5 映画 銀幕に酔う

スター建築家競作のTOKYOトイレが舞台… 邦画『PERFECT DAYS』

初老の清掃員 孤高の暮らし 馴染の悦楽

 (ヴィム・ベンダース監督、2023年12月公開、名古屋・伏見ミリオン座)


 建築好きには、たまらない映画だった。寡黙な清掃作業員(役所広司)が向かうのは、渋谷区に点在する実在の公共トイレで、著名建築家16人の設計で新築されたばかり。画面に新しいトイレが映るたびに「この屋根は槇」「この壁なら安藤」「きのこ型は伊東か」「縦ルーバーは隈だ」と想像を楽しんだ。しかも男は過去を胸にしまい、一心不乱に清掃を終えるといつもの銭湯と居酒屋で和み、文庫を読みながら寝落ちする。この孤高と悦楽は、トイレ意匠の洗練と優雅に重なってみえた。

■「THE TOKYO TOILET」17か所一新

 映画に出てくる最新の公共トイレを実現させたのは、日本財団が主導した「THE  TOKYO  TOILET」というプロジェクトだった。公共トイレには「汚い、暗い、怖い」という印象がつきまとうが、渋谷区の17か所を2020年から23年にかけて建て替え、「清潔、明るい、安心」へと一新させた。

 この映画はプロジェクトの一環として企画され、ヴィム・ベンダース監督らが単発の映画にまで高めた。主人公の名前「平山」は、敬愛する小津安二郎監督の『東京物語』で笠智衆が演じた主人公の名前からもらったという。

 プロジェクトのけん引力は、斬新なデザインの競作にある。第一線の建築家やクリエーターら16人が設計し、坂茂が2か所、あと15人が1か所ずつを担当した。だれが、どこで、どんな設計をしたのかまでは調べないまま、映画を観た。

■匂い消え優雅 建築家の「らしさ」漂う

 最初に出てきたトイレは、真っ白で薄い屋根が軽やかに波うっていた。匂いは感じさせず、趣は優雅でさえある。何人かの建築家の名が浮かんだ。後でプロジェクトのHPをみたら「槇文彦」とあった。


 これは間違いなく隈研吾と思ったのは、木の縦ルーバーだった。この建築家の代表的な意匠言語で、わかりやすい。


 丸い陸屋根の下に、上広がりの壁が円形に個室を囲んでいる。きっと安藤忠雄だ。端正で骨太な構成に”らしさ”が漂う。


 おおきなキノコが3本ならんでいるようなトイレもあった。岐阜コスモスをほうふつとさせる。伊東豊雄だった。


 いちばん驚いたのは全面ガラス張り、坂茂の2作だった。中にだれもいない時は透明だが、中から鍵をかけると不透明に変わる。その映像はSNSで海外にも拡散された。

■地味な生き様 穏やかルーティン

 トイレのデザインは洗練されているが、主人公の生き様は真逆で、徹底して地味だ。スカイツリーに近い、押上の木賃アパートでひとり暮らしている。朝起きてから仕事に向かうまでを映画は3度、4度と追う。その動作は毎朝同じなので覚えてしまった。

 隣の寺の老女が落ち葉を掃く音で目が覚める
 歯磨き、髭剃り、室内で育てている植物に水
 制服のつなぎを着込んで、首にタオルを巻く
 玄関で携帯・カメラ・鍵・小銭をポケットに
 自販機で朝食用缶コーヒーを買いバンで出発
 首都高ではカセットテープかけ60年代洋楽

 車内でかかる洋楽は十数曲あった。アニマルズの『朝日のあたる家」と、オーティス・レディングの『ドック オブ ザ ベイ』は、ぼくも口ずさむことができた。

 ルーティンを律儀に繰り返す主人公の表情は穏やかだ。車窓からの景色に何か思い出したのか、ときおり笑みも浮かべ、受け持ちの公共トイレへと向かう。現場につくと、さまざまな道具を駆使して一心不乱、すみずみまで磨き上げる。

■こころ和ます「行きつけ」

 公共トイレの清掃を終え帰宅すると、次のルーティンが待っている。「行きつけ」に行ってこころを和ませ、夜は読書三昧だ。

 近くの銭湯に行き、一番風呂につかる
 浅草駅の地下、馴染みの居酒屋で焼酎
 帰宅し布団に入り読書しながら寝落ち

<パンフの表側>

 ここでも穏やかな表情は変わらない。満ち足りた感じがあふれるときも多い。本棚には多くの本が並んでいるが、映画の中で読んでいたのは3冊だった。公式HPによると—

 ウィリアム・フォークナー『野生の棕櫚(しゅろ)』
 幸田文『木』
 パトリシア・ハイスミス『11の物語』

 うーん、渋い。ぼくはどれも読んだことがない。主人公は無口だが、深くて広い読書歴を持ち、知識欲をまだ失っていないことを象徴しているのだろう。

 休日の過ごし方にも「馴染んだ場所での充足の時間」が流れていく。

 洗濯物を自転車かごに乗せコインランドリー
 いつもの古本屋に寄り文庫本を一冊だけ買う
 美人ママとなじみ客がいる居酒屋カウンター

<パンフの裏側>

 こちらも、渋い。役所広司の実年齢は68歳。おそらくそのままの年齢を演じている。3つ上のぼくは、いまは妻と二人暮らしだけれど、もしひとりになったらどんな風に過ごすだろうかと想像しながら観ていた。

うっすらと辛い過去 いまを慈しむ

 いつもは穏やかな主人公だが、顔を曇らせる場面も何度かでてくる。辛い過去を思い出したのか、涙ぐんでしまうシーンもある。

 ネタバレになるので詳しくは書けないけれど、役所広司の演技からは、過ぎ去ったことは断ち切り「いまこの時間」を慈しみながら生きていこう、という覚悟が伝わってくる。

■カンヌ男優賞 『VIVANT』でも演じ分け

 役所広司は今作でカンヌ男優賞を得たが、出演作はこれまでにも数々の賞を得ており、まぎれもなく、いまの日本を代表するトップ俳優だ。Wikipediaの出演リストで、ぼくがこれまでに観た作品を数えたら14あった。次の9作は印象記も書いている。

突入せよ あさま山荘事件』 (2002年) 警察官
THE 有頂天ホテル』 (2006年) 副支配人
それでもボクはやってない』(2007年) 弁護士
トウキョウソナタ』 (2008年) 強盗
十三人の刺客』 (2010年) 刺客武士
最後の忠臣蔵』 (2010年) 赤穂武士
終の信託』 (2012年) 死願患者
清州会議』 (2013年) 柴田勝家
日本のいちばん長い日』 (2015年) 阿南陸相

  演じてきた役柄を眺めると、この俳優の凄さを感じる。幅が広いのに、どの役もその人物になりきってきた。くわえて「役所広司」という個も、役の真ん中あたりにうごめいていた感じが残っている。

『VIVANT』も演じ分け

 あの『VIVANT』もそうだった。昨年見逃したのでことし正月の2日間にNetflixで一気に観た。堺雅人、阿部寛という実力派を相手に「公安の元刑事、中央アジア拠点のテロ組織リーダー」という特異な男を演じながら、「役所広司」の個も同居させていた。

 この『VIVANT』と『PERFECT DAYS』の撮影時期は間がなかったと思われる。しかも演じた役は「硬と軟」「動と静」の対極にあった。にもかかわらず見事に演じ分け、説得力を持たせる力量は、やっぱり、すごい。

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