な決論を導いた。それを簡潔に表現すると次のようになるだろう。
 「バカの問題は、自分がバカであることに気づいていないことだ」
 自分の能力についての客観的な事実を提示されても、(中略)、自分の評価を修正しないばかりか、ますます自分の能力に自信をもつようになる。まさに「バカにつける薬はない」のだ。

 このくだりをぼくは、自分が「脳力ある、賢いひとたち」の側にいると思い込みながら読んでいた。しかし筆者は見透かしたかのようにこう釘をさすのだ。

 ここまで読んで、あなたは「バカってどうしようもないなあ」と嗤(わら)ったにちがいない。だがダニング・クルーガー効果では、バカは原理的に自分がバカだと知ることはできない。私も、そしてあなたも。

 怖い指摘だ。次に知人たちと話すとき、どんな言い回しをすればいいのかわからなくなる。この本は全編がこんな調子で、常識や思い込みや建前が崩れ落ちていく。この感じは『言ってはいけない』(2016年)とよく似ている。

(▲カバーには派手な惹句が並んでいる)

 ■政治的無知と民主選挙

 タイトルの「バカと無知」について、12章「投票率は低ければ低いほどいい」の冒頭部ではずばり、こう出てくる。

 バカと無知は違う。バカは能力の問題だが、無知は問題解決に必要な知識を欠いていることだ。あなたがどれほど賢くても無知な可能性はあるし、実際にはほとんどのことで無知だろう。
 わたしたちが無知なのは、現代社会がものすごく複雑だからだ。日常のあらゆる疑問(飛行機はなぜ飛べるのか?)に対して厳密な知識を得ようとすれば、二つか三つで人生が終わってしまう。

 こうした無知がもたらす重大問題として「政治的無知」を挙げている。各国の選挙で有権者が必要な政治的知識を持たないまま投票先を決めているとの調査結果を引用しながらこう書く。

 賢いひとも、政治については「合理的に無知」になる。なぜなら、その時間をほかのこと(仕事や趣味)に使った方がずっと有意義だからだ。有権者が「合理的に無知」だとすると、選挙で正しい選択ができるのだろうか。
 この懸念は、2016年のイギリスのEU離脱を決めた国民投票と、トランプ大統領誕生によって現実化した。有権者の政治的無知こそが、ポピュリズムのちからの源泉なのだ。

 日本の古いことわざ「3人寄れば文殊の知恵」は本書でも引用されている。しかし「バカ」と「無知」の存在とそのからくりを読んでいくと、多くの市民が絡めば絡むほど「文殊の知恵」が出てくる可能性は逆にどんどん低下していくと思わざるを得ない。

 その先に何が待っているかの予測にも筆者は踏み込んでいる。そのうえで「あとがき」にある一文がわずかな救いに思えた。

 人間というのはものすごくやっかいな存在だが、それでも希望がないわけではない。一人でも多くのひとが「人間の本性=バカと無知の壁」に気づき、自らの行動に多少の注意を払うようになれば、もうすこし生きやすい社会になるのではないだろうか。自戒の念を込めて記しておきたい。

 ■独自の世界を確立 ぼくの書評も8冊目

 この作家の評論を読むのは13冊目になった。そのうち印象記を書いてこのサイトにアップするのは8冊目になる。「橘玲」のタグもつけている。書評を書いた7冊と、ぼくが文章につけた主見出しはこうだった。

お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方 (2002年2月)
 現実主義と本音 経済原理に新世界か
雨の降る日曜は幸福について考えよう (2004年9月)
 バブル後のクールな経済・幸福論
大震災の後で人生について語るということ (2011年7月)
 幸福への理論と投資術 震災うけ練り直し

(▲ぼくの本棚の橘コーナー)

言ってはいけない (2016年4月)
 建前なしの潔さ 立ち尽くすしかない
朝日ぎらい (2018年9月)
 きれいごとへの嫌悪 「リベラル」への懐疑
もっと言ってはいけない (2019年1月)
 強烈なフレーズ 冷徹な裏打ち
無理ゲー社会(2021年8月)
 リベラル社会の知能格差 鋭利に冷徹に

 こう並べてみると、当初は、クールで知的な投資論や幸福論が軸だった。2016年の『言ってはいけない』から、社会常識や建前のいかがわしさに理論的に切りこんだり、ネット化やリベラル化の深層にある危うさへの言及が増えている。

 切り口はどんどん鋭利になってきている。でも科学的知見を添えることは忘れていない。ジャーナリストの筆ではない。かといって評論家という範疇にも収まらない。この人にしか書けない独自の世界がすでにある。次はどこへ向かうのだろう。

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